2011年03月12日08時53分掲載
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東日本大震災
昨日の地震体験 村上良太
昨日午後2時50分頃、大きな揺れを感じた。大きく横にゆさゆさ揺さぶられる感じだ。僕はそのとき、東京近郊の駅前の路上にいた。不安になった人々が立ち止まっている。小さなビルからも人びとがぞろぞろと出て様子をうかがい始めた。長く揺れが続く。
3階建てビルの屋上に取り付けてある看板が大きく揺れている。電線が揺れている。落ちてくるものはないか、頭上の安全を確認する。間違いなく過去に経験した最大の地震だ。ついに来たか、と、次に来るものの覚悟をした。
路上では道路工事の警備員が住民の問いに答えている。
「どこにいたら安全なんですか」
「ビルの中にいた方が安全でしょう。慌てて外に出ると割れたガラスなどが落下してくる可能性がありますから。大きなビルは耐震構造がありますから大きなビルに入るのがいいですよ」
人びとや車が滞っている。
とにかくこれが何なのか、様子を見るだけだ。
「まただ!」
最初の揺れから何分かして、再び大きく横に揺れた。カラスが飛びながら鳴いている。
携帯電話で知人に震源地がどこか聞こうとするが、携帯電話はまったくつながらない。使用できない、という赤い表示が出る。駅から歩いてきた人が、電車が止まったことを教えてくれた。震源地が不明であることが、見通しの悪さにつながっている。
路上に立ち止まったまま、1持間ほどして余震もついに終わったか、と思う間もなく、再び揺れた。
「今もすごく揺れてる・・・」
道のコンクリの階段に座って携帯電話で話している女性がいた。携帯を使っている人もいることを知った。かろうじて家に携帯電話がつながり、無事であることを知らせた。しかし、しばらくして携帯電話は再び使用不能になった。今日は仕事には戻れないかも・・・と覚悟した。仕事上必要な電話もできない。
大きな地震だとは思ったが、周辺の建物が倒壊しているのが目視できないため、それほど大きな被害はなかったのかもしれない、とも思いながらも、駅前の喫茶店で待機する。店内では客の老夫婦が「津波で家や車が流されていた」、と話していた。一体何の話か、今回の地震の話とは思えなかったが、後でテレビを見て今回の話だったことがわかった。駅では電車が止まっているため、移動できない人々が立ちすくんでいた。近く消防車が数台、サイレンを鳴らして移動していくのが聞こえた。
スーパーの裏手では白い液体があふれていた。警備員がほうきで始末している。地震の後、地下から噴出して来たと言う。匂いから洗剤のようだ。アスファルト道路のマンホールからも白い液体が噴出していた。
歩いて自宅に戻ってテレビを見ると、震源が東北・茨城沖であることやマグニチュード8以上であったことがわかってきた。かなり大きな地震であったことを確認した。
夕方、電話は一部つながったが、安否を確認したい関東の人々にはつながらない。
それから夜中までテレビをつけっぱなしだった。福島第一原発の放射能漏れの危険や、知人の実家のある気仙沼の水没と火災が報じられている。また、電車が止まり帰宅できない人びとの様子も報じられていた。テレビの報道が頼りである。昨日ほどテレビの存在感が感じられたことはなかった。
感動したのは地震時に偶然首都高を移動中だったあるTV取材クルーによると思われる映像である。後部座席から撮影した映像で、運転手が上下左右に、激しく揺れ続ける。ただそれだけなのだが、テレビ屋魂を感じないではいられなかった。
海外から安否を尋ねるメールがいくつか入ってきた。津波と原発に関心が高いようだ。知人の住むフランスでも原発は他人事ではないのだろう。チェルノブイリを経験したロシア人からも安全を祈るというメールが入った。海外のテレビやラジオで日本の状況が伝えられていて、それを見てメールをくれているのである。中国やアメリカからもメールをいただいた。こちらもテレビで知った状況を知らせ、感謝した。
夜間、テレビでは気仙沼の火災をずっと報じている。火の手がどんどん広がっている。家の中でもガラスなどを踏まないように移動には靴を用意しておいた方がいいとアナウンサーが話している。寝る前、懐中電灯の電池を最近替えておいてよかったと思った。
村上良太
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