2011年04月06日16時52分掲載  無料記事
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検証・メディア

震災報道覚え書き 藤田博司

  東日本大震災は、巨大地震と大津波による壊滅的な破壊に福島第一原子力発電所の放射能漏れという人災が加わって、日本にかつてない深刻な危機をもたらした。菅首相がいうこの「国難」をどう乗り越えるか、日本の政治、経済、社会のすべてのシステムをかけた対応が試される。 
 メディアはいま総力をあげて、この危機の様々な側面の報道に取り組んでいる。しかし震災の規模はあまりに大きく、放射能汚染は先の見えない不気味さをはらんでいる。メディアが今回の大震災と放射能汚染問題をどう伝えたか、いずれ本格的な検証が必要だろう。 
 地震発生からわずか数日の時点でメディアの仕事を評価することはできない。以下は本稿執筆時点(3月17日)までの震災報道について、いくつか気づいた点の覚え書き。 
 
▽映像の威力いかんなく 
 3月11日午後3時前、地震の直後から始まったテレビ中継の映像には圧倒的な迫力があった。防潮堤を乗り越え、市街地になだれ込む怒涛。車や家を一気に押し流す濁流。現実のものとは思えぬ自然の猛威を余すところなく見せつけた。映像によるリアルタイムの報道の威力がいかんなく発揮されていた。 
 NHKも民放各局も連日、特別番組を組んで各地の被害状況や住民の避難の様子などを詳細に伝えていた。しかし当初の取材で報道できたのは広範な被災地域のごく一部に過ぎず、発生から4日目に入ってもアナウンサーが「被害の全容はまだつかめない」と繰り返していた。 
 
 被災地の想像を絶する惨状は映像だけで十分すぎるほど伝わってきた。記者やアナウンサーの説明はかえって言葉の貧しさを浮き立たせるような気さえした。行方不明の母親を探して泣き叫ぶ少女の姿は、それだけで災害の不条理を何よりも雄弁に物語っていた。 
 インターネット上のユーチューブなどの動画サイトにも、地震・津波関係の情報は投稿されていた。しかしその多くはテレビニュースの焼き直しだった。個人が撮影した独自の映像も、まずはテレビに提供され、ニュースとして繰り返し放映されていた。震災報道の少なくとも初期の段階では、テレビに太刀打ちできるものはなかった。 
 
▽不十分な情報 
 テレビ中継は、福島第1原発で起きた一連の緊急事態の報道でも、速報に大きな力を発揮していた。1号機と3号機での水素ガス爆発による建屋の損壊や、2号機原子炉格納容器での冷却水漏れなど、テレビは刻々の動きを、政府当局者や東京電力の記者会見とともに生中継で伝えていた。スタジオでの専門家らによる事故の解説にもそれなりに力を入れていた。 
 しかしあわただしい現場中継と未確認情報が醸す切迫した雰囲気は、見るものの不安をあおる懸念も小さくない。専門家らは「健康に影響はない」「冷静に行動を」と繰り返したが、「避難」や「屋内退避」を指示された地域の住民の不安を解消するだけの十分な情報が提供されていたとは思えない。行政や東京電力側の責任が大きいとしても、事故の地元住民が最も必要とする避難先や避難の手段に関する情報さえ、テレビ報道が伝えられなかった事実は否めない。 
 
 同じことは、「計画停電」をめぐる報道についても言える。テレビの伝えた関東首都圏での地域別の停電情報やこれに関連する交通機関の運行情報は、東電側の発表が二転、三転したこともあって混乱した。テレビの現場記者が自分たちで十分に確かめられない情報を「東京電力のホームページで確認を」と視聴者に呼びかけているのに、思わず失笑してしまった。 
 
▽テレビを超える報道 
 新聞は連日、紙面の大部分を震災報道にあてて、各地の津波被害の惨状、被害の規模、政府の救援対策、現場での救助活動などを報じた。ふだん夕刊のない日曜日(13日)にも特別夕刊版を配達していた。数多くの写真をあしらい、記者の生々しい現地ルポで埋まった紙面はそれなりに読ませる内容も備えていた。しかしテレビ各局の報道を前もって目にした読者には、「どこかで見たニュース」という既視感がぬぐえなかった。 
 新聞の震災報道、とりわけ現地ルポは、テレビの映像がとらえられない物語を伝えることで、初めてテレビを超えることができる。表面的な事象の背後にある事情を掘り下げ、説得力のある言葉で物語を提示できなければ、読者の目を引き付けることは難しい。 
 
 被災から数日経っても多くの避難場所で食料や燃料、医薬品の不足を訴えていた。通信手段がなく、情報が届かないとの訴えもあった。そうした地域で新聞やテレビがどれほど具体的な役割を果たしていたのか、いなかったのか、いま一つ見えてこない。 
救助から支援へ、復興へと今後事態が移るにつれ、報道の中身も変わってくる。地域の事情を熟知し、地域の声を中央に届けることを新聞は期待される。表面的な震災報道で終わらず、長い将来の復興を見据えた地域の報道を心掛けることが、新聞に対する読者の信頼をつなぎとめるカギになるだろう。 
 
 被災した地域の新聞に対する期待はとりわけ地方紙に向けられる。今回、被災地の新聞は停電などで発行が困難に陥ったが、提携関係のある近隣の地方紙の協力を得て、ページ数を減らしながらも独自の紙面を編集して発行を続けた(『新聞協会報』3月15日)。河北新報、山形新聞は新潟日報の協力で、岩手日報は東奥日報の支援を得て新聞を出し、14日までには自力での発行に戻している。被災地の新聞が今回どのよう紙面をつくったか(現時点で紙面を見る機会がないのだが)、今後どのような報道を展開するかに、新聞の生き残りのヒントがうかがえるかもしれない。 
 
▽支援へ行動促す 
 大震災と原発事故は当然のことながら海外でも大きな関心を集めている。『ニューヨーク・タイムズ』など欧米の有力紙は連日1面トップでこのニュースを扱っている。英紙『ガーディアン』は1面から数ページにわたって震災関連のニュースをトップに据えている。そうした報道を読んで、日本の被災者のために支援の意思を筆者に伝えてきた知人もある。 
 震災報道でのメディアの役割の一つは、読者、視聴者に被災地、被災者への共感を呼び起こし、それぞれの立場で支援、復興に向けての行動を促すことにある。日本だけでなく世界中に、被災地に支援の手を差し伸べる動きがあることは、メディアの報道が人間の善意に働きかける力をいまだ失っていないことを示している。 
 
 今回、被災地では固定電話も携帯電話も使えず、情報がなくて孤立したところが相次いだ。パソコンなどのディジタル機器も停電には勝てなかった。しかしテレビや新聞の手が届かぬところで存在感を増しているようにも見えた。 
 メディアが伝えきれない「計画停電」の区分けの詳細や鉄道の運送状況を確かめられたのはインターネット上のウェブサイトだった。会員制ネットワークの「フェースブック」では、地震直後から在日外国人向けに英語で地震情報や停電・交通情報などをきめ細かに伝えていた。災害時の情報伝達の担い手がかつてのようにマス・メディアと電話だけではなくなったことをあらためて認識させられた。 
 
 「国難」を乗り越えるのは容易ではない。原発事故の処理を誤れば災厄はさらに大きくなる。戦後日本の発展を支えてきたシステムが機能しなくなるかもしれない。いまはすべての日本人があらゆる力を振り絞って、大震災から復興への確かな一歩を刻むために力を合わせるときだろう。メディアにも当然、その一翼を担う覚悟を求めたい。 
 
*本稿は新聞通信調査会発行の月刊冊子『メディア展望』2011年4月号に掲載された「メディア談話室」の転載です。 


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