2010年12月03日11時36分掲載  無料記事
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アジア

【イサーンの村から】(11) 村の稲刈り 森本薫子

  11月。イサーンは稲刈りの時期。村では稲刈りをする農民の姿や積み重なった稲の山と脱穀車が見える。イサーンの個人農家は今でもほとんど手で稲を刈る。稲を刈り取って脱穀までしてくれるコンバインを持っている農家はほとんどない。コンバインを購入する費用、維持費、燃料費より、人件費の方がずっと安いからだ。 
 
◆いまはお金で済ますようになった 
 
  イサーンの農家は比較的大きな土地を所有しているので田んぼも広い。うちの田んぼは1ヘクタールだけれど、他の農家は2、3ヘクタールくらいでも普通だ。それを手で刈る作業は永遠に続く。家族内の労働力が足りない場合は、日雇いの人たちにお願いする。日雇い費は1日250バーツほど。これがこの辺りの農作業日雇いの相場だ。 
 
  昔はどこの農家も、田植えや稲刈りの際には親戚や村の仲間がお互いを手伝って終らせた。手伝ってもらった農家はお金を支払うのではなく、その日の食事やお酒を振舞うのだ。これをタイ語でロンケーク(共同作業・労働交換)と呼ぶ。でも最近は、お金を払い人を雇って行うことが多くなってきた。食事を振舞うのも大変だし逆にお金がかかったりするからだ。 
 
  うちも、母屋の屋根造りを村内の大工さんに頼んだときには毎日昼食を用意したのだが、これがいつも夫婦喧嘩の種になっていた。うちは普段は畑の限られた野菜中心の食事だが、大工さんが来ている間の昼食は魚と肉料理をたっぷりと用意しなければならなかった。時には仕事後のビールまで。「別に野菜料理でもいいんじゃん。なんで毎日ご馳走用意しなくちゃらならないの。ちゃんとお金払って雇ってるのに!」と私が文句を言うと、夫は「そんな料理ばかり出したらたちまち村内の噂になるよっ!あの家の食事はしょぼかったって! それに、ちゃんと仕事してくれなくなったらどうする!」・・・。そんな理由で仕事の手を抜くなんて、職人のプライドってものはないのか!と頭に来たが、それが村の常識のようだ・・。 
 
  これらが面倒でロンケークがなくなりつつあるのもわからなくもない。こういう感覚が村をだんだん都会化していくのか・・・。 
 
◆弥栄村の日本人はさすが作業が早かった 
 
  うちの農園はちょうど稲刈りが終ったところ。1年分の自家消費用のお米は取っておき、残りは精米所に売った。売ったのは約半分。全部で2トンほどとれたが、ほとんど自分達(といっても今は働き手は夫一人)とたまに親戚の叔父さんにもお願いし、全て手で刈り、手で脱穀。 
  イサーンでも脱穀は脱穀車にやってもらうことが多くなってきた今、手で脱穀している農家は少ない。一束ずつ、大きな板に叩き付けて米粒を落とすのだから、かなりの作業だ。2トンでは、稲の束が2000束ほどあるのだから。 
 
  今年はちょうど稲刈り・脱穀の時期に二つの日本人のグループが農園に農作業体験に来てくれたので、稲刈り・脱穀を手伝ってもらうことができた。最初のグループは農作業は始めての大学生や社会人6名だったので、作業は思うように進まず大変だったが、お米を作る苦労を理解することによって、食への感謝の気持ちが深まったと言ってくれたのが嬉しかった。 
  二つ目のグループは島根県浜田市弥栄の新規就農者の皆さん6名。自分の田んぼは田植えも稲刈りも機械を使っているから手で稲刈り・脱穀は初めてとのことだったが、さすが、コツをつかむのがうまいのか作業が速い!稲束をトラクターの乗せたり降ろしたりという運ぶ作業も、あっという間に終った。3日間の滞在だったが、かなりの作業が進んだ。おかげで稲が一番いい状態の時に刈り取ることができたので、お米の質も良く、精米所で調べてもらったら「砕けていないきれいなお米の割合」が52%だった。これはとてもいい率なのだ。 
 
  稲は「刈り時」をすぎるとどんどん質が悪くなるので、一気に刈るほうがいい。うちでは在来種などを含め5種類のお米を植えて稲刈りの時期が少しずつずれるようにしている。そうすれば、人を雇わずに少しずつ稲刈りができるからだ。しかし多くの農家は、ほとんどが自家用消費用のもち米と、売るのに人気品種の香り米(日本でいうところのコシヒカリ)なので、刈り時が重なってしまう。在来種よりも人気品種、これはタイの農家も日本の農家も同じようだ。 
 
◆「いいですよー、蛙くらい」 
 
  弥栄もイサーンにまけずに田舎村のようで、うちの農園では、掘っ立て小屋のような宿泊所でもあらゆる虫がでても、特に驚く様子もなく過ごしてくれた。女性を部屋に案内したときに、水浴び用のタンクに蛙が泳いでいたときは、ちょっと汗って急いで捕まえようとしたがスイスイ泳いで捕まえられない。「すいません・・ タンクに蛙が・・・」というと、「あ〜 大丈夫ですよ。蛙くらい。」と女性二人。さすが、田舎の人・・とほっとした。これが都会の大学生などだったら見られる前に必死で捕まえて出すところだ。 
 
  農村生活の共通点は多い。助け合う関係、思いやる気持ち、農民の技と知識、自分で食を生産する安心感、自然との共存、異常気象の影響、鬱陶しいうわさ話、閉鎖的な地域感覚、頼れない政府と行政、農民の高齢化、農業収入だけでは生活が成り立たない現状・・。イサーンの農村と日本の農村。いい面も悪い面も、多くが同じだった。でもそれだけに、お互いの存在がとても近く思えた。同じ方向を目指すもの同志、刺激と希望を与え合う仲間が増えていく。 


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