2011年07月22日01時28分掲載
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伊藤千尋著「反米大陸」から もうひとつの9・11 チリ・クーデター
中南米で9・11と聞くと1973年9月11日のことだと考える人も多いという。この日、チリの大統領官邸がピノチェット将軍の率いるクーデター軍に攻撃され、以後、1990年まで軍事独裁時代が続くことになったからだ。
伊藤千尋著「反米大陸」(集英社新書)によれば、左派人民連合のアジェンデ大統領は官邸からラジオ放送で「アジェンデは降伏しない。チリは降伏しない」と宣言し、大統領警護隊とともに機関銃を手に戦った。戦闘は1時間半に渡ったがモネダ宮はついにクーデター軍の手に落ちた。アジェンデ大統領は2階の執務室の椅子に座り、死亡していた。大統領が殺されたのか、自殺したのか議論が分かれていたが、この度の調査で椅子に座って自殺していたことが確認された。
クーデターを操っていたのがCIAであり、アメリカであったことはすでに歴史となっている。アメリカはアジェンデ政権が国有化したチリ銅山の米資本の権益などを回復したかった。そこで政権転覆のシナリオを練った。
伊藤氏の「反米大陸」には次のように書かれている。
「チリのクーデターでCIAが果たした役割については、クーデターから1年後に、「ニューヨーク・タイムズ」紙と「ワシントン・ポスト」紙が調査報道している。アメリカ上院に作られた特別委員会の調査報告は「選挙でアジェンデが第一位となってから11日後の1970年9月15日、当時のニクソン大統領が、アジェンデ政権の成立はアメリカにとって受け入れられない、と当時のヘルムスCIA長官に告げ、アジェンデの大統領就任を阻止するため、軍事クーデターを起こさせることを提案した。合衆国政府は、反アジェンデ軍事クーデターを支援し、陰謀派を激励した」と明記している」
このクーデターに材を取り、コスタ・ガブラス監督が作った映画「ミッシング」ではクーデター直前に米軍人たちがサンチアゴのホテルに集結していた様が描かれている。丁度その頃サンチアゴに滞在しており、米軍人たちの様子をメモしていたアメリカ人の青年が行方不明となり、後に殺されていたことが判明するのだが、この映画は史実に基づいて作られたとクレジットされていた。アメリカ人の青年が殺されたのはクーデターに米国が関与していたことが発覚するのを恐れていたからだった。
伊藤氏の「反米大陸」を読んで謎に思えたことが1つある。チリ軍にアメリカが軍事費を支援していたことである。それもアジェンデ政権の末期には防衛予算の1割に達していたというのである。
「アジェンデ政権の3年間には、それ以前の数年間の2倍に当たる、4500万ドルがアメリカからチリ軍部に供与された。これほどの軍事援助をする理由について、米海軍提督は上院対外援助小委員会で、「両国間の関係が緊張したとき、チリの軍人の対米志向性を維持するため」と証言している。」
アメリカは経済封鎖を行うなど、アジェンデ政権の崩壊をもくろんでいた。たとえ左派政権であっても、支援金であれば米国から受けるものだろうか。あるいは大統領府と軍との関係がシビリアンコントロールの形になっていなかったのだろうか。
クーデター成功後、軍事独裁性を敷いたチリに導入されたのが米シカゴ学派が推奨する新自由主義経済だった。その意味では9・11は今日の世界につながる日と言えよう。
■「反米大陸 〜中南米がアメリカにつきつけるNO !〜」
著者の伊藤千尋氏(1949−)は朝日新聞中南米特派員、バルセロナ支局長、ロサンゼルス支局長を歴任。著書に「狙われる日本」「フジモリの悲劇」「たたかう新聞「ハンギョレ」の12年」などがある。
この「反米大陸」ではチリだけでなく、中南米全域がアメリカ合衆国との関係の中で描かれる。今日の中南米を知るためにはその歴史を踏まえる必要があるが「反米大陸」は必読とも言える一冊である。
■記事「アジェンデ大統領の遺体を掘り起こす」
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村上良太
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