2011年01月25日13時19分掲載
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医療/健康
抗がん剤と早期がん検診の意味はないー最近の「がんもどき」論争から 崔勝久
本紙1月23日付けに、「近藤誠は生きていた!−『がんもどき』理論の最終見解について」を書きましたが、この近藤さんの提起が、ここのところマスコミで話題になっているようです。『文芸春秋』新年号で近藤誠は「抗がん剤は効かない」を発表し、翌2月号で、「患者代表・立花隆、近藤誠に質す」という対談が掲載されています『週刊現代』1月29日号は「「大論争」抗がん剤治療は本当にだめなのか」と二人の論争を受けた形で記事にしています。
立花隆は東大病院の取材中に膀胱がんが見つかり手術をし、NHKスぺシャル「立花隆 がん 生と死の謎に挑む」で詳しく取材し癌発生のメカニズムと治療効果について遺伝子レベルで検証したので、近藤誠に抗がん剤について質すにはもっとも適切な人物なのでしょう。
しかし立花は患者の立場からの思いは述べますが、「抗がん剤で治った、早期発見で助かったという個人的な経験からは抗がん剤による延命効果の証明にはならず、あくまでも薬として認定するには厳密な科学的なデータが必要で、現在はそのようになっていない」という近藤の主張を認めます。
これまでの殺細胞毒としての抗がん剤は正常細胞を無差別に攻撃し、現在の分子標的薬についても(これからは可能性はあるだろうが)認定に値しないというのが近藤誠の主張です。がん検診などによる早期発見も延命率に影響しないというのですから、それは放っておいても「憎悪」しない、つまり増大したり転移しない癌であったと見るべきなのでしょう。特に悪いところがない限り、がん検診や人間ドックなどを受けるということを敢えて避けることが重要だという皮肉な結論になりそうです。
抗がん剤の副作用や「縮命効果」は必要悪と思われているようですが、昨年亡くなった芸能リポーターの梨本勝や、筑紫哲也が抗がん剤によって命を縮めていることからしても、患者はもっと抗がん剤の怖さと有効性を自分で知る努力をして、癌自体と向き合うことが必要なようです。二人の結論は、癌は「決してエイリアンでも敵でもなくて、自分自身(の細胞―崔)であって、自分の生命現象のある種の必然としてできている」ということです。Watch and Wait、慌てず、癌の様子を見る勇気が必要なようですね。ただし抗がん剤は、悪性リンパ腫や一部の固形がんには有効な治療法であることは忘れずに。
『週刊現代は』国立がん研究センターの医師の、近藤論文の間違いと「ウソ」(これはないでしょう!)いう発言を紹介します。記事としてはバランスがとれていて、「一人一人に抗がん剤がどう出るのかは、投与してみないとわからない。いわばバクチと同じです」というのが結論です。「個々の患者に合わせた細やかな・・治療」が重要というのです。しかしがん検診で即入院させられ、手術をしてその後の抗がん剤投入ですぐに死んでしまった例を身近に見る機会も多く、たとえ癌であってもQuality of Lifeを保ちながら、自分自身と向き合いたいものです。
バクチで磨(す)るのは本人の勝手ですが、やり残したことが多くなんとか生きたいと願いながらも、医師の言うことを聞くしか他に選択肢がないというは医療のあり方の問題です。特に手術後の抗がん剤の服用の個人負担は大変なもので、ましてやそれが保険で賄われるというのであれば、これは社会問題として取り上げられなければならないですね。みなさん、いかがでしょうか。
最後に近藤誠の一言を引用します。「(医者は)目の前の患者によかれと思っているでしょう。しかし、よかれと思っているということと、歴史的あるいは客観的に見て、その手術や治療法が妥当か、ということは別問題なんです」。欧米で既にハルステッド法という、皮一枚しか残さない乳がんの手術が問題になっていたときに、日本の医学界の「常識」から全摘手術を受けるしかなかった妻の経験から、私はこの言葉に心から同意します。
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