2011年08月21日12時45分掲載  無料記事
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文化

【核を詠う】(3) 被曝二世といふ苛責なき己が呼名わが末の子のいまだ知らずも(竹山広『とこしへの川』から)  山崎芳彦

  竹山広さんの『とこしへの川』の中の作品を、さらに抽いておきたい。この歌集は、被爆から35年後までの作品を収めている。したがって被爆時だけでなく、原爆症つまり核放射能の被曝の健康への影響、後遺症の実相を明らかにする歌も、当然のことだが含まれる。竹山さんご自身、ご夫人、さらにはお子さんの健康について、さまざまに詠っている。被爆二世についての歌もある。 
 
  いま、福島原発事故による放射能被害が広い範囲の農畜産物はじめさまざまな分野で深刻な情況を呈しているし、今後どのようなことが、とりわけ原発労働者、原発近隣住民や、子供たちの中で問題になるかわからない。本来なら、広島、長崎の被爆による放射能被害についての医学的研究の蓄積や生活環境への影響などが明らかにされなければならないし、さらに現状に即した調査研究の体制が組織されていなければならないはずである。 
 
  私は、竹山さんの短歌だけではなく、たとえば「歌集広島」、「原爆歌集ながさき」その他多くの人々の作品が収録されている歌集を読んできた中でも、福島原発事故による放射能被害についても「原発は原爆だ」の思いをつよくしている。竹山さんの『とこしへの川』をはじめとする膨大な作品群の中に、核放射能の人間の生命や生きるものすべてに対する果てしない危険が語られていると思いながら読んできた。短歌は人間の存在の姿を示す文学であるのだから。以下、『とこしへの川』の作品を抄出しておきたい。 
 
盛大に花火を上げむポスターのまたうつくしく原爆忌来る 
 
原子爆弾に生きて十四年よひよひの夢に声あぐる事もなくなり 
ぬ 
 
耳のへに髪燃え残りをりたりと思ふつぎつぎに逢い向かふ死者 
 
原爆症にいのち死にゆきし誰もたれも怖れつつつひにすべなか 
りけむ 
 
爆心地より千四百米の距離にゐて生きたれば生きしゆゑにくる 
しむ 
 
長崎によみがへる灯を伝ふれど心しづめて臥床を出でず 
 
自衛隊に農をいとひて出づる子を送らむとその父母(ちちはは) 
並ぶ 
 
敗戦ののち十六年立ち直り得たる者らを見むと来給ふ 
 
すめろぎの民の思ひにいま遠く立ち待てる間のただ寒きかな 
 
現つ神にあらず人民にまたあらず機関車二輌みがきつらねて 
 
十八年過ぎて細まりし被爆の傷わが見てをれば妻も見しむる 
 
原爆症をおそれて医者にゆき得ざる妻に短き農閑期いまは 
 
つづき番号の原爆手帳持ち合ひて妻と健診の順番を待つ 
 
原爆症に死にたることし幾人と伝へず知らず知られざるのみ 
 
万の死者ひとつ炎に燃えし日のきれぎれにして多くを忘る 
 
乞ふ水を与へ得ざりしくやしさもああ遠し二十五年過ぎたり 
 
今日ここに集る数を競へりし二つの党の会も果てたり 
 
原爆を忌み戦争を忌み嫌ふ今年の声もまた終るべし 
 
 
(不明の死) 
被爆二世と呼びなしてひとつ死を伝ふ子に隠し得むことならな 
くに 
 
原爆症か否か不明の死とされてその翳りなき笑顔載りたる 
 
被曝二世といふ苛責なき己が呼名わが末の子のいまだ知らずも 
 
被爆の血うけて兢兢と光る眼の孫子らを生きて見ることなかれ 
 
貧血のみなもとを突きとめむにも思ひはかへるわれは被爆者 
 
原爆の歌いくつわがよひよひに苦しみ詠めば賞め給ふなり 
 
 
(一年のうちのいち日) 
くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川 
 
詠みすすむ平和宣言 うつくしくことしの今日をゆかしめむとて 
 
悶絶の面くらぐらとしづまれるいづこの坂ぞわれにひらめく 
 
水を乞ひて捧ぐるもろ手あとさきのなき白昼のひとつまぼろし 
 
人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら 
 
一年のうちのいち日すみやかに過ぎむとしつつ去るものは去る 
 
被爆三十年の次なるいち日生きなむとしてあかつき白む 
 
 
(閑日) 
前ぶれのなき床中の悪寒など秘め来しものも年を越えたる 
 
かの末期おのれのみ知るくるしさの言ひ難かりし思ひさへ過ぐ 
 
被曝三十一年を生き得たる身にビールの冷えのあさましく沁む 
 
 
(夏日小感) 
原水禁原水協と呼びわけて心しりぞき経し十四年 
 
生きをれば情ぞ賜ふ近距離被爆者保健手当月六千八百円 
 
被爆の傷見む衝動のゆゑ分かずま夜みづからの腰を照らしつ 
 
 
(核ふたたび) 
口中の飯を忘れてときのまのありわれに向ひてとどまらぬ「むつ」 
 
港深く直進しくる「むつ」のかなたいまだ群がれる漁船団見ゆ 
 
船腹に身をうち当てむ妄動(たはけごと)思ひてこよひいくたびの汗 
 
核ふたたび身辺にあり繋がれて「むつ」にことなき日日といへども 
 
 
(念念の生) 
かの日わが頭上に立ちし原子雲の外景をけふ仰がむと来つ 
 
爆央の渦暗紅の雲となるその刻刻の地(つち)を見しめよ 
 
死の前の水わが手より飲みしこと飲ましめしことひとつかがやく 
 
追ひ縋りくる死者生者この川に残しつづけてながきこの世ぞ 
 
ヒバクシヤと国際語もて呼びくるる夕まぐれ身のくまぐま痛む 
 
被爆時の記憶さへ妻と相たがふ三十五年念念の生 
 
  竹山さんの歌集は、昨年3月末に90歳で逝去される前年まで 
作歌を続けてきて、死後に出版された『地の世』まで十冊を数え作品数は膨大であり、作品の内容も原爆、戦争、天皇、アメリカ、そして家族、生活全般、心象・心境、竹山さんの全人間存在が短歌表現されていて、まことに奥行きの深く幅の広い作品群を遺してくれている。「被爆歌人」のレッテルは当たらないが、しかし竹山さんが被爆者として健康に苦しみながら九十歳を生き抜いた果実としての短歌作品そのものが、他者の貼ったレッテルなどを問題にしないと思う。原爆短歌として読まれても許すであろう。 


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