2010年12月04日09時14分掲載  無料記事
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検証・メディア

ビデオ流出とメディアの報道 目先の現象だけに振り回されないように 藤田博司

  いわゆる尖閣ビデオの流出をめぐって、野党の民主党叩きが一層熱を帯びている。政府の情報管理をやり玉に挙げる。国土交通相や海上保安庁長官の責任を問う。果ては政府の「統治能力の欠如」まであげつらう。鬼の首を取ったかのようなはしゃぎよう、と傍目には映る。 
 
 政治家ばかりではない。新聞やテレビの報道も、相当の過熱ぶりだ。ビデオ流出の集中豪雨的な報道もさることながら、菅政権の対中外交にも容赦ない批判を浴びせている。日中首脳会談の不首尾を騒ぎ立てる光景には、どこかで見たような記憶がよみがえる。思い当たるのは、鳩山前政権の普天間問題の扱いをめぐるメディアの報道だ。 
 
▽中国「激高」の裏付けは 
 昨年秋、政権発足当初に普天間基地の「少なくとも沖縄県外移設」を打ち出していた鳩山首相の方針を、新聞もテレビもそろって日米関係を損なうものだと批判した。鳩山首相の迷走が始まると追い打ちをかけるように、米国が望んでいるのは沖縄県内辺野古への移設だと、まるで米政府を代弁するかのような報道を繰り返したものだった。 
 
 尖閣諸島での漁船衝突事件をきっかけに日中関係のぎくしゃくすると、メディアは中国政府の言動に一喜一憂した。中国側が強硬姿勢を見せると、たちまち菅外交の弱腰や無策を責め立てる。ブリュッセルやハノイで開かれた国際会議の場では、形ばかりの日中首脳会談が開かれるかどうかばかりが、ニュースの焦点になった。 
 
 十月三十日の『朝日新聞』朝刊には「中国、土壇場で激高/日中首脳会談見送り」との見出しが躍っていた。ハノイでの首脳会談をめぐる駆け引きを伝えたこの記事は、中国側が「激しい怒りをあらわにした」と書いていた。しかし長文の記事のどこにも、「激しい怒り」を裏付けるような事実を、少なくとも筆者は読み取れなかった。 
 
 同じ記事の中で「中国筋」の話として「中国はすごく怒っている。いや怒っていると見せなければならない状況にある」ということばが紹介されている。記者が「激しい怒り」と見てとったのは見せかけの「激しい怒り」だったのかもしれない。だとすれば、中国「激高」という伝え方は一方的な過剰反応だったのではないか。 
 
 APEC首脳会議での日中首脳会談にしても、実現するかどうかでメディアは気をもみ、実現するとわずか二十二分の短い会談での乏しい成果をあげつらう。そんな報道にいったいどれほどの意味があるのか、読者、視聴者の目で見ると首をかしげざるを得ない。 
 
▽間違えた「逮捕の方針」 
 尖閣ビデオの流出をめぐる一連の報道も、メディアは冷静さを欠いていたのではないか。海上保安庁の保安官がビデオをインターネット上に流出させたのは自分だと名乗り出た十一月十日、いくつかの新聞は夕刊で早々と「海保職員、逮捕へ」と伝えていた。 
 
 十一日の朝刊では「近く逮捕する方針」「逮捕を視野に取り調べ」などと書き、『朝日』はその日の夕刊で「容疑が固まりしだい同日中にも逮捕する方針だ」と断定的に報じていた。しかし保安官は十二日まで三日間、任意での取り調べを受けたものの、新聞が予告したように逮捕されるには至らなかった。 
 
 その後週明け十五日に捜査当局は、最高検、東京地検と警視庁の協議で、保安官を逮捕せず、任意での捜査を続けることを決定した。逃亡や証拠隠滅の恐れもなく、流出したビデオの機密性にも疑問が持たれているためという。 
 
 各紙は十六日朝刊でこの決定を大きく伝えたが、ほんの数日前、逮捕を当局側の既定の方針のように報じたことにはいっさい触れていなかった。情報の出所も示さず「逮捕の方針」を伝えた報道は、誤報と見なされても仕方あるまい。新聞にはこの誤報の経緯を読者にきちんと説明する責任があるはずだが、責任が果たされた様子はない。 
 
 一年半前、裁判員制度の実施を契機に、報道各社は事件報道の指針を設けたはずだった。指針では、犯人視報道を防ぐためのひとつの手立てとして情報源をできるだけ明示することがうたわれている。しかし「逮捕の方針」と伝えた報道はこの指針をあっさり無視していた。 
 
▽目先の党利党略で議論 
 この数カ月、菅政権は手に余る課題にもみくちゃにされている。次々と政権に降りかかる難題に、野党はここを先途とばかり攻勢を強めている。政権の情報管理から統治能力、外交戦略まで、攻撃の材料には事欠かない。しかし与党時代の自民党や公明党もそれぞれの分野でどれほどまともなことをしてきたか、民主党に批判を投げつける前に自らに向かって問うてみるがいい。 
 
 確かに政権与党となった民主党の公約不履行や未熟、不手際は目に余る。が、それをいま居丈高に非難、攻撃できるほど立派なことを政権与党時代の自民党や公明党がやったのかどうか、有権者はしっかり見抜いている。 
 
 日米関係も日中関係も、そして目前のビデオ流出問題も、政治家は目先の党利党略でしか議論していないように見える。本来なら、長期的な視点で日本の将来を考え、内政・外交の戦略を組み立てたうえで当面の課題にも取り組んでもらいたいところだ。しかしいまの日本の政党、政治家にそれを期待できるかどうか、はなはだ心もとない。 
 
 同じような心もとなさは、ジャーナリズムの仕事についても言える。日々の出来事を記録することが主な仕事のニュース報道が、ともすれば目先の事象に振り回されやすいことは、ある程度、理解できる。衝撃的な話題に過剰に反応し、先走ったり行き過ぎたりすることもままある。が、そんな場合でもどこかでブレーキをかけ、正常な状態に戻れるようでなければ、報道そのものがいずれは信用されなくなる。 
 
▽本質見据えた報道を 
 先走りや行き過ぎを防ぐには、常に仕事を検証することが必要だ。捜査当局が保安官を「逮捕する方針」だと断定的に報じたことは、控えめに見ても先走りだろう。メディアはその原因がどこにあったかを検証し、間違いを率直に認めるべきだろう。それを読者、視聴者に説明する責任も果たさねばならない。 
 
 しかしそれにもまして大事なことは、日々の報道が目先の現象だけに振り回されないよう、出来事のより本質的な部分に目を向けた報道活動を心がけることだ。中国側が日中首脳会談に応じるかどうかは、今後の日中関係を占ううえでむろん報道すべきニュースではある。しかし目先の動向ばかりに目を奪われていると、長期的な事態の流れを見失う。 
 
 日中関係をめぐる中国政府の出方に一喜一憂するのではなく、中国の世界戦略を正確に分析し、日本としてそれに対処する戦略を持って日中関係を見ていないと、メディアもまた民主党政権と同じように、場当たり的な報道に終始する結果になりかねない。 
 
 菅首相はこのところ事あるごとに日中間の「戦略的互恵関係」を口にしている。しかしその中身が何を意味しているのか、具体的に国民に説明されているようには思えない。メディアがそれを詳しく問いただしたことがあるのかどうかも、定かではない。首相のことばをオウム返しで繰り返すのではなく、その内容を検証することもメディアの役割であるはずだ。 
 
 政治家もメディアも本来、求められているのは公共への奉仕だろう。ビデオの流出や形ばかりの首脳会談の成否ばかりにこだわっていては、それぞれの果たすべき役割を見失ってしまう。とりわけメディアは政治家の振る舞いを監視しなければならない役割も担っている。日々の仕事を謙虚に反省し大局を踏まえて、バランスのとれた報道を心がけることを促したい。 
 
*本稿は新聞通信調査会発行の月刊冊子『メディア展望』2010年12月号に掲載された「メディア談話室」の転載です。 
(見出しは一部修正しました) 


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