2010年08月27日13時41分掲載  無料記事
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文化

【演歌シリーズ】(8)三木たかしの寂寥音 出会い 阿久悠(1)  佐藤禀一

  初めて津軽三味線を聴いたのは、1973年12月、東京渋谷のジァンジァンでだ。心が泣いた。奏者は、高橋竹山(ちくざん)(初代)であった。男が、「一番寒いとき、津軽に三味線を聴きに行こう」そう女に言った。 
 
 『津軽海峡・冬景色』情話 
 
  2月。二人は、夜行列車に乗り、津軽の小さな民謡酒場で津軽三味線を聴いた。曲は、『津軽甚句(どだればち)』、唄わず初老の弾き手が奏でた。それまで、何人かの演奏を聴いたが、どれも「違う」と感じた。「三味線(さみせん)は、叩(ただ)くもんでねえ、弾(し)くもんだ」竹山が津軽訛でジァンジァンで語った言葉だ。しかし、いずれも激しくぶっ叩き、あたかもロック奏法のようにリズムが強調された音色で、聴き手を沸き立たせていた。二人は、もう津軽で、竹山の情音に重なるような津軽三味線は、聴けないのではないか、そう思って諦めかけていたとき、“弾(し)く”音に出会ったのである。外は、吹雪が吠えていた。『津軽甚句(どだればち)』は、竹山が伴奏旋律を付けた曲で、初老の奏者は、情々と吹雪の音に滲ませた。 
 
  男と女は、その音色を抱きしめ、竜飛崎の冬を見たいと思い、青函連絡船に乗った。「ごらんあれが竜飛崎」船の窓越しに見える崎は、吹雪の中で黒々と悶えていた。そして、いま……。 
「ごらんあれが竜飛崎 北のはずれと/見知らぬ人が指をさす/息でくもる窓のガラス/ふいてみたけど/はるかにかすみ見えるだけ/さよならあなた 私は帰ります/風の音が胸をゆする/泣けとばかりに/ああ 津軽海峡 冬景色」 
  男は、病魔に犯されあっと言う間に逝ってしまった。想いの濃かった二人のときは、もう無い。女が一人見る竜飛崎は、「はるかにかすみ見えるだけ」二人で聴いたあの津軽三味線が女の胸で鳴り「風の音」に溶け「胸をゆする」「さよならあなた」……。 
 
  石川さゆりが唄う『津軽海峡・冬景色』初めて聴いたとき、津軽三味線の音がその旋律から聴こえ、思わずこのような男と女の物語を連想したのを憶えている。三木たかしのすべての曲に“寂寥感(せきりょうかん)”が私には、聴こえる。 
 
 三連音の哀しみ 
 
  さくら、つばき、れんげ、ぼたん、すみれ、あやめ、ひばり、つばめ、からす、すずめ、とんぼ、ほたる、とかげ、かえる……日本の花・鳥・小動物らに三音がやさしく響いている。これを頭に打って美しい効果をあげた歌がある。 
「櫻(・・・) れんぎょう 藤の花/芙蓉(・・・) 睡蓮 夾竹桃/野菊(・・・) りんどう 金木犀/桔梗(・・・) 侘助 寒牡丹/女(・)雛(・・) 矢車 村祭り/螢(・・・) 水無月 野辺送り/父(・・)よ(・) 恩師よ ともがきよ/母(・・)よ(・) 山河よ わだつみよ」(『散華』唄・都はるみ 詩・吉田旺 曲・徳久広司) 
 
  三音を風に揺らし、五音で締めている。また、「泣けた 泣けた」と三音で嘆かせ「堪(こら)え切れずに 泣けたっけ/あの娘(こ)と別れた 哀しさに/山の懸(かけ)巣(す)も 啼いていた/石の地蔵さんのヨ 村はずれ」(『別れの一本杉』)春日八郎が、故郷を捨てた若者の孤独感を暗たんたる高音でむせんだ名曲であるが、詩人高野公男と作曲家船村徹が三連音をうまく用い、微妙に七五の調べを揺らめかせた。七五音を食い破った三連音は「惚れて 惚れて」と『哀愁列車』(唄・三橋美智也 詩・横井弘 曲・鎌田俊与)などの曲に引き継がれてゆく。 
  しかし、しかしである。石川さゆり、阿久悠、三木たかしによる旅情三部作の『能登半島』(もう一曲は『火の国へ』)は、別にして『津軽海峡・冬景色』ほど三連音を多用した曲は、他に無い。 
 
   上野発の夜行列車 おりた時から 
   青森駅は雪の中 
   北へ帰る人の群れは 誰も無口で 
   海鳴りだけをきいている 
 
  詩では、三音を連打した後、七五音で静めている。譜面では、ほんの一部の語尾を除いて、七五の詩音も三連音に溶かしている。 
 
  三連音と言えば、ファンキー・ジャズの代名詞とも言われた『モーニン』を想い出す。ピアニストのボビー・ティモンズが、ゴスペルから想を得てつくった曲だ。ソロでも、ジミー・メリットのベース、アート・ブレイキーのドラムスによる結構重たい感じの四拍子(フォービート)に乗って奏されたティモンズの三連音連打の興奮が忘れがたい。1958年12月、パリのクラブ・サンジェルマンでのジャズ・メッセンジャーズのライブ演奏が特に凄い。聴いていて気持ちが沸きたったが、同時に哀しげでもあった。三木たかしの三連音連打にも寂寥感とともに、ソウルフルな音色が漂っている。 
 
 三木たかし三連音と阿久悠ポエジー 
 
   上野発の夜行列車 おりた時から 
   青森駅は雪の中 
 
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」川端康成の名作『雪国』の書き出しを連想する。小説の良し悪しは、書き出しの一行で決まると言われているが、歌謡曲・演歌の詩もそうだ。上野駅から青森駅まで一行で連れて行ってしまった詩は、三木たかしの心臓のビートを思わす三連音連打の鼓動音に乗って物語性が深い。 
  この後、『雪国』は、「夜の底が白くなった」と書かれ、『津軽海峡・冬景色』では、「青森駅は雪の中」である。旋律は、吐息のようだ。阿久の凄味は、雪がしんしん降っていたでも吹雪の中でも無く、青森駅を「雪の中」に沈めているところにある。 そして、女の目に映る「人の群」は、切なさのうめき声のような「海鳴りだけをきいている」だけだ。三木三連寂寥音と阿久詩魂が石川さゆりのうら淋れた声で唄われるとそこには、一人の幸せ薄い女の孤影が佇むのである。 
 
 日本の調べは七五音 
 
  「ふるさとは遠くにありて思ふもの」(室生犀星「小景異情その二」)、「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ」(島崎藤村「小諸なる古城のほとり」)良く知られている詩の一節、声に出して読んでみると思わずうっとりしてしまう。俳句、短歌は、言うまでも無いが、謡曲、浄瑠璃、長唄、小唄、浪曲、そして、歌謡曲、演歌の主たる韻律は、七五調である。日本語の心地良いリズムでもある。現代詩にも脈打っている。阿久悠は、七五音にあまりこだわっていないが、それでも多用している。 
  『津軽海峡・冬景色』は、恐らく、事前に、曲のイメージを相談し、曲が先につくられたのであろう。詩人の発想から七五音にこだわらないからと言っても三音の連打は、生まれないであろう。三木たかしは、三連音の連打に、女の哀しみの物語をそして、それを振り払って決然と生きる女の思いを込めた。タタタ タタタ タタタ タタタ タタタ タタタ ター(・・・)、阿久悠は、これを聴いて初め目を剥いたのではなかろうか。でも、見事に応じ、 
 
   私もひとり 連絡船に乗り 
   こごえそうな鴎見つめ 
   泣いていました 
   ああ 津軽海峡 冬景色 
 
  女の哀しみの抒情詩を書き、石川さゆりは、「ああ」にたっぷり寂寥感を漂わせこの女を歌で演じた。名曲である。(敬称略) 


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