2011年05月04日11時54分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201105041154353

東日本大震災

【福島原発情報共同デスク】5月1日福島「子どもたちを放射能から守るための集会」報告  徹底した「安全神話」教育をどう乗り越えるか  小倉利丸

  子どもたちを放射能から守るための集会が1日午後に福島市のホリスティカかまた(福島駅から阿武隈急行で一駅目の「卸町」に隣接している病院)の大きな会議室で、原発震災復興・福島会議が福島老朽原発を考える会の協力を得て開かれました。約250名が参加し、会場は立ち見も出て満員でした。参加者は、保育園から中学、高校に通う子どもたちを持つ親が大変多かったという印象をもちました。また、県外からも首都圏だけでなく、関西、中部、北陸からの参加者もみられました。ネットでの中継もあり、ライブでご覧になった方もいたのではと思います。 
 
 今回の集会は、演会のような形式のものではなくて、参加者たちで今後具体的にどのような行動を起こしていくかを実践的に討議して方向性を決めるもので、時間の大半をグループに分かれての具体的な行動についての議論に割かれました。講演会形式ではなく、参加者みずからが議論するワークショップ形式の集会は、とても新鮮でした。 
 
  集会冒頭の主催者挨拶では、まず最初に、震災復興・福島会議世話人の佐藤幸子さんから今日の集会に至までの経緯を説明しました。今回の主催者たちは、福島原発事故後に原発の問題にはじめて関心をもち行動しはじめたこと、最初はたった三人で、放射線の数値を測って教育委員会学に子どもを放射線から守るよう申し入れてきたことなど、これまでの経緯が説明されました。とりわけ、佐藤さんが強調したのは、放射線の専門家として県のアドバイザーとなっている学者が、子ども達が外で遊んでも大丈夫か?という質問に対して、屋内退避外の地域は安全だということを平気で話していることに大きな疑問を感じ、こうした県のアドバイザーとなっている大学の専門家は本当に、福島市で放射線を測定したことがあるんだろうか、本気で子どもの命を守ってくれるつもりがあるのかなど、深い疑問を持った点でした。 
  また、原発がある県にもかかわらず、県にはガイガーカウンターが一台もなかったことも知って愕然としたことなど、これまでの県や教育委員会の対応に深い疑問をもち、「自分の子どもは自分で守るしかないと感じた」ということ、このことが会の結成につながっていったということを熱く語ってくれました。 
 
  続いて中手聖一さんからは、放射能から子どもを守る会の趣意書の説明があったあと、今日の集会でみんなで議論するテーマとして以下のようなテーマ設定の提起があり、これらのテーマにそってグループに分かれて議論がなされました。 
 
(1)自主避難のコーディネート。自治体頼みの避難では不十分であること、避難先とのマッチングも必要であるし、コミュニティの絆を維持した集団疎開なども検討する必要がある。 
 
(2)学校や子どもの生活環境の除染をどうするか、放射能からの防護策としてどのようなことが必要か、また、放射能の独自の測定も必要ではないか。 
 
(3)原発について考えたこともなかった人たちが、今回の事故をきっかけに真剣に考えるようになった。そうした人たちに正しい知識を広げる方策としてどのようなことが可能か、必要か。 
 
(4)県や国による「安全だ」という宣伝を止めさせなければならない。県のアドバイザーによる「安全」のお墨付きによって多くの人々は、子どもたちが屋外で朝臣でも安全だと誤解している。また、被爆の基準緩和がなされていることへの批判も重要。こうしたアピールのためには、デモ、パレードなども必要ではないか。 
 
  グループでの討論は、二回行われ、一回目は、地域別にグループをわけてお互い顔見知りになること、二回目は、上記の課題に沿ってグループに分かれて今後の方向性について議論し、最後の全体会で、グループごとに報告を受けて全体で議論しました。また、最後の全体会では、具体的な行動として、政府や自治体への要請行動、福島市への除染要請、署名による除染要請運動なども提起され、さらに福島市だけでなく郡山など、他の地域での取り組みの必要性も出されました。 
 
  最後の全体会では、除染について議論が集中しました。政府や行政、あるいはマスメディアの報道とは裏腹に福島市の汚染も深刻であるということが参加者の共通認識でした。除染の必要については皆意見が一致しており、県が福島市の現状を安全と言う主張はまったく受け入れ難いという点でも一致していました。 
  では、どのレベルまで汚染を引き下げることを具体的に自治体や国への要求として出すべきなのか、という数値設定でかなり長い議論がありました。1マイクロシーベルトにすべきという意見もあれば、原発事故の以前の数値に戻せという意見もあった。皆、原発事故以前の水準に戻したいという思いは一致していても、具体的な要求の実現可能性という点では、「数値」判断が非常に難しいということだったと思います。 
 
  今回の集会に県外から参加して強く感じたのは、地元の人々の多くが、国、県などの放射能の影響を過小評価する宣伝に深く影響されて、逆に、放射能の影響を厳しく批判する人たちが孤立しかねない深刻な状況にあるなかで、新たに運動を立ち上げようとしている、という大きな困難を抱えての出発なのだということでした。事故の現地だから原発の危険への理解も首都圏などより大きいといえるかといえば、むしろ逆のようにも思えます。たとえば、学校に行かせるときに、マスクをさせたり、服装に注意したりするなど周囲の子どもたちと異なる対応をとることが容易ではなく、心理的なプレッシャーが大きいということ、それほどまでに、「安全」の宣伝が浸透してしまっているというのです。行政の徹底した「安全」の「洗脳」によって多くの市民は本当の危険を知らされないままであることが繰り返し指摘されていました。反原発の運動は事故以前に比べれば大きく盛り上がっていますが、しかし、それでもなお地元では孤立感は強く、今回のような集会で、言いたいことを言えるような場ができたことに励まされた人たちが多くいました。 
 
 先の統一地方選挙でも多くの原発推進派の首長や議員が再選されたことに端的に示されているように、反原発、脱原発の運動は大きな盛り上がりをみせているとはいっても、まだ十分には浸透していません。福島現地においてすらこのことが言えるのであるとすれば、大変深刻な状況にあるということだと思います。運動はまだまだ十分な力を得ているとはいえないだけでなく、「安全」の宣伝を打ち返すところにまでまだまだ至っていないということだと思います。 
 
  福島の都市部でやっとまとまった数の人たちが具体的な運動の形をとりはじめたことは大きな一歩ことだと思います。その意義は強調してもしきれないことだと思います。こうした運動が孤立しないように、県外の運動が福島現地の運動とつながっていくことが大変重要なところに来ていると感じました。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。