2011年06月01日13時31分掲載  無料記事
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「力の論理を超えて ル・モンド・ディプロマティーク 1998−2002」

  過去10年で、印象深かった本を1冊あげるとすると、「力の論理を超えて ル・モンド・ディプロマティーク1998−2002」(NTT出版)である。出版されたのは2003年8月だ。この年の春、イラク戦争がはじまり、サダム・フセインの像が引き倒されて一応の終結は見たものの、むしろ米軍が泥沼に陥っていく頃である。僕はこの本を初めて読んだとき、新しい時代が幕をあけた気がした。 
 
  本書はフランスの月刊の国際評論雑誌ル・モンド・ディプロマティークの論考やジャーナリズムの中から、選り抜きの23本を翻訳紹介している。構成と執筆陣は以下である。 
 
第一部 戦争、テロリズム 
 
「敵の出現」(イニャシオ・ラモネ)、「アメリカの聖戦、イスラムの聖戦」(アラン・グレシュ)、「パレスチナ、領土の廃絶」(クリスティアン・サルモン)、「イスラム政治運動の多様な展開」(エリック・ルロー)、「テロリズムの定義という危険な試み」(ジョン・ブラウン)、「きれいな戦争という汚い嘘」(ロバート・ジェイムズ・パーソンズ)、「「低強度紛争」の地政学」ピエール・コヌザ)、「新たなる世界秩序」(イニャシオ・ラモネ) 
 
第二部 グローバル化の陰で 
 
「消費する「自由」のある世界」(ベンジャミン・R・バーバー)、「医薬品の国際アパルトヘイトを許してはならない」(マルティーヌ・ビュラール)、「天安門で挫折した中国の社会運動」(ワン・フイ)、「世界銀行、半世紀の曲折」(ニコラ・ギヨ)、「「持続可能な開発」に異議あり」(アミナタ・D・トラオレ) 
 
第三部 社会システムの変容 
 
「ヨーロッパ行きを夢見るモロッコ人たち」(ピエール・ヴェルムラン)、「ファシズムからナショナル・ポピュリズムへ」(ジャン=イヴ・カミュ)、「諸国民の歴史」(アンヌ=マリー・ティエス)、「「第三世界とは何もの」であったか」(イマニュエル・ウォーラーステイン) 
 
第四部 他者との共存のために 
 
「研究者の社会参加に向けて」(ピエール・ブルデュー)、「フランスの移民統合モデルは有効か」(ジェラール・ノワリエル)、「チアパスの苦悩、そして希望」(ジョゼ・サラマーゴ)、「教育的に正しいアルジェリア戦争」(モーリス・T・マスキノ)、「今日のフランスでユダヤ人であること」(シルヴィ・ブレバン+ドミニク・ヴィダル)、「バレンボイムとワーグナーをめぐる論争に寄せて」(エドワード・サイード) 
 
  今から思えば錚々たる執筆陣なのだが、当時知っている名前は2〜3で、大半は未知だった。この本が出るべくして出た、と感じたのはイラク戦争が背景にあったことが大きい。イラク戦争の時代はアメリカと英国という英語圏の二国が戦争にのめりこんでいた時代である。日本で発行されている大新聞の国際情報は大半が英語メディアからの情報であろう。戦争を行っている国から情報を買っているのだから、そこにそれらの国々の国益や都合のよい見立てが反映していたとしてもおかしくない。実際、イラク戦争の発端となったイラクの大量破壊兵器の情報も嘘だった。そうした時に英語メディアとは違った情報のルートを持っていないと危ういのではないか。多くの人がそんな風に思ったはずである。今までのようのアメリカに無批判に追随していると危うい、と多くの人が感じた。本書が出たのもそうしたタイミングだった。 
 
  著者は「ル・モンド・ディプロマティーク日本語版出版編集部」となっているが、代表は斎藤かぐみ氏である。その頃、朝日新聞にインタビュー記事が出ていた。斎藤さんは総合電機メーカーに勤めていたが93年から2年間フランスに留学した。その時、この雑誌を手に取りはまったというのである。 
  「全くのノンポリOLで、予備知識もなかったのですが、面白かった。断片的な報道ではわからなかった国際政治が、ああこういうことか、と実感できたんです」とある。「ディプロを通じて、ルーブル美術館だけがフランスじゃない、と思ってもらえれば十分です」 
  新しい時代が幕を開けた、と思ったのは斎藤さんのこの発言による。 
 
  「ディプロ」は出来事の構造や背景を取材・分析しているのでその事象の全体像をつかむことができる。しかし、原文で読むのはそれだけに骨が折れる。そもそも1つの論考も結構長い。僕も刺激されてディプロを継続的に買って読んでみたが、毎月全部を読み通すのは不可能だった。せいぜい3つ、4つというところである。しかし、斎藤氏は仏文和訳のできるボランティアを組織して、ル・モンド・ディプロマティークの日本語版サイトを立ち上げた。こうした論考に触れると、アメリカとは違った視点から物事を見ることが可能になる。アメリカが好きか嫌いか、ということではない。物事を多角的に見る余地を残しておかないといざというときに選択肢がなくなってしまうのだ。 
 
 「力の論理を超えて」の執筆者の中にピエール・コヌザという人がいる。「「低強度紛争」の地政学」という文章を寄せている。低強度紛争という言葉は不明だったが、文章を読めばそれほど難しくない。国家の戦争のような破壊力を伴わない民族紛争や地域紛争を指す。コヌザ氏は冷戦終結後にいまだきちんと考察されていないそれらの紛争について分析を交えて書いているのである。グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、コソヴォ、リベリア、シェラレオネ、アフガニスタン、スーダン、ソマリアなどである。 
 
  ピエール・コヌザ氏の経歴を見ると、フランス国防省分析官だ。紹介されている著作は「付随的被害」。これもわかりにくい言葉だ。フランス語では「Dommage collateraux」。 
  フランスから取り寄せてみると「policier 」とある。警察小説、ミステリ小説なのだ。何かの間違いじゃないか、と最初は思ったが、「ノンフィクションで書くと差し障りがあるので、ミステリの形にした」という。 
  ストーリーはユーゴの民族紛争に絡む武器密売の話である。旧ソ連の戦車やカラシニコフ銃、ヘリコプターなどがロシアンマフィアによって横流しされていた。それらは武器商人を介してセルビアに送られようとしていた。それをホワイトハウスのアドバイザーたちが阻止しようというのだが、米大統領も大統領選挙のときにロシアンマフィアから政治献金を受けていた、というのである。虚実をないまぜにしているのだろうが、面白く読めた。 
 
  本書「力の論理を超えて」は発刊からすでに8年たつが今手にとってみても、その問題提起は十分に生きていると感じさせられた。 
 
■ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 
http://www.diplo.jp/ 


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