2011年03月22日00時17分掲載
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文化
安部公房 「方舟さくら丸」 村上良太
安部公房(1924-1993)が亡くなって20年近くたつ。没後間もない1995年、オウム真理教信者によるサリン事件が起きた時、安部の小説「飛ぶ男」が話題になった。そして福島原発事故で揺れる今、小説「方舟さくら丸」が思い出される。
「方舟さくら丸」は地下採石場跡の巨大な洞窟に、核シェルターを作り上げ、その「乗組員」を探す「ぼく」の話である。そのシェルターの構造は次のようになっている。
「室内競技場ほどもある大ホールから、試掘用の小部屋まで、すくなくとも70を越える石室が縦横に積み重なり、石段やトンネルで連結された、数千人の収容能力をもつ大地下街なのだ。もっとも上下水道や送電線などの公共施設は一切ない。商店も交番も郵便局も存在せず住民はぼく1人っきりである。」
主人公は外出の際にはこのシェルターの扉の鍵と、裏に地図を書き込んだ名刺大のカードを持参する。乗船適格者に巡り会ったとき、勧誘の機会を逃さないためだという。しかし、「半年間、ずっとそう心掛けてきたのに、まだこれといった相手には出会えずにいる。」こうして主人公が町中で人間観察をしているところからこの奇妙な物語が始まる。
この小説を読んだのは安部が亡くなった頃だから、やはり20年ほど前になる。安部はもし未来の日本にファシズムが起るとしたら、核シェルターに誰を乗せるか、というようなことになるだろう、と発言していた。一方、核シェルター「方舟さくら丸」に乗船できない人びとは棄民である。そして小説では棄民となってしまった人々が抵抗する。
新潮文庫の解説でJ・W・カーペンター(同志社大学助教授:当時)はこう書いている。
「旧約聖書の記載を信じるなら、破滅に瀕した世界からの脱出をこころみた第一方舟丸の船長はノアという人物だったらしい。さすがに神から「選ばれた」者だけのことはあり、洪水からの脱出に見事成功したようだ。」
「その点、現代作家である安部公房の「方舟さくら丸」になると、おもむきが一変してしまう。ひたすら乗船前の準備に手間をくうばかりで、航海日誌の一頁も書かれないまま、破局を迎えてしまうのだ。しかし、読み終わってみれば、それが必然だったことに気づくはずである。現代の方舟は、もともと出航不能なものとして運命づけられていたのだ。安部はその証明のために、この複雑で精緻な模様を織り上げてみせたのだろう。」
「「モグラ」を自認する小心者の主人公は、おずおずと、いかにも不器用な仕種で、乗組員の選別を開始する。一度はこれと見込んで乗船切符を手渡してみても、完全には相手を信用しきれず、その不信が次から次へと事件を生み展開することになる。考えてみれば当然なことだろう。ノアの時代とは違って、「選別者」の免許証を自分で自分に発行できる「神」という例外者が、すでにその資格を剥奪されてしまったのだ。いまさら、「選別者」などもう結構。数度にわたる世界規模での戦争を経験し、他者を排除する「選別」の思想こそ、ファシズムをひきあいに出すまでもなくあらゆる悲劇の根源であることを、誰もが嫌というほど思い知らされたはずである。」
■安部公房
満州での体験を描いた処女作「終りし道の標に」、ダンボール箱を頭からかぶって都市を彷徨する男の物語「箱男」、蝶を採集に砂丘に出かけた男が砂の穴で暮らす女と同居し始める「砂の女」など、人間の存在証明を探る物語を多数書いた。
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