2011年05月01日16時56分掲載
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東日本大震災
社会福祉国家・デンマークをモデルに 『世界一幸福な国の人づくり』に着目 安原和雄
北欧の小国、デンマークが熱い視線を浴びている。明治・大正期の宗教家、内村鑑三は、著書『デンマルク国の話』(岩波文庫)で「侮(あなど)るべからざる国」と指摘し、今、その社会福祉国家としてのあり方が「世界一幸福な国」として高く評価されている。注目に値するのは、充実した福祉国家としてだけではない。自立心、自己決定力、共生、連帯感も社会に根づいている。しかも原子力発電はゼロで、風力発電など再生可能な自然エネルギー生産に積極的に取り組んでいる。
日本では目下、「3.11」後の再生・創生モデルをどう描くかをめぐって模索が始まっている。その有力な現実的モデルとしてデンマークの国造り、人づくりに着目したい。それは公式風にいえば、「脱・成長+自然エネルギー=幸せ」の実現である。
<著者と語る 『格差と貧困のないデンマーク ― 世界一幸福な国の人づくり』(PHP新書、2011年3月刊)>が4月下旬、日本記者クラブ=東京・千代田区内幸町=で行われ、著者千葉忠夫氏(注)の講話をじかに聞く機会があった。
(注)千葉氏は1941年東京都生まれ。67年渡欧、デンマークで社会福祉を学び、現地で社会福祉活動に従事する。97年日欧文化交流学院を設立し、現在同院長。2008年「社会福祉における国際協力の推進」の功績で外務大臣表彰。著書は上記のほかに『世界一幸福な国デンマークの暮らし方』(PHP新書、2009年刊)などもある。
▽ デンマーク人と日本人はどのように異質なのか
千葉氏の講話を聞き、著作も読んだうえで、印象に残った点を以下に紹介する。日本人とデンマーク人の生き方、発想、行動がどのように異質で、隔たっているかがここでの中心テーマである。
(1)過保護では自立心は育たない
*食事の仕方、マナーの相違点
日本では食事の際、酢の物やお浸しなど、母親が一人ひとりの小皿に盛りつけてからテーブルに並べる習慣がある。しかしデンマークではすべてが大皿に盛って出される。ここで日本人とデンマーク人の違いが出てくる。
日本人留学生は自分の分を取ったら、お皿を元の位置に戻す。デンマーク人はお皿を隣の人に回す。日本人留学生のほとんどは、大皿料理の食べ物のシェア(分け方)の方法がわからない。自分以外の人のために、どうすればいいのかを考える習慣がない。またみんなの小皿を受け取って料理を取り分けてみんなに戻す人がいる。
これはデンマーク人から見ると、過剰サービスで、自分のは自分で食べたいだけ取ればいいのだ。
*「自分のことは自分で決める」自立心
デンマークが世界に冠たる社会福祉国家でいられるのは、過保護や過剰サービスをしないからで、国民全員で税金を納め、社会的弱者を支援しているからだ。自分の世話も出来ないのに、他人への思いやりが生まれるだろうか。過保護はいい結果を生まない。自分のことは自分で面倒を見る。自分のことは自分で決める。そういう自立心が生きていくうえで必要だ。
(2)民主主義は与えられるものではなく、闘って勝ち取るもの
*民主主義と主権在民は同義語
デンマークの国民学校(日本の小中学校に相当)法では「学校は親と協力して生徒個々の個性と素質を育み、自国の文化や他国の文化を理解させ、自立心や責任感などの社会性を身につけさせ、自由と民主主義を徹底して教える」となっている。民主主義とは、民が主体で、すべての国民がどのような生活を送るのかを選ぶのは国民である。だから民主主義と主権在民(=国民主権)は同義語であるが、日本では主権在民意識が弱い。
民主主義を因数分解すると、「民主主義=自由+平等+博愛(=共生+連帯)」となる。デンマークでは子どもたちは、「教育の義務」(日本では義務教育と表現するが、デンマークでは「教育の義務」という)期間中にこの自由、平等、共生、連帯という民主主義のキーワードを言葉の意味だけでなく実践として教わり、身につける。
自由とは、自分の好き勝手なことが許されるわけではなく、必ず責任が伴う。
この世で生を受けた人間は、性別、年齢、学歴、障害の有無にかかわらず、人間としての価値は平等である。
動物も植物も人間も、一つの社会で共生している。人間社会では子どもや高齢者、貧困者やお金持ち、障害がある人やない人 ― すべての人が同じ社会で生きている。さまざまな人が同じ社会で生きていくためには連帯感がなければならない。これらのことを言葉の意味だけでなく、実践として教わり、10年間で民主主義を身につける。
*民主主義は少数意見を尊重する
民主主義は多数決とか絶対多数とかで総意を決めるように定義づけられていると日本では思われがちだが、本当の民主主義は少数派(マイノリティ)の意見も尊重する柔軟性が必要である。デンマークの子どもたちは、異質な人を排他的に見るのではなく、自分とは異なる個性を尊重しながら、個人と個人のつながり、社会性を身につけていく。
ところが日本では民主主義のキーワードは日本人自身によって否定されている。例えば多数決で決めることは学んでいても、少数派の考えにも正しい意見があることを学んでいない。なぜ日本では民主主義が根づいていないのか。それは戦後、アメリカから棚ぼた式に「今日から民主主義ですよ」と与えられたからではないか。民主主義とは、与えられるものではなく、闘って、勝ち取ってはじめてその意義を理解、実感するものである。
(3)自己決定力と連帯感を育むことの大切さ
*子どもは国の資源
デンマークには日本と同様、地下資源がない。社会福祉国家は多種多様な職業で構成されており、それを担うのは人材で、いわば子どもが資源となる。子どもは将来の労働市場の担い手だから、国は教育を重視する。GDP(国内総生産)に占める学校教育費の比率は、デンマーク6.7%で世界第2位、一方日本は3.3%でOECD(経済協力開発機構)各国平均4.9%を下回って27位である。
知り合いの国民学校校長は教育の目標について次のように語った。「みんながエリートになってほしいとは思わない。美容師であれ、修理工であれ、人間味のある人に育ってもらいたい」と。
*自己決定力と連帯感
日本の小学校の教師の口癖は、「先生の話を聞きなさい」だが、デンマークの教師の口癖は「どんどん自分の意見を言いなさい」だ。この違いはどういう意味を持つか。自己決定力を身につけることが出来るかどうかにつながっていく。
自己決定力は、持って生まれてきたものではない。何度も繰り返し自己決定をすることで学んでいく。だから大人は、そのような場、機会を子どもに与えなくてはいけない。デンマークでは幼稚園から意思表示をすることを教わる。「歌を歌いたい」、「外で遊びたい」などと意見が分かれたらどうするか。何をするかは自由であること、やりたいことを発言すること、しかし譲り合うことも大切、と教える。譲り合うことから、そこに連帯感も育っていく。
<安原の感想> 自立心、自己決定力を身につけられるか
以上のデンマーク人に見る「過保護では自立心は育たない」、「民主主義は与えられるものではなく、闘って勝ち取るもの」、「自己決定力と連帯感を育むことの大切さ」― などの感覚、意志は必ずしも多くの日本人の得意とするところではない。ただ「3.11」(東日本大震災と原発大惨事)以降、被災地への支援の輪が広がっており、日本人の連帯感は健在であることを物語っている。
しかし必ずしも日本人一人ひとりに自覚されてはいない自立心や自己決定力は育つだろうか。原発の危険性に早くから強い批判が寄せられていたが、残念ながら少数派にとどまっていた。矛盾が噴き出している日米安保体制にしても、批判勢力が多数派にはなっていない。いずれも権力や大勢への依存症を克服できないからだろう。今デンマークに学ぶべき最大のテーマは自立心、自己決定力をどう身につけるかである。そこから本物の民主主義(=自由、平等、共生、連帯)が日本にも育っていくのではないか。
▽ 「豊かな国」ではなく、「幸せな国」がキーワード
デンマークといえば、そのキーワードは「世界一幸福な国」である。冒頭紹介した千葉氏の著作2冊の書名はいずれも「世界一幸福な国」であり、このほかケンジ・ステファン・スズキ著『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』(角川SSC新書、2010年11月刊)、高田ケラー有子著『平らな国デンマーク ― 「幸福度」世界一の社会から』(NHK出版、2005年8月刊)も同じである。判で押したように表題の意味は「世界一幸せな国」である。
注目したいのは「豊かな国」ではなく、「幸せな国」となっている点である。「豊かさ」と「幸せ」とは明らかに異質である。
「豊かさ」は量的な大きさを示す尺度で、大量生産・大量消費・大量廃棄の経済構造の上に成り立っている。量的拡大を意味するにすぎない経済成長主義を是認し、その旗を振り回し、その結果、ゴミが街にあふれ、環境汚染、健康障害、様々な格差も著しい。表面上は豊かにみえるが、幸せとは縁遠い社会である。東京電力福島原発の大惨事は、原発依存型の電力エネルギーによる経済成長主義が巨大な虚構であったことを明白にした。
これに対し「幸せ」は質的な良さを示す尺度で、その経済は適正な生産・消費と少量廃棄の構造となっている。経済成長主義に執着するわけでもない。ゴミが街にあふれることもなく、環境汚染も少なく、格差も余りうかがえない。たしかに量的な増大という意味での豊かさには縁遠いとしても、上質の生活や生き方、精神的な充実感などの意味での幸せを感じさせる。
<安原の感想> 脱・原発型の「幸せ」へ変革を
デンマークのような「世界一幸せ」な小国(人口は兵庫県程度)こそが日本などの経済大国にとっても見習うべきモデルとなり得る時代だと認識したい。大国の時代から小国の時代へと世界は急展開しつつある。
ドイツ生まれの仏教経済学者、E・F・シューマッハー(1911〜1977年)は、その著作『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫、原文は1973年刊)で「人間は小さい。だからこそ小さいことは素晴らしい(Small is beautiful)。巨大さを追い求めるのは自己破壊に通じる」と指摘した。
この「巨大さ」の典型が原子力発電で、40年も昔のシューマッハーの警告が現実となって日本列島に未曾有の「自己破壊」をもたらしている。自己破壊から教訓を引き出すとすれば、原発依存型の「豊かさ」ではなく、脱・原発型の「幸せ」への変革以外の選択肢はあり得ない。
▽ 「幸せな国」を支える「高福祉高税」とエネルギー自給策
「豊かな国」・日本が原発エネルギー依存型の経済成長主義に執着しているのに対し、「幸せな国」・デンマークを支えている政策は何か。そこに一貫しているのは「高福祉高税」政策であり、脱・原発であり、自然エネルギーの完全自給政策である。
(1)「高福祉高税」政策という名の国民への還元
世界主要国の国民所得に対する租税負担率(2007年度)をみると、デンマークは69.0%でトップ、日本は24.6%で28位。世界の消費税の現状をみると、トップのアイスランド25.5%は別格で、2位にデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、ハンガリーの25%が並んでいる。日本の5%に比べていかに高い税率であるかが分かる。
しかしデンマーク人は、この高い消費税を「高税」と受け止めるが、「負担」とは思っていない。世論調査によると、約85%の国民が納得している。なぜなのか。それはデンマークは世界一の社会福祉国家であり、国民が納めた税金を、国民が納得できるように再配分しているからである。税金は国民全員にきちんと還元されている。教育費や医療費は無料であり、高齢になれば生活に十分な年金が支給される。しかも「強者が弱者を助ける」という気持ちを誰しも抱いているからこそ、高税を払っても「政府に取られてしまう」という不満にならない。(著作『格差と貧困のないデンマーク』から)
<安原の感想> 高い消費税は「自分のための貯蓄」
デンマーク人は高い消費税を「負担」と受け止めていない。日本の納税者の多くが「税金は取られ損」と考えるのと大きな違いである。なぜなのか。デンマークの高い税金は、日本流にいえば、「自分のための貯蓄」に相当する。教育費、医療費は無料で、高齢者の年金も十分であれば、暮らしに困ることはない。消費税という名の「貯蓄」が自分のために返ってくるわけで、だから高税にも納得できる。
デンマークなど北欧の社会福祉国家は、こういう仕組みの上に成り立っている。社会保障のための消費税引き上げと宣伝しながら、実はそれが利権がらみで無駄な軍事費や公共事業費などに化ける日本との質的な違いといえる。
(2)エネルギー自給率は超100%
デンマークのエネルギー自給率は中東戦争などの影響で1972年にわずか2%に落ち込んだ。このため石油の国外依存を見直し、2009年にはエネルギー自給率は100%を超えて124%に達した。これは1985年に原子力発電計画を放棄し、風力発電やバイオガス(家畜のふん尿や有機廃棄物を原料とする燃料)などの自然エネルギー生産と北海油田の開発に取り組んで実現した。風力発電でのエネルギー自給率は現在21%で、議会はこれを2020年までに50%に引き上げる決議をしている。(著作『消費税25%で世界一幸せな国デンマークの暮らし』から)
<安原の感想> 「脱・成長+自然エネルギー=幸せ」へ転換を
東京電力の福島第一原発事故による惨事は、過去最大のチェルノブイリ原発事故(1986年旧ソ連で発生)の被害を上回るともいわれる。もともと根拠のなかった安全神話が完全崩壊した今、展望としてはもはや脱・原発しかあり得ない。石油もピークオイル問題(原油の年間掘削量が上限に達し、減少に向かうこと)があり、将来は期待しにくい。
今後の成長株として太陽光・熱、風力、小水力、地熱など再生可能な自然エネルギーが注目されるのは当然である。この点はデンマークに学ぶ必要があり、ドイツも脱・原発へとエネルギー政策転換に踏み切っており、ドイツにできることが日本には不可能とはいえない。日本と同じ地震国、イタリアの政権も2008年、原発の復活を打ち出したが、福島原発事故をきっかけに原発復活プランを無期限の凍結に転換した。
さて目下のところ日本では自然エネルギーによる発電量は全体の3〜4%で、ごくわずかであり、今後どう取り組むかが課題となる。自然エネルギー重視への転換は、真の幸せを保証しない経済成長主義を捨てて、「脱・成長+自然エネルギー=幸せ」という新しい公式が多数派の共通認識となって広く定着していくかどうかがカギとなる。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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