2010年08月30日14時41分掲載  無料記事
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文化

【演歌シリーズ】(9)三木たかしの寂寥音 出会い 阿久悠(2) 佐藤禀一

 森昌子、桜田淳子、山口百恵、片平なぎさ、岩崎宏美、伊藤咲子、ピンク・レディー、石野真子、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜……後に、宗教に行ったり、家庭に入ったり、コンビを解消したり、役者になったり、歌手をつづけたり様々であるが、いずれも歌手として“時代を食った”。かつて『スター誕生』(NTV)という歌手のオーディション番組があった。ここから巣立った。 
 
  オーディションTV番組『スター誕生』 
 
 番組は、1971年9月、阿久悠が企画・構成し審査委員長をつとめ10年あまりつづいた。阿久の書いた『夢を食った男たち 「スター誕生」と黄金の70年代』(道草文庫 小池書院)によると「延べ二百万人強の少年少女が応募し、九十一人(八十九組)が合格して、レコード・デビューした」冒頭に挙げた歌手は、その中の同世代少女スターである。 
 
 司会萩本欽一、審査委員は、阿久の他中村泰士(作曲家)、松田トシ(敏江・歌のオバさん)、斎藤茂(評論家)、芸能誌『平凡』『明星』から交互に代表たち、ゲストとして作詩家の星野哲郎、作曲家の鈴木邦彦などが加わった。三木たかしは、都倉俊一とともにたびたび審査委員に迎えられた。 
 
  曲先の歌づくり 
 
 演歌・歌謡曲の歌づくりの主流は、七五の調べに乗せて詩が先、曲後である。阿久は、そのどちらにもこだわらなかった。ピンク・レディーの数々のヒット曲は、曲先であった。「最初の『ペッパー警部』が<詞先>だったことは間違いありません」「後半は<曲先>です。ただどの場合でも、タイトルは僕が決めた」(同)こうしてみると、<曲先>と言っても、阿久のイメージで旋律が創られているのだから、ある意味<詞先>と言えなくもない。いずれにしろ作曲者と深く通じ合っていなければ出来ない芸当だ。阿久、都倉俊一の二人は、すでに山本リンダ『どうにもとまらない』、フィンガー5『個人授業』で息がピッタリ合ったヒット曲を生んでいた。阿久の言葉を借りれば「アナーキーでコミカル」な歌々であった。 
 
 三木たかしも『スター誕生』スタート一年後、阿久に請われレギュラー審査委員になる。阿久は、都倉と三木、この異質な二人の才能を愛し、歌をつくるのである。奇しくも77年日本レコード大賞作曲賞は、二人で争われた。都倉俊一『ウォンテッド』(指名手配)』他ピンク・レディーの一連曲vs三木たかし『津軽海峡・冬景色』(石川さゆり)『思秋期』(岩崎宏美)、いずれも阿久が詩を供し、一票差で三木が賞を得た。 
 
  森進一『北の螢』の寂寥感 
 
   山が泣く 風が泣く/少し遅れて 雪が泣く/ 
  (中略) 
   もしも 私が死んだなら/胸の乳房をつき破り/ 
   赤い螢が翔ぶでしょう 
   ※ホーホー 螢 と翔んでゆ行け 
   恋しい男の 胸へ行け 
   ホーホー 螢 翔んで行け 
   怨みを忘れて 燃えて行け 
 
 和泉式部のつぎの和歌に重なる。 
 
   ものおもへば沢の螢もわが身より 
   あくがれいづるたま魂かとぞみる 
 
 ほんか本歌どり取とも言えよう。本シリーズ(6)の歌人林あまりの書いた『夜桜お七』(坂本冬美)のところでも述べたが、本歌取は、盗作ではない。あの藤原定家は、その名人であった。 
 
   黒髪のみだれもしらず打伏せば 
   まづかきやりし人ぞ恋しき 
 
 和泉式部のあまりにも有名なエロティシズムである。房事の後の陶然か、快楽の記憶をまさぐり一人欲情をかきたてて“打伏し”ているのか解釈が分れるが、定家は、後者にこころ情を寄せ 
 
   かきやりしその黒髪のすじごとに 
   打伏すほどは面影ぞ立つ 
 
 と、男の情でうたった。本歌取は、前作への作品評でもありアウフヘーベン止揚でもあるのだ。しかし、定家は、式部のエロスを超えていない。 
 阿久悠の螢は、「わが身よりあくがれいづる魂」のような恋の「ものおもい」で翔ぶようなあえかではない。 
「もしも 私が死んだなら/胸の乳房をつき破り」「赤いいのちがつきる時」「肌の匂いを追いながら」翔ぶであろう「赤い」「恋」の螢なのだ。そして、「怨みを忘れて」炎となって……。 
 女のこころ情を映し冬の山が風が「少し遅れて」雲が泣く。 
 女のじょう情を映して逢瀬の悦楽の想い出となって雪が鳥が「一つはぐれて」夢が舞う 
 そして、 
 わらべうた童謡の「ホーホー ほーたる来い」この柔らかなホーホーの旋律に三木たかしは、寂寥感を纏わせた。それを森進一が、ふりしぼるように悲鳴にも似た濃密な哀しみのハイノート高音で「ホーホー」と震わせる。『北の螢』は、現代版しんない新内とも言えよう。 
 
  現代版新内語り森進一 
 
 言うまでもなく新内は、ちゅうざお中棹の三味のね音に乗せて主に心中物を唄う浄瑠璃の一派で、高音で嫋々と語る。遊里から生まれた女の恨み節、泣き節でもある。『らん蘭ちょう蝶』『あけがらす明烏』が代表作で、九十歳を過ぎても艶やかな声を持った今は亡き新内語りの名人岡本文弥が森進一を絶賛している。「新内でこんな歌い方をするといいな、と思うことがありますね。(中略)帝劇で平幹二郎主演の<近松心中物語>の芝居があってこれはすばらしかった。この梅川忠兵衛(『冥途の飛脚』の両主人公)のバックに森進一の歌を流していたけれど、これが良かったですね。身に沁みました」(森まゆみ著『長生きも芸のうち岡本文弥百歳』毎日新聞社) 
 
 森進一の裏声は、ある意味カウンター・テナーの高音を超える。それは鍛えられた声と言うより、妖しい陰影を宿した高音域の情音だからである。『北の螢』は、密やかにエロスの余韻に抱きすくめられ、トロトロと白い躰が悶え溶けたときの男の「肌の匂いを追いながら」、思いが赤い螢となって「胸の乳房をつき破」って「恋しい男の胸へ」捨てられた「怨みを忘れて」翔んで行く。森進一の陰影を宿した高音が、情をたっぷり濡らし、つぶやくようにそれでいてメロディアスに歌っている。 
 
 この曲は、七五の調べで書かれた詩が先に創られ、それに三木たかしの寂寥音律が付され森進一の高音表現力が睦み合った作品で、『花と蝶』(詩・川内康範 曲・彩木雅夫)と並ぶ、まこと美しくも哀しい現代版新内と言えよう。(敬称略) 


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