2011年02月06日19時57分掲載
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検証・メディア
機密情報を暴露する「ウィキリークス」のこれまで −7日から、アサンジ代表の移送手続き本格審理が開始
内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者で英国に滞在中のジュリアン・アサンジ氏が、スウェーデンでの性犯罪容疑で同国への身柄引き渡しを求められている件で、英国の裁判所は、7日と8日の両日、本格審理を行う。審理開始後、結審までには数ヶ月を要するといわれているが、ここで改めて、ウィキリークスとは何かをまとめてみた。以下は「英国ニュース・ダイジェスト」(2011年1月20日号)掲載分に若干補足したものである。(ロンドン=小林恭子)
昨年来、匿名で政府や企業などの機密情報を公開するサイト、ウィキリークス(WikiLeaks)が、頻繁に話題に上っている。
これまでに、9・11米大規模テロの際に送受信されたポケットベルのメッセージ約57万件、ケニアの元大統領による巨大汚職の暴露(これで国際人権団体アムネスティー・インターナショナルから09年、人権報道賞を受賞)、英イーストアングリア大学の研究者の気候変更に関する電子メールなどを公表してきた。
昨年4月には、イラクで米軍のヘリコプターがロイター通信のカメラマンや民間人を攻撃する映像を公開。続いてアフガニスタン駐留米軍に関わる機密文書を9万点以上(7月末)、イラク戦争に関する米軍の機密文書を約40万点の米軍の機密文書(10月末)、そして11月末からは25万点に上る米国の外交公電の公開を開始。こうした大量の情報公開は「メガリーク」と呼ばれ、米ニューヨーク・タイムズや英ガーディアンなど世界の大手報道機関と公開時期を合わせ、大々的に報道された。
外交公電は、各国首脳陣のゴシップ話的論評とともに、安全保障上の機密情報も含まれており、米政府高官らは「米国および諸外国の外交利益に大きな影響を及ぼす」と非難。米政治家の一部では「アサンジはテロリスト、殺害されるべき」とする声も出た。一方、「国境なき記者団」を含め、多くのジャーナリズム団体がウィキリークス活動を報道の自由の一環として擁護している。
―アサンジの横顔
ウィキリークスの創設者、ジュリアン・アサンジは1971年、オーストラリアのクイーンズランド州生まれ。現在、39歳。これまでに、サイト創設者以外には、ジャーナリスト、インターネット活動家と称することもある。
スウェーデンで起きた性犯罪容疑(本人は否定)で、昨年末、滞在中のロンドンで逮捕されたが、保釈後は、支援家の家に居住中だ。
幼少時に両親が離婚し、母親は再婚したものの、国内を点々とする生活が続いた。16歳で「メンダックス」という別名を持つコンピューター・ハッカーに。1992年、カナダの電話会社などへのハッキングの罪で有罪となり、その後はプログラマー、フリーウェア開発者としてデータ暗号化、検索エンジンの開発に関わる。内縁の妻(現在は別れている)との間に息子が一人。メルボルン大学で物理学と数学などを学んだ。昨年、米政府・軍関連の機密情報を大量に公開したことから世界中の注目の的となる。「変わり者」と言われ、特定の居住場所を持たず、昼夜関係なくコンピューターを使って活動する。
―ウィキリークスへの包囲網
昨年11月末の米外交公電以降、ウィキリークスやアサンジ氏に対し、その活動を阻むような動きが発生した。サーバーを提供してきた米アマゾン、ネット決済の米ペイパル、クレジットカードの米大手ビザやマスターカードが、それぞれウィキリークスとの取引を停止したのである。また、アサンジ氏に対する性犯罪容疑の逮捕状が出され、国際刑事警察機構がアサンジ氏を国際手配するまでの大事に発展した。
ところが逮捕の翌日から、ビザ、ペイパル、アマゾンなどのウェブサイトがサイバー攻撃にあう。こうした攻撃をする人々は「アナニマス(匿名)」と呼ばれ、ウィキリークスに対する米企業などの「攻撃」への反撃活動を独自に行っている。
12月中旬、アサンジ氏に保釈が認められたが、身体に電子タグを付け、夜間行動規制がつく。毎日、一回は最寄の警察署に出頭する義務もある。スウェーデン当局は同国へのアサンジ氏の移送を要求しているが、アサンジ氏側はこれに抵抗している。スウェーデンから米国へ移送されることを同氏は恐れているといわれている。
―内部告発は悪なのか
一方、機密情報漏えいの疑いで逮捕されたブラッドレー・マニング米上等兵は、軍法会議にかけられる予定だ。有罪となった場合、一説には計50年余の禁固刑となるという。
1970年代には、米国の極秘資料「ペンタゴン文書」(関連キーワード参照)を、ベトナム戦争の早期終結を願った調査員ダニエル・エルスバーグが米報道機関にリークした。エルスバーグ氏はスパイ法を含む様々な重罪違反とされ、有罪となれば115年の禁固刑に服する可能性があった。しかし、最終的に、最高裁の判定で、エルスバーグ氏に対する起訴内容はすべて取り下げられた。
ウィキリークスは、その人の「立ち位置」によって評価が変わる。為政者や組織の側からすれば、機密を漏らす内部告発サイトは好ましくないものだ。一方、同サイトを通じて国民がその情報の機密性を含めた是非を判断できるとすれば、民主主義社会に貢献する動きでもある。好むと好まざるに関わらず、私たちはウィキリークスのようサイトが存在する時代に生きている。
―関連キーワードPentagon Papers:「ペンタゴン文書」あるいは「ペンタゴン・ペーパーズ」。
ロバート・マクナマラ国防相の指示の下、作成された極秘報告書「ベトナムにおける政策決定の歴史1945−1968年」を指す。全7000頁、47巻構成で、ルーズベルト大統領時代にはじまる米国のインドシナへの政策を網羅する。
この報告書の内容はシンクタンクの調査員ダニエル・エルズバーグによって、米ニューヨーク・タイムズ紙にリークされた。米政府がベトナム戦争を故意に長期化させたことなどを暴露し、後に米国がベトナムから撤退する一因となったといわれている。
政府は報道差止め令を裁判所に出させたが、審理の結果、差止め令は解除された。米国のメディア史上で、報道の自由をうたう米国憲法修正第一条を改めて確認した画期的事件とされている。
―ウィキリークス事件の経緯
2006年末:ジュリアン・アサンジが内部告発サイト「ウィキリークス」の創設準備
2007年:活動開始。
2010年4月:イラクで米軍ヘリコプターから撮影したカメラマンや民間人の攻撃映像を公表。
6月:米陸軍情報分析官ブラッドリー・マニング上等兵が、情報漏えい関連で逮捕される。
7月上旬:政府が、マニング兵を機密情報不正入手の罪で訴追。
25日:アフガニスタン駐留米軍の文書約9万点をサイト上で公開。
8月:アサンジ氏、スウェーデン滞在中に、女性二人と出会う。スウェーデン当局がアサンジ氏に対し、この女性たちを巡る強姦などの容疑で逮捕状を出す。後、取り下げ。
10月23日:イラク戦争に関わる駐留米軍の極秘文書40万点以上を公開。
11月18日:スウェーデン当局が、アサンジ氏に対し、再び性犯罪容疑で逮捕状を出す。
28日:米国の外交公電の公開開始。
30日:国際刑事警察機構がアサンジ氏を性犯罪容疑で国際手配。
12月1日:アマゾンがウィキリークスへのサーバー貸し出しを停止。
2日:スウェーデン最高裁が、逮捕状撤回を求めたアサンジ氏の異議申し立てを拒否。
4日:米ペイパルがウィキリークスへの寄付金の送金業務停止。
6日:スイス郵政公社が、アサンジ氏名義の口座を閉鎖。
7日:英国にいたアサンジ氏が、警察に出頭し、性犯罪容疑で逮捕。米ビザがウィキリークスとの取引を停止。
8日:スウェーデン検察庁、スイス郵政公社、マスターカード、ペイパル、ビザなどのサイトが何者かにハッカー攻撃を受けていることが発覚。
16日:アサンジ氏、保釈される。
19日:米バンク・オブ・アメリカがウィキリークスとの取引停止を宣言。
22日:米アップルが、アイフォーン用のウィキリークス閲読アプリの販売停止。
2011年1月11日:スウェーデンへの身柄引き渡しを巡る予備審理
2月7日、8日:移送審理、開始
(資料:BBC,ガーディアン他)
(「英国ニュースダイジェスト」2011年1月20日掲載分に補足。)
http://www.news-digest.co.uk/news/content/view/7388/263/
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