2011年06月29日23時46分掲載
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選択肢のある人生 −ロンドン・シティ大学の金融ジャーナリズムMAコース一期生に聞く
前に取材をしたことがあるロンドン・シティ大学の関係者から、ある日、メールをもらった。数々のジャーナリズム・コースで名高いシティ大学が、昨年秋から新設した「金融ジャーナリズム」修士号(MA)のコースに、唯ひとり日本人の学生がいて、経済紙フィナンシャル・タイムズ(FT)・グループで研修をしているという。7月には日本に帰国するという瀬口美由貴さん(26歳)とシティ大学近くのタイ料理の店で落ち合い、英国に来るまでの経緯やこれからを聞いてみた。(ロンドン=小林恭子)
ジャーナリズムを英国の大学で勉強していると聞くだけでも、私にしてみれば「すごい!」と感嘆してしまうのだけれど、英国の高級紙の中でも質の面でトップクラスのFTで、研修するほどの能力があるというのは、輪をかけてすごい。「唯一の日本人学生」というのも、相当のがんばり屋さんという思いがする。
私がぼやぼやしている間に月日は過ぎ、今年春、当の学生さんは研修を追え、コース卒業のための最終プロジェクトに取り掛かっているところだった。
タイ料理のランチは、飲み物からランチ・ボックスまで、趣向を凝らした盛り付けをしていた。瀬口さんは歓声を上げながら、飲み物のグラスやランチ・ボックスの写真を携帯で撮りだした。ひとしきりの興奮と写真撮影が終わってから、話が始まった。
―岐阜県で生まれ、英国に飛ぶ
瀬口さんは岐阜県生まれ。高校卒業後、英国の大学に入った。もともと、海外への関心は高かったようだ。最初の1年は、スコットランドのセント・アンドリューズ大学(ウィリアム王子が妻となったケイト・ミドルトンさんと知り合った大学だ)で過ごし、次の2年はオックスフォード・ブルックス大学で、3年間、言語学を学んだ。
言語学を学習する中で、メディアを分析する授業があった。「新聞を読んで、記事を分析したり、ラジオに出た人が何故そういったのかを議論しあう」授業だ。瀬口さんの中で、メディアに関する興味が湧き出したという。
卒業後、瀬口さんは英国で就職せず、日本に一旦帰国する。日本の外に出て、「日本のことをあまり知らないことに気づいた」という。
「もっと日本のことを知りたい」−そんな思いにかられた瀬口さんが就職したのは、航空・旅行業界の専門紙で、主に法人向けの業界紙(日刊と週刊を発行)だった。読者層は国交省、旅行会社、国内・海外エアライン、ホテル、在日政府観光局関係者。主に、海外エアライン担当の記者として、2年半、ビジネスや経営に関わる取材、本社から出張で来日した経営陣や、在日の統括責任者のインタビュー等を経験した。業務の中で、瀬口さんは英ロイター通信や米ブルームバーグが流す英文記事に遭遇した。
英文のビジネス記事を読むービジネスに興味のない人であれば信じられない話かもしれないが、瀬口さんはここで、心が熱くなった。英文記事を読み、その意味を理解して、適宜、業界紙の仕事に役立てる作業を続ける中で、「自分は何故ここにいるのだろう」と思うようになった。英文記事を発信するロイターやブルームバーグが存在する世界に自分は何故いないのか、と。英語圏に行きたい、そこで勝負してみたいという感情が、瀬口さんの中に芽生えた。
「リスクがあっても、行ってみるべきだ」、「1%の可能性があるなら、挑戦してみるべきだ」−そう思った瀬口さんは、早速、海外留学への準備を始めた。
英文ジャーナリズムの世界に入るには、一体どうしたらいいのだろう?瀬口さんは考え出した。フィナンシャル・タイムズや週刊誌「エコノミスト」がある、英国に行こう、と瀬口さんは思った。英国に行くなら、金融の中心地シティーがある、ロンドンだと。
シティ大学の卒業生や外資系メディアで働く記者などに話を聞いて、業界内の評判が高いロンドン・シティ大学で勉学することにした。2010年9月から始まった、MA金融ジャーナリズムコースである。瀬口さんの関心は文化よりも経済やビジネス一般だったので、自然のなりゆきだった。
シティ大学では、途中でメディアで研修できる。それも選んだ理由の1つだった。
―24時間、勉強の日々
金融ジャーナリズムのコースの13人の学生の一人に選ばれた瀬口さん。勉強はどのようにして進んだのだろう?
「とっても厳しいスケジュールでした」。授業は朝9時から午後5時までびっちりあり、毎日宿題が出る。週末も宿題に追われ、「起きている間は常に勉強」。それでもめげなかったのは、会社員時代に1年間準備してやってきたときの強い思いだった。
最初の留学で大学の授業を受け、卒業した経験があったので、英語には普通は不自由しかなったが、金融コースで学問的な単語が飛び交うようになると語学が「壁に思えた」という。大学では、「英語力や金融に関する知識の不足、文化的ショック」など、瀬口さんは「三重苦だね」と言われたこともあった。
しかし、そのうち、瀬口さんは次第に厳しいスケジュールになれてゆく。コースの楽しさも功を奏した。コースの学生たちは、英中銀をはじめとする金融関係の組織をいくつも訪問し、ロイター、ブルームバーグ、エコノミスト、BBCなどにも訪れる機会を与えられた。また、米英の主要メディア、ニューヨークタイムズやBBCなどの現役・元記者や英国でトップのビジネススクール、CASSビジネススクールやロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの教授による講義も勉強になったという。
最初はあまり気が進まなかったが、振り返ってみれば非常に貴重だったと思うのが、メディア法に関する講義だった。「裁判では何をどこまで報道できるのか」「陪審員を保護する報道とは」について、詳しく学んだ。英イングランド地方の司法体制が対象だったため、当初は「どこまで役に立つのか」と思ったのだが。
また、これからのメディア記者とは「書くだけではなく、動画も作れて、テレビ、ラジオ、ネットのどれにも対応できなければいけない」というのがコースのモットーだったため、瀬口さんを含むコースの学生たちは、新聞記者として、かつ放送記者としての訓練も受けたという。
―「研修生でもチームの一員」
実際に、フィナンシャル・タイムズ・グループで働いたときは、どんな感じだったのだろう?
英国の企業では、学生を一定時期「インターン」(研修生)とし て雇用する習慣がある。これはインターンの後、その企業に必ずしも就職する、つまり、就職斡旋ではなく、「青田買い」でもないが、コネができることで、就職口を見つけやすくなることは確かだ。
瀬口さんがインターンとして働いたとき、「チームの一員として扱われた」という。働いた年月の差によって特別な扱いを受けるということはなく、署名記事を書くところまで行ったという。あることを「やったことがなくても、やり方を教えてもらって、できるところまでやる」、そして、「やった結果で評価される」仕組みを肌で経験した。
ジャーナリズムの面でも学んだことがある。瀬口さんが言われたのは、「難しい言葉を使うな、分かりやすい言葉で、全部説明するように書くように」。ブログで市民がどんどんニュースを読むようになった現在、「新聞の役目は、いま世の中で話題になっていることを(読者が分かるように)説明することだ」と言われた。「分かっているだろうということでも、書くこと。分かっている人はその部分を飛ばすだけだから」。
瀬口さんは、日本に帰国後、東京にある外資系メディアで働くことが決まっている。「プロとして、英語で記事を書いて、お金を『稼ぐ』ことをきちんとやりたい」という。当面は、英語でのジャーナリズムに集中する。「国境を越えた仕事をしたい」からだ。
「どんどん、日本人の学生にシティ大学で勉強してもらいたい」「後に続いてもらいたい」と瀬口さんは言う。
シティ大学の金融ジャーナリズムコース(MA)は、EUの外からの学生の場合、学費が1万9000ポンド(約240万円)かかる。これだけの投資をするからには、相当の覚悟と意気込みが必要だ。
改めて留学の意味合いを聞いてみると、瀬口さんは、おそらく、どれほどお金を積んでもおいそれとは買えない醍醐味について語ってくれた。
それは、「人生のもう一つの選択肢ができる」ことだ。生まれ育った一つの社会だけを知っている場合、この社会の中で失敗したら、終わりになってしまう。「引きこもりになることも」。海外で生活すると、「別の見方があることが分かる。いろいろと視野を広げられる」。
瀬口さんは英国で、世界中の様々な大陸からやってきた、学生たちと勉強した。「自分が予想もしなかったことを普通に言ってくる」。日本がいいか、それとも英国がいいのかという二者択一ではなく、「自分に選択肢が広がる。ぜひそれを知ってほい」。
個性を尊重する教育も気に入ったという。英国では「こうしなさい、というのがなく、こちらが意見を出すと、『じゃあ、それもやるか』となる」。
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英語でジャーナリズムをやりたい、そのためには英国の大学でジャーナリズムを勉強したいー目的を持ち、これをやり遂げた瀬口さんと話す中で、私はかねてから英国での生活で感じていた、「自分は自分」という考えを、瀬口さんも共有していることが分かった。「人と自分を比較してあれこれ考える必要はなく、良かれあしかれ、自分は自分」―非常に単純なことなのだが、なぜか日本から英国に来ると、これが新鮮に思える。英国で生まれ育った人は、階級や収入などの面から、生きていることの窮屈さを感じているのかもしれないのだけれど。また、英国に住んで、日本にいたときよりも自由さを感じるのは、もしかしたら、外国人であることや、ほかに比較しようにも同じような状況の人がいないというせいもあるのかもしれないけれども。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
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