2010年11月06日21時21分掲載
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文化
シリーズ一枚の写真から 〜岩淵達治氏がドイツに発った日〜
1人の若者が飛行機のタラップに立って振り返り、右手を挙げている。左手には鞄と花束。1957年10月5日、30歳の岩淵達治氏である。岩淵氏はこの日、ミュンヘンの大学に留学するため、羽田を出発した。現在、83歳の岩淵氏は演出家として、さらにブレヒト戯曲全集をすべて翻訳した翻訳家として知られる。後者ではその精緻な翻訳によって、1999年にドイツ政府からレッシング賞を授与された。だが、1957年のこの日にはまだ未知数の未来があっただけだ。53年前の出発日の日付をお聞きすると
「日付は覚えてませんが、確か前日にソ連がスプートニクを打ち上げたんですよ」
スプートニク1号が打ち上げられたのは1957年10月4日である。
岩淵氏は戦時中、旧制高校の理科に籍を置いていた。東大医学部に進むコースだったが、戦後、医学部の人数枠が160人から80人に半減したため、東大文学部に転じた。やがて友人の影響で芝居に熱中し、俳優座では演出家の千田是也氏に出会った。ブレヒトの戯曲を読むようになったのは千田氏の影響である。卒業後は学習院大学で講師をしていたが、夢は別にあった。
「俳優になりたかったんです」
そんな時、ドイツ学術交流会(DAAD)が行っている留学生試験に合格し、奨学金が出ることになった。ベルリンに行けばブレヒト劇を上演しているベルリナーアンサンブルも見れるはずだ・・・・。
当時、ベルリンは英米仏の3国の統治下にあったため、ドイツ留学を希望しても日本人がベルリンの大学に行くことはできなかった。そこで演劇学の教授のいたミュンヘン大学に行くことにした。期間は1年間。当時は旅費が出なかった。国公立大学の教員なら国から船賃が支給されたが、私学の学習院大学の場合には基準がなく、餞別として20万円をもらった。船旅であれば18万円だったが、思いがけない事情で飛行機に替えた。
「その頃、スエズ動乱で地中海ルートが閉ざされ、遠回りの喜望峰周りのルートしかありませんでした。船だと1ヶ月半ぐらいかかるとわかり、飛行機にしたんです」
飛行機はスカンジナビア航空で、片道25万円である。岩淵氏の当時の給料は2万円だったから、1年分に相当する破格の値段だ。
出発の朝、航空会社のハイヤーが自宅まで迎えに来た。海外旅行などほとんどなかった時代である。羽田空港には学友や家族が見送りに来てくれた。タラップに立つスナップも航空会社がサービスで撮影してくれたのだ。
北極周りの飛行ルートが出来たばかりで飛行機は羽田から一路東に向い、アンカレジを経て、33時間で中継地のアムステルダムに到着した。アムステルダムではサウナ風呂に案内された。白人客たちがみな素っ裸でサウナにたむろしており、1人ずつマッサージのサービスを受ける。
「おがくずみたいなもので背中をゴシゴシこすってくれました」
さらに飛行機をハンブルク、フランクフルト、デュッセルドルフと乗り継いでようやく目的地のミュンヘンに着いた。
心配は外貨を30ポンドしか持ち出せなかったことだ。1ポンドは千円だったから、3万円に相当する。給費が支給される1ヶ月先まで3万円で過ごさなくてはならない。乗り継ぎのハンブルグでは学生寮にタダで泊めてもらい、その他の都市でもつてをたどり、タダで泊めてもらった。
奨学金は1ヶ月250マルクだった。そのうち90マルクは家賃で消えた。住んでいたのは3階建ての民家の屋根裏部屋である。1マルクは86円だったから1ヶ月21500円の生活である。日本での給料とほぼ同額だったが、ドイツの物価は日本の倍だった。幸い飯ごうと米を売っていた。電熱器に乗せて毎日ご飯を炊く。おかずは生卵である。醤油がなかったからマギーソースを代用した。さらに飯ごうの蓋を使ってコンビーフとキャベツを煮た。
屋根裏部屋には友達が遊びに来た。千田是也氏の令嬢、伊藤モモコさんもその1人だ。彼女も当時、ミュンヘン大学に留学していたのだ。
岩淵氏は1年間のミュンヘン留学を終えると幸運にもベルリン自由大学で日本語を教える職につく事ができた。ベルリンに滞在したのは1960年までだ。ベルリンに壁が出来たのは1961年8月13日だからその少し前である。当時、東ドイツから西ドイツに向って人々が移住していた。当時のベルリンは面白いところだった。
村上良太
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