2011年02月26日20時33分掲載
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教育
公教育の辺境から学べること 瀬川正仁
一昨年、バジリコという出版社から『若者たち〜夜間定時制高校から視えるニッポン』を出した。その本を読んだ岩波書店の編集者から連絡をいただき、月刊『世界』で教育をテーマにした連載を1年にわたって書かせてもらうことになった。3月8日発売になる4月号から始まる。
テーマはずばり「教育のチカラ」だ。このところ教育現場からどんどん活気が失われている。そうした中で元気のある学校、あるいは単なる知識の詰め込みではなく、人が人として成長してゆける公教育の現場を紹介するのがこの連載の目的である。
かつて高い教育を受けることが、幸福へのパスポートだった時代があった。それがモチベーション、つまり餌のニンジンとなって、子どもたちを机に向かわせることができた。だが、今では少子化の影響で大学全入時代が始まっている。高望みせず、お金さえあれば誰でも大学に入れる一方、日本の経済が縮小する中、一流と呼ばれる大学を出たからといって、必ずしも良い仕事に就けるとは限らない。その結果、学校が少しでも楽しいと感じられる子供たちはともかく、そうでない子供たちにとって、長年、学校に縛り付けられていることは苦痛以外の何ものでもなくなってきている。
教育現場の混乱にはこうした社会的背景があるにもかかわらず、文部科学省は「国際競争力をつけるため」という言葉を呪文のように唱えて、よりいっそうの詰め込み教育を推し進め、子供たちばかりでなく、教師をも追いつめようとしている。
今回、私が注目したのは『若者たち〜夜間定時制高校から視えるニッポン』でも伝えた「公教育の辺境」である。つまり、学力競争のらち外にあるため、学力至上主義の中では行えない様々な取り組みがなされ、その中で子供たち(ときに大人たち)が生きる意欲や、生きる力を身につけている、そんな教育現場である。
連載の一回目は、伊豆半島にある東京都中央区が運営する宇佐美学園、いわゆる「健康学園」である。健康学園は東京都内のいくつかの自治体が持つ、本来は病弱児童のための学習支援施設である。だが現実には、病弱児童だけでなく、様々な理由で教室からはじき出されたり、親や本人の意志で飛び出してきた小学生31人が在籍している。子どもたちは寮で共同生活を送り、自然体験などをしながら、少人数ならではの目配りが行き届いた指導の下、日々成長している。そしてその中で、心の傷や様々なハンディを抱えた子どもたちが再生していっている。
夜間定時制高校もそうだが、経済効率を優先する教育行政の中で、少数者のための質の高い教育現場が、財政難を理由に次々に消えていっている。健康学園もそんな学校のひとつだ。かつて、東京都のほとんどの特別区にあった健康学園も、今世紀に入って閉園が相次ぎ、現在7校を残すのみだ。しかも、その中にもすでに廃園を決めていたり、検討しているところもある。
日本は、GDPに占める教育予算の割合が先進国の中で下から2番目、その意味では教育貧国である。教育は国家の根幹に関わる問題であり、当然のことながら金がかかる事業だ。子ども手当のようなばらまきではなく、どうしたら教育現場に生きた金が流れてゆくのか、考えてもらう機会になればと思う。
瀬川正仁
(ドキュメンタリーディレクター・ノンフィクション作家)
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