2011年03月25日11時01分掲載
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東日本大震災
日本中の原発は停止し、速やかに廃棄すべし 原発技術者・故平井憲夫の証言から
現在、今回の大震災により福島原子力発電所が危機に陥っています。それに放射能汚染がどの程度まで進行するか予断を許さない状態であることは周知のことです。しかし,原発というものが、地震などの災害がなくとも非常に危険なものであり、安全運転は確保できないものであることは、多くの人には知られていないようです。それは原発によって利益を得る側が広めている「原発安全神話」が浸透しているからのようです。(落合栄一郎)
原発が根本的に安全を確保できないものであることを、原発の現場で20年間にわたり活躍し、そのためガンによってなくなった(1997年)技術者平井憲夫氏が、「子どもたちに優しい地球を残そう」という題で証言された記録(1996年)があります。その要点をここに紹介しますので、このことを考慮して、原発の危険性を改めて確認し,“「原発」はすぐに停止、出来るだけ早く廃棄処分にする、同時に再生可能で地球にやさしい代換エネルギーの開発をさらに促進する”ということを多くの人が政府、企業に訴えてください。
証言:
(1)自分は現場監督として20年にわたり原発建設に携わり、1作業員ではなかなかわからない原発の表裏を良くみてきたし、原発事故現場にも立ち会った。
(2)「安全は机上の話」:設計図では、いかに精密に安全が考慮されていようと、現場の施行、管理が十分でない。
(3)「素人が造る原発」:机上の設計では,最高の技量を持った職人が施行にあたることを前提にしている。しかし現場がその通りかどうかは、議論されることはない。一昔前までは、現場作業に「棒心」と呼ばれる(真の)職人がいて、事故の恐ろしさをしり、事故や手抜きは恥と考えて工事に携わっていた。しかし、10年前ぐらいから、そのような職人が現場にいなくなった。今では、素人がマニュアルに従って作業するだけ。現在までに建設された原発はこうして造られた。
(4)「名ばかりの検査・検査官」:まず出来上がったものを検査するという仕方は無意味。設計通りに造られているかその過程での検査が先ずやられなければならないのに、やらない。検査官に十分な実際の経験も知識もない。ある証言によれば、“事故の時、科学技術庁では、自分達の職員は被曝の危険があるからと現場に出さず、昨日まで養蚕の指導をしていた人だとか、ハマチ養殖を指導していた人などを派遣した”。こんな人達が意味のある検証を出来るはずがない。日本の原発行政は、あまりにもお粗末で無責任なもの。
(5)「いい加減な原発の耐震設計」:地震によって運転停止はしたが、設計基準とは違う仕方で停止した例が多い(1993年女川、1987年福島など)。これは耐震設計がいい加減であることを意味する。
(6)「定期点検工事も素人が」:原発は1年運転すると止めて定期検査/定検をすることになっている。原子炉の中は高温/高圧なので、管とかバルブなどが薄くなってしまう。それを交換しなければならないが,炉のなかは、放射性物質、放射能が詰まっているので,交換作業は被曝覚悟で行わねばならない。防護服は着用するが、アラームメーターは作業員の肌にではなく、防護服の中につけてある。ということは、防護服は放射能を外に持ち出さないための作業服にすぎない。外部被曝ならば、作業後に洗い落とすことができるが、内部被曝はマスクなどで保護するが、完全ではない。このような状態では、いい仕事ができるわけがない。
(7)「放射能垂れ流しの海」:定検が終わると、放射能を含んだ水が何十トンも海に流れてしまう。原発は常に冷却水を流す必要があり、1分間に何十トンという量の温排水を海に捨てている。これには放射能が含まれていないことはない。
(8)「内部被曝が一番怖い」:原発建屋の中のものは多くが放射能をおびる可能性がある。ホコリやチリが放射能をおび、飛び交っている。原発内部の作業では、作業員がこれを吸って内部被曝する可能性が高い。これは、大部分は人体の排出機構で数日とか数十日とかで体外に排出されるが、微量が体内に留まる。そしてモノによっては数年間とかそれ以上放射線が体内の組織を攻撃しつづける。この体内被曝が最も危険なものである。
(9)「普通の職場環境とはまったく違う」:定検工事などでは3ヶ月ぐらいかかる(その間原発は運転を止めない)ので、作業員の被曝は避けられない。また、被曝管理規則にしたがって、作業員の被曝時間を厳密に守ろうとすると、厳密な作業ができない。それではなぜ原発を止めて作業しないのか、原発を1日止めると、何億円もの損になるから、電力会社はなるべく止めない。人命よりも「カネ」が優先されている。
(10)「絶対安全と5時間の洗脳教育」:原発で初めて働く作業者に,放射線管理教育を5時間。原発が危険だということはいっさい教えない。世間でエンパツ反対の人達が放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、‘あれは真っ赤なウソで、国が決めたことを守っていれば、絶対に大丈夫‘と5時間かけて洗脳。こうした洗脳を、地域住民にも行っている。自分自身も、現場の責任者として、こうした洗脳に加担した。
(11)「誰が助けるのか」:放射能に汚染した人をどう助けるか。
(12)「びっくりした美浜原発細管破断事故」:1992年2月の関西電力の美浜原発での細管破断事故は,放射能を直接に大気中や海に大量に放出した大事故。この時は、多重防護の安全弁が次々に効かなくて、あと0.7秒でチェルノブイリになるところだった。緊急炉心冷却装置を手動で動かしてなんとか原発を止めた。原因は施行ミスだった。
(13)「もんじゅの大事故」:もんじゅ原発(福井県)には、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集め目メーカーが建造。設計基準がメーカーによって違うために、設計図通りの管も少しづつ直径が違うためにつなげることができないことがあった。1995年12月8日に,福井県にあるもんじゅ原発でナトリウム漏れの大事故は、温度センサーに問題があったが、施行材料が違ったメーカーからの寄せ集めが原因。この時、国は、この事故をそれと言わず、「。。。という事象があった」と発表。これも,事故から国民の注意を背かせるごまかし。
(14)「その他」:日本の原子力政策はいい加減で、後のことは何も考えずに、なんとかなるだろうと。廃棄物一つでさえどうにもできない。原子力局長をやった島村武久氏は、退官後著書で、“日本政府がやっているのはただのつじつま合わせ。電気がたりないのではない。あまりにも無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎたことが原因。はっきりノーといわなかったから、持たされた。そのウランなどで日本は核兵器を造るのではないかという外国の疑念をそらすために、平和利用・原発を促進ということになる”と言っている。原発は、廃炉も解体も非常に困難。原発は閉鎖しても、長期にわたって、監視・管理し続けるしかない。放射性廃棄物の安全な処理法は見つかっていない。この証言者は、 “原発がある限り、安心できない“と結論している。
補足:
さて以上の証言は、理論でなく現場で、現実にどのようなことが起っているかを様々な事例から知らせてくれている。もう少し補足すると、放射線の影響というものが、基準値などが決められていてそれを凌駕すると危険と判断することになっているが、そのぐらいのことで危険を警告することは、二つの意味で危険を伴う。放射能測定は,十分に組織的(例えば、2kmおきに測定器を設置し、2時間毎に測定―放射線量と放射能物質の量の測定―、これらのデータを集中管理して分析)にかなりの長期にわたって行わねば、役に立つデータは得られないだろう。
そのような十分なデータが得られない場合(現状はその一例だし、理想的なデータ把握は現実問題としては困難)、危険度を過小評価するか、過剰評価する可能性が高い。過剰評価の場合には、安全確保については問題ないが、そのために過剰な、不必要な犠牲を様々な位置(地域、職業、農産物、水、生活)で強いられる。その上、放射線被害(人体への)の実体、特に内部被曝について十分な知識を未だ獲得できているとはいえないのではなかろうか。環境にいる動植物への影響は?
いずれにしても、このような危険な状態に人々を陥れること、または人々の不安感を誘うことは、出来れば避けるべきである。特に放射線は、目に見えず、また少量の被曝の場合はすぐには影響が現れないという特徴があり,また 被曝量と健康被害との相関性がなかなか確立できないという困難もあるため、人々をより不安がらせるものである。地震・津波の危険に晒されている日本では、また、上の証言にもあるようにそうした天災がなくとも危険を常に孕んでいる原発がある限り、このような放射能による危険の可能性は避けられない。ではどうするか、原発はなるべく速やかに廃止、核燃料を安全管理下に置く必要がある。
このような提案には、すぐに「原発がなくなれば、電力供給量が直ちに減り、日本経済、日常生活に大変な被害が及ぶぞ。それでもよいのか」という恫喝が加えられることは目に見えているし、いままでにもあって、国民はある程度納得させられてきた。そのような不便は、勿論、段階的早急な原発廃棄、エネルギー消費量の削減(あらゆる場所で)努力、代換エネルギーの開発のより一層の加速などで乗り切らねばならないことはいうまでもない。この危機を、新しい文明(脱消費文明/非市場経済)に進む好機と捉えたら良いのではないであろうか。
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