2011年03月02日20時49分掲載
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ロシアの対外戦略と中国 井出敬二
筆者は昨秋から3回目のモスクワ勤務をしているが、10年前と比べて日本食レストランが非常に増えたことに驚いた。日本人でないコックが巻寿司だけを作って出すような店も含めて数百店あるようだ。他方、中華レストランは質量ともに劣っている。その理由は、ロシア人の嗜好のみならず、中国人の査証や労働許可、中国資本の対露進出などの諸点からも検討されるべきだろう。
ロシアは中国をどう見ているのか? 中国はこの10年間の顕著な経済発展でGDPが世界第2位になり、蓄積した外貨を背景に活発な対外投融資も通じて資源確保などの国益を追求している。同時に政治・外交面でも種々主張を強めている。ソ連邦崩壊後のロシアは対中関係改善を進め、頻繁に中露首脳会談を行い、良好な関係を誇示している。資源輸出先多角化からも中国を重視、パイプライン経由の対中石油輸出も最近開始し、ガス輸出開始のための交渉も精力的に続けている。
中露両国とも日本の外交・経済にとり重要だが、両国関係にはさまざまな議論や変化の要素もある。主にロシア側から見て、その展望をこの小文で試みたいと思う。
▽ロシア人の対中国観に変化
外務省がロシアで行った世論調査によれば、ロシア人の対中感情は、親近感という点では対欧米日に劣るが、重要なパートナーとの認識は驚くほど高い。
世論調査だけではよく分からないのが、多くのロシア人が中国を漠然と怖れているとの説の正否である。『中国の脅威』(O .グラズノフ著)、『ロシアは中国を恐れるべきか』(A
.ベズズブコフ=コンダコフ、I.ドロカノフ共著)といった本が昨年モスクワで出版されている。これらをあまり過大視するのも不適当であり、ロシアの現政権は中国脅威論を公式には否定しているが、ロシア人の深層心理を理解する作業も必要である。
過去、ソ連は中国をいわば弟として扱い、優位な立場にいたと感じてきた。しかしソ連(ロシア)=兄、中国=弟という関係は大きく変化した。カーネギー・モスクワセンターのトレーニン所長は、この300年の中で現在は中国がロシアよりも強大になり、ダイナミックに発展している国として現れた初めての時代だと述べている。同氏は、中国の発展に比べロシアが遅れをとったことを認め、中国が今やロシアを見下げ、ロシアがこのままであれば、いずれ相手にされなくなってしまうとの懸念を表明している。
欧州との関係強化を主張し、ロシア現政権にも影響力があるカラガノフ外交防衛政策評議会議長は、中国の経済・地政学的な躍進はロシアにとり中期的には利益だが、長期的にはロシアにとり問題となりかねないとその著作で示唆している。
インテリ向け新聞の『独立新聞』レムチュコフ社主兼編集長は、昨秋、中国はロシアにとって戦略的な脅威だとラジオ番組で発言している。中国のレアアース輸出問題に関しては、ロシアのマスコミでも中国に警戒する論調が出た。(ちなみにトレーニン氏もレムチュコフ氏も対日関係強化を主張し、北方領土問題などの日本との問題を何らかのかたちで解決すべきと主張している)
▽外交・内政で近い両国
両国は、政治・外交的には1996年に戦略的協力パートナーになり、97年4月に多極化世界と新国際秩序形成に関する中露共同宣言を発し、2001年7月に善隣友好協力条約を締結した。05年までに最終的な国境画定を済ませ、05年に初の共同軍事演習を実施した。
ロシアにとり、多極化を推進し米(と同盟国)に対するネットワーク構築との観点から、対中関係強化は戦略的に重要である。ロシアは対中武器輸出も熱心である(最近はインド、ベトナムとの協力強化も目立つ)。ロシアは中印との3カ国協力を提案し、シンクタンクや外務大臣の交流を強化している。さらにブラジルを加えたBRICsの枠組で、ロシアが主導して 09年に第1回サミットをエカテリンブルグで開催した。
中国もロシアを、資源調達先、多極化、中央アジア政策(上海協力機構)などの観点から、重要なパートナーとして位置づけ、協力を推進している。ただし、中国は南オセチア、アブハジアの独立を承認せず、中央アジア諸国も、この問題ではロシアに同調していない。
中露は国連安保理事会の常任理事国という点では古い政治勢力だが、新興勢力のリーダーとしてふるまっている。ただし、この2つの立場は背反する面もある。新世界秩序構築は、古い政治勢力の既得権益を掘り崩すことにつながり得る。
国内事情は種々異なるが、現在の両国の国内政策はある意味で「親和性」が高い。昨年のノーベル平和賞をめぐる国際的議論の中でもロシア政府は静かな態度をとった。中国も資源への政府の統制強化で、ロシアを参考にしたとの見方もある。
▽中国の経済拡大と露の対応
昨秋全ロシアで8年ぶりに国勢調査が行われ、メドヴェージェフ大統領、プーチン首相が国勢調査員の質問に夫妻で答えている様子が報じられた。中国人が中国語で書かれた国勢調査質問表に記入している様子もテレビで報じられた。プーチン首相は、本調査は、社会問題、防衛、開発のために非常に重要と述べた。
中露の人口動態は国力のバランスを測る一要素だが、長期的にロシアの人口が減り続け中国の人口はまだしばらくは増えると見通されている。
極東研究所アレクサンドロヴァ氏は、ソ連極東の人口が、ソ連邦崩壊の1991年から 07年にかけて、805万人から648万人と157万人、19.5%減少し、減少の原因の86.4%は他地域への移住、残りの13.6%は死亡による自然減としている。同氏は、ロシア極東部での中国との経済関係のあり方に厳しい批判をしている。09年9月、胡錦濤主席とメドヴェージェフ大統領は、両国の近接地域での経済協力に関するプログラム(213協力項目)に署名した。同氏は、このプログラムはロシアにとって有益ではなく危険、ロシアの役人に長期的展望がないとその著作で述べている。
筆者は昨年6月に黒龍江省社会科学院がハルビン市で開催した地域経済協力についての国際シンポジウムに参加し、中露の学者の議論を傍聴した。ロシア人学者たちは、中国がロシアの資源獲得と労働力輸出をしていることに懸念と不満を表明した。逆に中国人学者たちは、ロシアではビジネス環境が整っていないから製造分野に投資できない、ロシア入国のための査証取得や入国手続きも改善してほしいと述べていた。
極東研究所バジェノヴァ研究員は、その著『中国の13億の人口』(09年刊)で、ロシアが対中国人査証を廃止した93年当時の中国人移民数は約75万人だが、現在の中国人移民者数はロシアの人口の0.2%(約28万人)以下であり、またロシア政府が06年末に、ロシア市場での外国人による交易を禁止したことから、中国人商人が退去したと指摘している。ロシア政府は、外国人労働者の人数に枠を与えているが、経済危機後、枠を小さくした。すなわち、09年398万人から10年に194万人、11年に175万人に減らしている。ロシア全体で外国人労働者が減らされる中で、中国人労働者も減少したことになっている。
ロシアは国境周辺の土地の外国人による取得を禁じており、最近関連制度が整備された。
プーチン首相は中国について興味深い発言をしている。昨年9月にアムール州を訪問した際、記者から「ブラゴベシェンスクには多くの中国人がいる。いかにして中国経済の(ロシアへの)拡大を止めるか?」と問われ、「中国経済の拡大があるとは思わない。中国は目的に沿った政策により発展した。われわれは自分の仕事を行うことでのみ勝てる。われわれは自分自身の土地を開発すべきだ。カムチャッカ、サハリン、沿海地方、アムール州で経済社会発展を強化すべき。今回の旅行中に話した計画が実現すればうまくいく。そうすれば(中国とも)快適な協力ができる」。また「ロシア漁民は中国の漁船を借りた方が良いと述べている」との問に対し、「極東に近代的造船所2つを日韓と協力して新設する」と答えている。
プーチン首相は、このインタビューで、中国の廉価な消費財とは競争できないが、ハイテク製品や武器では中国より優れていると述べている。他方、昨年5月のインタビューで、ロシア・カザフスタン・ベラルーシ3カ国関税同盟に関して、カザフスタン経由の中国製品のロシアへの流入がロシア軽工業に打撃を与えると警戒を表明している。
▽中国の対露投融資、世界第3位に
メドヴェージェフ大統領・プーチン首相のタンデム体制が成立した08年以降、両首脳は頻繁に極東、東シベリアを訪問し、開発に配慮する姿勢を示している。同地域でいかなる産業を興すべきかについて、プーチン首相は、昨年9月、バルダイ会議(各国のロシア専門家との会議)参加者に対して、資源関連以外に航空機、造船、宇宙を挙げており、そのための協力パートナーとして、仏、伊、米、日本、韓国を挙げている。中国との関係について製造業分野の言及はなく、資源分野での協力を重視している。昨年11月、プーチン首相は温家宝総理と会談後、インフラ、輸送関連プロジェクトでの中国からの大きな投資がなされたと述べ、今後も投資協力の展望があると述べている。
ロシア側公表の対露投融資統計によれば、中国からの対露投融資は09年に著増した(98億ドル。全世界からの対露投融資総額819億ドルの11.9%)。過去中国は対露投融資国の上位 10位に入ったことはなかったが、09年で第3位に躍り出た。これは09年2月、借款および石油供給に関する協議文書が中露で結ばれ、中国から露への250億米ドル借款と、露から対中石油供給が合意されたことに伴い、東シベリア・太平洋石油パイプライン建設向け融資が行われたためと見られる。ちなみに09年の日本からの対露投融資は30億ドルで3.7%を占める。対露投融資残高累計(09年末時点)で中国6位、日本9位である(表2)。なお、日本側統計による日本の直接投資累積額(09年末時点)は、対露は対中のわずか約58分の1である。日本からの対中投資が中国経済の発展、近代化に大きな役割を果たした点は、ロシアではまだよく理解されていないように感じる。
中国の対露輸出は、09年世界からの対ロシア投融資は08年比で47.1%も減少したが、その原因として、露経済の低迷以外に、露側保護貿易主義、「灰色通関」排除、外国人小売商圧迫などによるとの見方を、黒竜江省社会科学院劉爽副院長は示している。ちなみに 10年は09年比で69%伸び、08年の約9割の水準まで回復した。
▽中露国境画定と歴史認識
中露間の領土問題はヘイシャーズ島などの境界画定により全て決着されたとされている。唐家せん元外交部長・国務委員の回顧録(09年刊)によれば、ロシアが占有していた同島について、01年6月にプーチン大統領が江沢民主席に対して妥協を示唆し、同年11月露側が土地を譲る具体的提案をした。04年10月に両国外相が署名し、05年春に批准した「中露東部国境補充協定」で、4300kmの国境全てが画定された。
他方、極東研究所ガレノヴィチ氏は、その著(09年刊)で日中間の歴史問題を検討しつつ、露中間の問題の存在を指摘している。日本の歴史教科書に対する中国からの抗議、領土・海洋主権に関する中国の強硬な態度に注目した上で、中国は、ロシアが中国領土を強奪・占領した歴史的事実を認めるべきとの立場だと懸念を述べている。中露間で領土問題が再燃するとも考えにくいが、ロシアにとり中国の歴史認識は不快なようである。
なお、中国とロシアは、他の第三国と抱えている領土問題について、必ずしも相手国の主張を支持していない場合も見受けられる。
▽戦略環境の変化と日本
ロシアは東の中国、西の欧州を戦略的パートナーと表現している(インド、ベトナムも戦略的パートナー)。戦略的パートナー関係をさらに推し進めるものとしてロシアは欧州を重視し、経済共同体の創設や査証廃止を提案している。欧州と同盟関係にまで進めば(=ロシアのNATO加盟。簡単に実現するはずは無いが、ユルゲンス現代発展研究所長らが論じている)、中国の反応はどうかとの議論もロシアで一部ある。
他方、ロシアは中国と良好な関係を誇示しつつ、対露進出を抑制しようともしている。中国側に査証手続き簡素化を望む声があるが、ロシア側は応じていないようだ。中国との経済共同体や同盟関係までに進むべきとの主張はロシアでは聞かれない。もちろん、ロシアにとり中国との協力関係以外の選択肢は無い。ただし、どのように協力していくかは、世界の戦略環境の変化や今後の国力バランスの変化にもよる。中国がますます国力を蓄え対外的主張を強化すれば、中国脅威論も様相を変えつつ現れてくるだろう。長期的には、中露両国の内政と国内政策の「親和性」の行方も両国関係に影響を与える。
NATO、つまり欧州と米国、そして日本、韓国、豪州などの考えを同じくする諸国の動向は、中露の戦略観に影響を与える。日本は、中露との関係構築にあたり、中露関係の変化を押さえつつ、全世界的な戦略環境をどうすべきかも考えるべきである。
(本文中の意見は筆者の私見であり、筆者の所属する組織の意見ではない。本文中の研究者等の指摘などは公刊物から引用したが、多くの出典の表記は紙面の都合で割愛した)
井出敬二(いで・けいじ)
1980年外務省入省。ロシアおよび中国の日本大使館で広報文化センター所長を歴任。2010年9月から現職。主な著書は『中国のマスコミとの付き合い方』、『パブリック・ディプロマシー』(共著)。
【本文章は、社団法人日本在外企業協会出版の『月刊グローバル経営』(2011年3月号)に掲載されたものを、同協会の了承を得て、転載するものである。なお、掲載誌にある表、グラフは省略した】
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