2010年12月31日05時20分掲載
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コラム
悪夢の思い出 村上良太
悪夢に苦しめられた経験は誰にもあるだろう。僕がこの間見た悪夢は次のようなものだった。
友人と二人、山から下りてきたらあたりはどっぷり暗く、田舎の駅には灯がついている。そのとき、手ぶらの自分にはっと気づく。「しまった、鞄を忘れてきた!」山の頂上にある寺にちがいない。鞄なしで列車に乗るわけにはいかない。しかし、山寺に戻るのは限りなく不気味だ。それでも僕は友人に別れ、下りてきた山道を1人駆け上る・・・・
目が醒めると、夢の中で駆けたためだろうか、足が引きつるようにはっている。夢を見ながら足をバタバタ動かしていたのだろうか。夢は時々の心理を反映している。もう若くないのだ。でも、何か肝心なことを忘れてしまった。もう遅い。夢の中で駆け回り、起きると疲れきっていることがある。
15年ぐらい前に繰り返し見た悪夢は少し違う。だが、多少バリエーションはあるが基本形は同じだ。
僕は教室にいる。なぜか居心地が悪い。季節は秋から冬である。居心地が悪いのは単位が取れるのか取れないのか、出席日数がわからないからだ。出席日数が足りないと留年になってしまう。今までさぼってきたことだけはわかる。それもかなりさぼってきた。ほとんどまったく授業に出席しなかったのだ。だが、残りを頑張れば何とかなるのか、もうダメなのか。そこがはっきりしないために不安がこみ上げてくる。
これにはバリエーションがある。教科が数学の場合と体育の場合だ。また、大学入試を控えた高校3年生のバージョンもあった。季節は晩秋の11月か、12月だ。今までさんざん勉学をさぼってきた。しかし、入試はそこまで迫ってきている。今からでも頑張れば何とかなるのか、ならないのか。不安にうなされる。
この夢は30歳の頃に繰り返し見た。職業人として一人前になれるのか、なれずに転職すべきか迷っていた頃だ。このまま、続けるべきか、方向転換すべきか。ふんぎりがつかない苦しさがある。
子供の頃の悪夢はもっとシンプルだった。荒唐無稽な怪物に追いかけられる夢だった。傘のおばけに追いかけられたことがあった。走って逃げるのだがまったく遅く、一本足の傘の怪物はぴょんぴょん近づいてくる。
悪夢の思い出をたどっていくと、人生の節目節目に悪夢を見ている事がわかる。人生がこれから始まる頃には未知の怪物の幻影におびえ、成人すると一人前になれるかなれないかで悩み、人生も後半にさしかかると、遣り残してきたこと、できなかったことに胸が痛む。僕の場合、悪夢の苦しみはしばしば迷いを明示しているように思える。今からでもまだ間に合うかもしれない。そんな思いもあるのだろう。
村上良太
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