2011年08月29日15時17分掲載
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文化
【核を詠う】(4)起きがたく身を投げをれば九日の朝ぞ朝ぞと鳴きくるる蝉(竹山広「ながき一日」から) 山崎芳彦
私事になるが、2010年3月30日に私は前年の3月に続いて心筋梗塞を発症して救急車で入院した。入院して3日後に、妻がぽつりと「竹山広さんが亡くなったわよ。」と呟くように言ったのを聞いて、私は「ああ、ついに・・・」という思いにとらわれた。いつのことかと聞くと、私が入院したその日のことだったという。ショックを受けるのではと考えて、妻は言いそびれていたようだ。私は、入院中に竹山さんをしのぶ歌をいくつか作った。まことに拙い歌で恥じ入りながら、私なりの記録として書かせていただく。
病室の吾に声低く妻の告げり 「竹山さんが亡くなられたの」
竹山さんの一生(ひとよ)果つるまで原爆は弾けつづけたり うたのいひける
『とこしへの川』にうたれし日を想ふ竹山さんの歌を知りし日
かなしみは四月の空の積む雲にあふれあふれて雨となりたり
とこしへの川のほとりに竹山さん眠り給ふか うたは眠らず
手術後に『眠ってよいか』を読みつつに「まだ眠れぬ」とひとり言(ごち)せり
6首 山崎芳彦
竹山さんの歌を抽いていったら、私にはあれもこれもときりが
ない。心残りだが、『眠ってよいか』(2008年刊)所収の「ながき
一日」から、久間防衛大臣(当時)の、原爆の投下はしょうがなか
ったこと、という発言を受けての、痛烈極まりない作品をふくむ
いくつかを挙げて、とりあえず竹山作品のごく一部を読むことの
区切りにしたい。
原爆の疵痕(きずあと)はこのあたりかとわすれてをれば孫の手がいふ
払暁の空ふり仰ぐ衝動の来なくなりたり六十二年過ぎて
起きがたく身を投げをれば九日の朝ぞ朝ぞと鳴きくるる蝉
思ひつつ切らざりし足の爪も切りぬ原爆の日のふしぎなこころ
おんおんと天に怒りをゆり上ぐるサイレンのながきひと息くるし
崩れたる石塀の下五指ひらきゐし少年よ しやうがないことか
空缶の水飲み干して陶然と顔上げしひとよ しやうがないことか
己が名を叫びつつ山に果てゆきし女子挺身隊員よ しやうがないことか
山みづの滴りに身を折り重ねゐし死者たちよ しやうがないことか
灰燼のなか辛うじて拾はれし骨のいくひらよ しやうがないことか
水を乞ひて夢にさへ足に縋らんとせしたましひよ しやうがないことか
一瞬にして一都市は滅びんと知りておこなひき しやうがないことか
六十二年昔をきのふおととひの如くに泣けり しやうがないことか
欲る水をいくたびわれは拒みしか愚かに兄を生かさんとして
防衛庁は省となりもつべからざる三軍を統ぶあたりまへのごとく
あやまたず歴史は書けよ六十二年アメリカがなしきたりしすべて
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