2010年09月27日12時16分掲載
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農と食
野生猿を追って 3 〜サル学の現在〜
もともと猿にまったく興味はなかった。企画がなかったとき、たまたま新聞で猿の記事を読んで企画会議で提案したら通ったというだけだった。そのうえ、日光駅に着くと雷混じりのどしゃぶりの豪雨で「あと1時間待ってやまなかったら諦めて東京に帰ろう」と決めた。ところが1時間の内にぴたりと降り止んだ。
猿の取材と言っても取材班を組むような本格的なものではない。いろは坂など人間の道路脇に出没する猿の行動を撮影することが主で、山の中まで入り込むことなどほとんどできないし、ビデオカメラにも特段の望遠機能はない。ホンダのキャブに乗って、いろは坂を何度も回りながら道路脇に出てくる猿を撮影するだけである。だから、猿がいつどこに出てくるか、ということは取材にとっては重要なポイントだった。猿に出会えなかったら取材は成り立たないからだ。平均するといろは坂を1日、8周ほどしていた。そうしているうちに次第に猿の群れの位置がおぼろげに分かってくるようになった。
猿はいつどこに出てくるのか。それは猿に聞いてみるしかない。だが猿語がわからない以上、推測するしかない。民宿で毎晩、取材日記をつけた後、当時出版されたばかりの文庫版、「サル学の現在」(立花隆著)を読んだ。猿とはどんな動物なのか。猿の行動原理とは?右の町と左の町があったら、どちらに行くのか。それはなぜなのか。
「サル学の現在」を読んでいると、日本のサル学が世界でも最も進んだものの1つだということが分かってきた。特に日本人は欧米の研究者と違って、猿になって考えてみるという特異な思考回路があり、それも貢献しているようだ。
立花隆は「まえがき」にこう書いている。
「そもそもヒトとはいかなる存在であるのか。ヒトのヒトたる所以はどこにあるのか。ヒトと動物は本質的にどこで区別されるのか。人間性とは何なのか。何が人間的であり、何が人間的でないのか。何が動物的なのか。動物的と人間的を区別するものは何なのか。」
立花氏はデカルト的に、徹底的にそこを理詰めで探求しようとする。取材対象者は今西錦司に始まり、伊沢紘生、西田利貞、山極寿一、伊谷純一郎、杉山幸丸など錚々たる研究者たちだった。そして彼らが猿の研究に打ち込んだ動機の中に、第二次大戦への反省が潜んでいたことを知った。
つまり、人間はなぜ戦争をするのか、という疑問である。人間の中に潜む攻撃性は不可避なのか。もしそうだとしたら、たとえ第二次大戦でいかに辛酸をなめようとも再度の戦争を防止することは難しいだろう。まえがきにはさらにこうある。
「たとえば、日本サル学のパイオニアの一人である河合雅雄氏は、自分の研究の動機についてこんなふうに語ったことがある。「戦争が終わってみて、何で人間は、こんなバカげたことをするんだろうと思った。こんなことをする人間の人間性というものを、もう一度その大本にまで立ち返って、探ってみようと思った。そのためには、サルまで立ち返って人間性の根源を調べてみにゃならんと思った」」
河合雅雄氏は、エチオピアでヒヒの研究などをした結果、人間の持つ「殺人」「戦争」などの悪の起源が猿に見られたことを確認した。彼の組み立てた仮説はこうだ。樹上生活を始めた猿は虎などの外敵から身を守ることができる心地よい楽園を手に入れた。しかし、そこは限られた領域でもあり、楽園に生存できる個体の数は限られていた。だから、互いに知恵を使って同胞を出し抜くようになったのではないか、というのである。
だとすれば人間の中に潜む邪悪な性質は猿の時代まではるかにさかのぼることになる。人間の中にあるナワバリ争いも猿の中にもある。ボスをめぐる争いもある。我々が人間性とか人間の文化と考えているものの多くは猿に由来するものだった、というのである。
村上良太
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