2011年05月26日11時38分掲載  無料記事
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社会

人の役に立つ「利他」こそ、幸せ 知的障害者に学び、生かす企業経営 安原和雄

  人間が生きていくうえで最も大切なことは何か。それはとてもシンプルなこと。人の役に立つこと、すなわち「利他(りた)のこころ」で生きれば、必ず幸せになれる。 ― こういう経営理念を掲げる企業が話題を呼んでいる。社員の約7割を知的障害者が占めているのも異色で、小企業ならではの独自性を発揮しながら業界トップのシェアを維持している。知的障害者たちに学び、それを生かす企業経営のモデルとして評価は高い。 
 私(安原)が構想する仏教経済学のキーワード・八つの一つに「利他」があるが、その見事な実践版ともいえる。目先の小利に右往左往し、従業員を冷遇し勝ちな大企業が多い現在、このユニークな小企業に学ぶことは少なくない。 
 
 大山泰弘(注)著『利他のすすめ ― チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵』(WAVE出版、2011年4月刊)は仏教思想を企業経営にどう生かすか、その実践録である。企業経営に限らない。個人一人ひとりが自らの人生をどう歩むか、幸せとはなにかを考え、実践するための優れた案内書ともなっている。 
 障害者雇用促進法では障害者雇用を事業主の義務と定め、民間企業(従業員56人以上)の法定雇用率は全従業員の1.8%とされている。しかしこの法定雇用率を達成している企業は4割強にとどまっている。 
 (注)著者の大山氏は1932年東京生まれ。中央大学法学部卒業後、病身の父の後を継ぐため小さなチョーク工場主体の日本理化学工業(株)に入社、現在同社会長。1960年、養護学校から2人の知的障害者を受け入れたのをきっかけに障害者雇用に取り組み、現在74人の社員のうち55人が知的障害者。その経営が評価され、渋沢栄一賞、東京商工会議所の「勇気ある経営大賞」を受賞した。この障害者雇用は、鳩山由紀夫・前首相の所信表明演説で「友愛」の象徴として紹介された。 
 
 『利他のすすめ』は「お釈迦さまの知恵」から始まる「18の知恵」を説いている。そのうち「11の知恵」(要点)を紹介し、読後感を記したい。 
 
(1)人間の究極の幸せとは 
私(大山)はある日、禅寺の住職と偶然隣り合わせに座り、思わず質問した。「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いている。施設にいれば、楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのか」。一瞬、間があり、住職はこうおっしゃった。 
「人間の幸せは、ものやお金ではない。究極の幸せは次の四つ。人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは働くことによって得られる。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのだ」 
 
(2)待つことで、人は必ず成長する 
人を育てる ― 。これは実に骨の折れること。辛抱もしなければならない。それでも「待つ」ことを大切にしたい。人は、誰かの役に立つ幸せを求めて、必ず仕事に真剣に向き合うようになる。周りの人が、その小さな成長に眼を向け、励まし、支えることで、その人は必ず育っていく。そして「待つ」ことによって私たちは「絆」という大きな果実を得ることができる。 
 
(3)人のせいにしないから、自分が磨かれる 
健常者も、障害者との付き合い方に戸惑(とまど)いを覚える。しかし「障害者のせいにはできない」ことを理解できたとき、健常者も自然に成長しはじめる。 
 私たちは、ついつい自分にとっての「当たり前」を相手に押しつけようとする。相手が理解してくれなければ、それを相手のせいにしてしまう愚を犯しがちだ。しかし相手のせいにしても何の解決にもならない。他人を変えることはできないが、自分を変えることはできる。自分が変われば、相手も変わり始める。この普遍的な真理を知的障害者に教わった。 
 
(4)常識にしばられず、自由に考える 
 私たちがいかに「常識」にとらわれているか ― 。私も学生時代には「正しい解き方」を懸命に覚えたものだ。ここに落とし穴がある。単なる手段にすぎないにもかかわらず、教わった解き方を唯一絶対のもの、という思考法を身につけると、現実社会ではむしろ足かせとなる。「答え」に至る方法には無限の可能性がある。 
 仕事で大切なのは「結果」だ。「手段」にこだわりすぎるのではなく、「どうすれば結果を出すことができるか」を考え抜く。そうすれば、きっと新しいやり方を見つけることができるはずだ。これこそ「常識」から自由になる方法なのだ。 
 
(5)本気で相手のためを思う。それが「強い絆」を生む 
 知的障害者は自分の身を守るために、本当に自分のためを考えてくれている人かどうかを本能的に見分ける嗅覚(きゅうかく)を研ぎ澄ましている。その感性は非常に鋭いものがあり、嘘やごまかしは通用しない。彼らのご機嫌をとるために、表面的に褒めているだけの人についていくことはない。健常者も同じことではないか。 
本気で生きること。本気で相手のためを思うこと。それ以外に強い絆をつくる方法はない。 
 
(6)人のために動くから「働」と書く 
「働」にはどういう意味がこめられているのか。「人のために動く」から「働」と書く。「人のために動く」から人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされ、愛までも手にすることができる。それが「お金のため」「自分のため」では、そうはいかない。 
 人間の脳は「自分がやったことで人に喜んでもらうことが心地よい」と感じるようにできているそうだ。人間は「利他の心」をもつことで幸せになる存在としてつくられている。 
 
(7)そばにいる人の役に立つ。それが生きる原点 
 文部科学省の資料によると、「生きる力」として次のように記されている。 
*さまざまな問題に積極的に対応し、解決する力 
*自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間性 
*たくましく生きるための健康や体力 
 どれも大切な力だ。しかしより根源的なもの、それは「人の役に立つことが自分の幸せ」ということ、つまり「利他」こそが自分のためになることを知ること。その気持ちこそが「生きる力」の根っこになる。そのためには、子どものうちから、できるだけたくさん「人の役に立つ経験」を積むこと。 
 
(8)人の役に立つことで、個性が育まれる 
 私なりの「経営観」として、利益第一主義をとらない。もちろん、会社は利益を出さなければ、存続できない。しかし利益を最大化しようとすると、お客様、社員、地域への貢献をなおざりにしかねない。それでは長期的に企業の力をそいでしまう。私にすれば、「当たり前のこと」と思うが、「実に個性的な経営」といわれることがある。 
 どうすれば人の役に立てるのかと、目の前の仕事に一所懸命に取り組んでみる。その努力を積み重ねるうちに、仕事が上達し、技術が磨かれ、周りから大切にされる存在になる。それが「個性」と呼ばれるのだ。 
 
(9)「私」を離れて「公」に至る 
 人の成長とは何か? ひとりでも多くの人の役に立てるようになることと考えている。多くの人の役に立つとは、多様な人々の利害をどう調整するかに行き着く。ここで大切なことは、「四方一両得」、つまりできるだけ多くの人が得をするにはどうすればよいかを考え抜く。 
 一部の人に迎合することなく、全体のことを考える。ひとりでも多くの人の役に立とうとする。そのことによって私たちは「私」を離れて「公」に至ることができる。これこそ成長の本質なのかもしれない。 
 
(10)一隅を照らす 
 平安時代に比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を開いた、天台宗の宗祖、最澄(さいちょう)の遺した『山家学生式』(さんげがくしょうしき)にこう記されている。 
 
 国宝とは何物ぞ  宝とは道心(どうしん)なり  道心ある人を名づけて国宝と為す 
(中略)径寸(けいすん)十枚是れ国宝に非(あら)ず 
一隅を照らす  此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なり 
 
「径寸」とは金銀財宝のこと。「一隅」とは私たち一人ひとりがいる場所を指している。 
つまり最澄は「金銀財宝が国の宝ではない。一人ひとりが今いる場所で精一杯がんばることが国の宝なのだ」と言っている。「一隅を照らす」とは、「その立場、立場で世のため人のために貢献すること」という意である。 
 
(11)利他の積み重ねが、「幸せな自分」をつくる 
 「人間の欲求五段階説」を唱えたアメリカの心理学者、マズローは、最高の五段階目に自分の能力や可能性を最大限発揮したいと思う「自己実現の欲求」を挙げて、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きもの」と述べた。 
 自己実現に向かう根本原理は「利他の心」ともいえるのではないか。それに利他に生きるほうが、「自分が、自分が」と我をはって生きるよりも、むしろ安心して生きることができる。「利他の心」は愛を求める心にほかならない。他者を真に愛すれば、その人の愛も得られる。「愛他の心」こそ幸せの源なのだ。 
 
<安原の感想> 「利他の心」で大震災後の日本再生を 
 著作『利他のすすめ』に一貫しているのは企業経営者としての自慢話でもなければ、成功物語でもない。むしろ失敗をどう克服してきたか、その悪戦苦闘の自己批判物語といえる。だから読む人をして腕を組ませ、座り直させ、「自分ならどこまでできるか」という自己反省を迫る。 
 もの知りをめざして知識を求めるだけなら無用の著作だが、生き方を多少なりとも深めたいと願う人には汲めども尽きない泉のような魅力がある。外野から「少し褒めすぎではないか」という声も聞こえてくるが、読後感は、評価、採点という次元を超えて「清々しい境地」といえば、納得して貰えるだろうか。 
 
 「世のため人のための利他」が望ましい行為であることは、分かってはいても、いざ実践となると、自分中心の利己主義を抑えなければ、至難に近い。著者は告白している。「知的障害者に偏見を持っていた私は、すっかり折伏(しゃくぶく)されてしまった。人間が入れ替わってしまったといってもいい。それで私は幸せになることができた。これこそ<学び>なのかもしれない」と。<利他=幸せ>は学びとともにある。 
 本書の結びの言葉は「知的障害者が教えてくれた<利他の心>を忘れることなく、助け合う日本人でありたい」である。たしかに東日本大震災と原発大惨事を境に今こそ求められるのは「利他の心」であり、それが日本の再生につながるに違いない。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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