2010年10月06日00時43分掲載
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文化
こんなに共鳴した本はありません、文京洙『在日朝鮮人問題の起源』 崔 勝久
文京洙『在日朝鮮人問題の起源』(クレイン、2007)、「在日」関係の本でこんなに共鳴したことはありません。文さんの学者としての謙虚な姿勢から、わからないことはそのままわからないと言い、断定的でなく、それでいてしっかりと事実は事実として押さえるという書き方をしています。私が共鳴したのは、文書から彼の人柄がしのばれるということもさることながら、彼の追い求めてきた思想的遍歴(「在日」としての生き方)に自分のそれが重なるように思えたからでしょう。
著者は日本社会が戦後どのような国民国家つくりをして「在日」を疎外するに至ったのかを説得力あるかたちで説明します。しかしこれはある意味で、他の学者でもやっていることで、特に新しい資料の発掘ということはありません。しかし彼の特徴は、「在日」そのものが同じく、国民国家の概念、枠内で自己規定してきたことを率直に記していることです。
著書の中でも日立闘争の記述は何度も出てきます。それがいかに新しい発想であったのかということを高度成長、都市化現象の流れのなかで、歴史的、社会的に説明します。それらは社会科学的に分析して証明した上で概念として提示するというより、高度成長によって日本人社社会が大きく変わってきたことの影響を「在日」も受けたという脈絡で説明し、違和感はまったくありませんでした。なるほど、その通りだと思いました。
日本共産党と「在日」との関係も詳しく取り上げ、『日本共産党70年』において「在日」との関係には一切ふれていないということを明らかにします。6全協以来、日本共産党と総連は「極左路線」批判だけでなく、相互干渉しない、「内政不干渉」を旨とする「主権国家」「国民原理」においても同じ土俵に立ち、「在日」の運動はそれ以来、この枠を前提にしてきてそこからの脱却に時間がかかったこと、その脱却は下からの「市民」の立場からの動きを待つしかなかったこと、その端緒に彼は日立闘争を位置つけます。
彼に共鳴した上で、違和感をひとつ。それはエピローグで「既成の理念と違う何か別の理念を編み出そう」とは思っていないと記しながら、プロローグでは「多文化共生」を理念化していると思わせる書き方をしていることです。日立闘争も川崎での地域活動も、また「多文化共生」を謳う川崎市の施策もその実態は何かということを文さんは知ろうとせず、文献や一方(「共生」を推進する側から)の話しでそれらを評価するというのは、結局、それらが文さんの「理念」に適ったからなのではないでしょうか。
川崎のことを論文にしたり、本にしたケースは多いのですが、ほとんど(私の知る限り全て)、「共生」施策を批判する意見の検証はせず、「共生」はいいものだという結論を先に持ちそれに見合う資料・情報でその結論を正当化するという過ちを犯しています。例えば、金侖貞『多文化共生教育とアイデンティティ』(明石書店、2007)、広田康生「アジア都市川崎の多文化・多民族経験」(宇都榮子編著『周辺メトロポリスの位置と変容』(専修大学出版局、2010)、その他多数あり。
文さんは私たちが12年以上、川崎市政の問題点や、川崎の地域活動の問題点を批判してきたことを耳にしながらも深く関心をもたなかったのではないかと思います。それは「多文化共生」批判の中から新たに「開かれた社会」につながる展望がでてくるのではないかという思いが彼にはなかったからではないでしょうか。
私はむしろ、「多文化共生」は今日何故強調されるようになったのか、カナダやオーストラリアでは批判的な見解もてきているのに、どうして日本は教育・経済・労働・行政・市民運動等の各分野でもてはされているのか、みんなが一致して賛美する現象を批判的にとらえるべきではないかと思うのです。「多文化共生」は社会・歴史の中で一定のイデオロギーとしての役割を果たしているのではないか、この点を私は文さんと会う機会があれば議論したいと思います。
私は「国民国家」を根本的に批判する西川長夫の<新>植民地主義論はあらためて議論されるべきだと考えています。「在日」を含めた、増加する在日外国人の日本での位置そのものが実は国民国家日本の植民地主義支配なのではないかと、私は思うようになりました。
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