2010年11月06日11時30分掲載  無料記事
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やさしい仏教経済学

(21)多様性は共生と寛容を世界に広げる 安原和雄

  仏教経済学の八つのキーワード ― いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性 ― のうち今回は「多様性」を取り上げる。 
 多様性とは何を意味しているのか。生物多様性条約にかかわる名古屋会議(10月末閉幕)には世界各国から沢山の多種多様な人々が集まった。多様性は生物はもちろんのこと、人間、文化、地域、国(政治、経済、社会、体制)、民族、文明のあり方の多様性 ― にまで視野を広げている。このような多様性を重視することは、国、文明のあり方まで含めてそれぞれの存在価値、個性の尊重につながり、そこには共生と寛容の世界が広がる。多様性を妨害・拒否する暴力は当然否定されなければならない。 
 
▽ 「生物多様性条約=名古屋会議」が残した課題 
 
 経済広報センター(日本経団連の広報機関)が2010年3月に行った「生物多様性に関するアンケート」調査結果(「経済広報」2010年7月号掲載)を紹介しよう。 
 今年が国連の定めた国際生物多様性年であることを「知っている」は12%。また名古屋でCOP10(生物多様性条約=注1=第10回締約国会議)が開催されることを「知っている」は15%で、ともに10%台であった。 
 (注1)生物多様性条約は国連主催第一回地球サミット(1992年)で採択され、現在、193カ国・地域が加盟している。同サミットで合意された地球温暖化対策のための気候変動枠組み条約と並んで「双子の条約」とも称されている。 
 
 この10%台という数字はたしかに低い。しかし重要なことは生物多様性が意味するものは何かをどれだけ理解しているかである。生物多様性について簡潔にして示唆に富む社説(毎日新聞2010年10月18日付)を紹介する。 
 
 地球に最初の生命が誕生したのは約38億年前と言われる。それから長い進化の道筋を経て、多種多様で複雑な生命が花開いた。現在知られている種の数は約175万、実際には3000万種とも推定される。 
 今、この多様な種が、開発や人口増加のために急速に失われている。地球の歴史を振り返ると生物の大量絶滅は過去にも起きた。しかし、現在進行中の絶滅は過去のどの時代よりもスピーが速い。 
 多様な生物をはぐくむ生態系も損なわれている。世界では九州と四国を足し合わせた面積の森林が毎年失われているというから深刻だ。 
 食物はもちろん、水の循環や土壌の保持、医薬品など、人間は生態系の恩恵に支えられている。生物が多様性を失えば人間の将来も危うい。(以上は社説の一部) 
 
着目すべきは末尾の「生物が多様性を失えば人間の将来も危うい」である。つまり生物多様性のお陰で人類は生かされているのであり、その多様性の行方は、ほかならぬ人類の生存そのものを左右するのである。 
 
 その「生物多様性条約=名古屋会議」が2010年10月末日、「名古屋議定書」(遺伝資源の利用=例えば熱帯雨林などの微生物を使う医薬品の研究開発=とそれに伴う利益配分を定めた議定書)と「愛知ターゲット」(2010年以降の生態系保全のための国際目標)を採択して閉幕した。 
 「愛知ターゲット」では最大の焦点だった保護区域の面積について「少なくとも陸域の17%と海域の10%を保全する」ほか、「劣化した生態系の15%以上を回復する」、「外来種の侵入を防ぐ」などを打ち出した。ただこの目標は義務づけられたものではない。しかも現在の保護区域は海域の場合、わずかに1%にとどまり、乱獲や乱開発の中で生物多様性の保護をどう進めるのか、「生物多様性条約=名古屋会議」が残した課題は前途多難というほかない。 
 
▽ 多様性重視は共生と寛容の世界への道 
 
 さて仏教経済学の唱える多様性は何を含意しているのか。もちろん生物多様性に限らない。多様性は自然はもちろんのこと、人間、文化、地域、国(政治、経済、社会、体制)、民族、文明のあり方の多様性 ― にまで視野を広げており、多様性の内容は実に多様そのものといえる。多様性の重視は、自然、人間、文化、地域、国、民族、文明それぞれの個性の尊重につながり、そこから共生と寛容の世界が開けてくる。 
 
 仏教思想家の梅原猛氏(注2)は次のように述べている。 
 仏教国日本は、世界の和平運動の先頭に立つべきであり、もう一ついいたいのは、多神論の復活である。神道も仏教も多神論である。もちろん自分の信じる神や仏も大切にするが、他人の信じる神や仏も大切にするという精神である。これは多(た)の尊重という思想である。生物の世界にはたいへん多くの種がある。この多様性を含む世界をひとつの神の思想で一色にぬりつぶすのは、神々に対する冒涜(ぼうとく)だと思う。世界は多を含むことによってすばらしい。 
 多神論は正義より寛容の徳を大切にする。いま世界で求められるべき徳は寛容の徳、慈悲の徳である。この寛容の徳、慈悲の徳は仏教ではよく説かれている。(梅原 猛著『梅原猛の授業 仏教』朝日文庫) 
 (注2)梅原猛(うめはら たけし)氏は1925年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター所長などを歴任。文化勲章受章。多くの著作は「梅原猛著作集」に収められている。 
 
 梅原氏も示唆しているように、仏教は多神教的であり、いいかえれば多様性尊重、寛容の精神に富んでいるのであり、ここがキリスト教やイスラム教のような唯一絶対神を信じる一神教とは異なる点である。しかし仏教はキリスト教など他宗教との共存は不可欠と考えている。その一つの具体例が世界宗教者平和会議(注3)である。 
 (注3)世界宗教者平和会議(WCRP=World Conference of Religions for Peace)はすでに8回に及ぶ世界大会(第1回は京都、その後約5年に1回)を開催、第8回大会が2006年京都で100カ国から2000人の宗教家を集めて開かれた。テーマは「あらゆる暴力を乗り超え、共にすべてのいのちを守るために」。WCRPに参加している世界の諸宗教は、仏教、神道、儒教、キリスト教、ヒンズー教、イスラム教、その他の諸宗教である。私(安原)自身、第8回京都大会に参加し、盛会という印象を得た。 
 
▽ 多様性に背を向ける米国の覇権・単独行動主義 
 
 生物の多様性を守るための「生物多様性条約」(米国は企業活動の自由が制約されることを理由に条約に不参加)と並んで、「文化の多様性」を保護・促進するための条約(ユネスコが2005年10月の総会で採択。賛成148カ国、反対は米国とイスラエルの2カ国)もある。この条約採択の狙いの一つは、文化の多様性を壊す米国主導の新自由主義的文化攻勢への対抗策である。 
 これら多様性を尊重するための条約に米国はいずれも不参加である。それだけではない。米国は、国(政治、経済、社会、体制)のあり方の自由な選択、民族、文明それぞれの存在価値にも不寛容である。その背景には米国政権の独断と偏見に満ちた単独行動主義、覇権主義、軍事力中心主義がある。 
 
 具体例としてまずベトナムへの侵略戦争を挙げることができる。結末は1975年の米軍の敗北・逃走となった。ベトナムの戦勝30周年記念の2005年に日本人訪問団の一人としてベトナムを訪ねた時、政府高官の発言、「米国はベトナムを破壊して、原始社会に戻すことを狙っていた」が私(安原)の印象に残っている。大規模の北ベトナム爆撃、大量の有毒枯れ葉剤散布などはベトナムの国独自の進路と建設を妨げようとした暴力である。 
 目下進行形にあるのが米国によるアフガニスタン、イラクでの軍事作戦であり、計り知れない大きな犠牲を強いている。これも国それぞれの多様性の価値を否定する無法な所業にほかならない。 
 
 多様性に背を向ける米国の姿勢は、多様性を尊重する仏教経済学の視点に立ってこそ、正当に批判できる。しかし多様性への視点をもたない現代経済学では批判できないどころか、むしろ米国を擁護する立場である。 
 
▽ 日本にみる多様性への感覚(1) ― クマがいるほど豊かな自然 
 
 「クマ 射殺では何も解決しない」という新聞投書(杉山幸子・54歳・東京都中野区=朝日新聞2010年10月24日付)を紹介したい。 
 
 5年ほど前に住んでいた静岡市でも、クマが里に出て騒がれた。そのとき聞いた、山奥に住む98歳のおばあさんのお話を思い出す。昔から山に住む人は人と動物の境に動物のため、実のなる木を植え、畑を作っていたという。そこまでが動物と人間の境界だと教えるためで、実際、クマはそこで食べ物を食べて山へ帰っていった。 
 これが古人の知恵で、クマが頻繁に人里に出没するようになったのは、古来の知恵が伝わらず、なくなってしまったことも原因ではないか 
 クマを射殺するだけでは、何も解決しない。クマがいるほど豊かな自然を日本は持っているのである。そのことに感謝し、古人の知恵を借りてもう一度考えてみたい。 
 
 この投書の中で「クマがいるほど豊かな自然」という指摘に注目したい。私(安原)はこれを「クマがいるほど豊かな自然の多様性」と読みたい。 
 
▽ 日本にみる多様性への感覚(2)― 動物とすみ分けた日本の自然 
 
 もう一つ、「クマ大量出没 人と動物、共生の回復を」という見出しの朝日新聞社説(2010年10月25日付)を紹介する。その要点は以下の通り。 
・なぜ最近、クマが大量に出没するのか。農山村が疲弊し、山が荒れ、里に動物が押し寄せる。人と動物のバランスが崩れている。都会にいては気づかない日本の現実だ。 
・欧米諸国は近代に多くの動物を絶滅させてしまった。動物とすみ分けた日本の自然は私たちの財産でもある。 
 
 末尾の「動物とすみ分けた日本の自然は私たちの財産」という指摘はその通りである。ところが現実は農山村の疲弊、山の荒廃が進み、動物とのすみ分けが難しくなっている。いずれも人間の所業であり、クマに責任はない。クマにとっては生きるためには人の住むところに出てくるほかないだろう。クマを射殺すれば済む話ではない。自然の多様性の再生をどう図っていくか、これはわれわれ人間の責任である。 
 
 欧米など諸外国に比べれば、日本列島の自然が豊かな多様性を誇りとしていることは言うまでもない。ところが高度成長時代から今日にかけて高速道、ダム、港湾、空港などの巨大公共事業が続けられた結果、生態系に深刻な影響を及ぼしてきた。 
 今、沖縄県名護市辺野古の海域に新たな米軍基地建設計画が日米両政府の合意で持ち上がり、生物多様性保護の観点からも反対論が強い。というのは米軍基地建設は、珊瑚(さんご)などのほか、絶滅危惧(きぐ)種とされ海の生物、ジュゴンの生息場所を奪うことにもなるからである。 
 日本こそが豊かな多様性の存在価値を世界に訴える資格があるといえるのではないか。地球規模の多様性を軽視していると、それこそ人類そのものが絶滅危惧種になりかねない。 
 
<参考資料> 
・安原和雄「世界宗教者平和会議にみる平和観 ― <平和すなわち非暴力>の視点」(駒澤大学仏教経済研究所編「仏教経済研究」第三十六号、平成十九年) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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