2011年09月06日01時20分掲載
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水爆と深海の怪物 〜「それは海の底からやって来た」〜 村上良太
核実験によって巨大な怪物が生み出される。これは日本が誇る怪獣映画「ゴジラ」のアイデアである。ゴジラが初めて上映されたのはウィキペディアによると、1954年11月3日だ。同年3月1日、米軍がマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験で日本の第五福竜丸が被曝している。この悲惨な事件から8か月後に「ゴジラ」が上映されているのだから、当時の日本の映画製作者たちの感性とパワーに驚かざるを得ない。
「ゴジラ」のようなメジャーにこそならなかったが、アメリカでも水爆実験の恐怖をモチーフにした怪獣映画が作られている。1955年に公開された「It came from beneath the sea」である。邦題は「水爆と深海の怪物」であるが、直訳すれば「それは海の底からやってきた」である。Itの使い方がおどろおどろしくていい。
冒頭、アメリカの原子力潜水艦が何者かに襲われる。潜水艦のモーターにからみついた「何か」の生体の一部を持ち帰り、海洋生物の専門家に調べてもらったところ、タコの細胞であることがわかる。もしそうだとすれば巨大なタコだ。これはマーシャル諸島の水爆実験によってタコが巨大化したものだということがわかってくる。被曝タコはフィリピン海溝の底深く潜んでいたが飢えたため水面に現れたのである。というのも巨大化したタコは今までの捕食活動では満足に食えなくなったからだ。そして、もっと大きな動物類を求めてサンフランシスコに上陸するのである。
特撮は当時その道で第一人者だった、レイ・ハリーハウゼンが担当している。今に比べれば素朴な特撮なのだが、巨大なタコの足が潜水艦をとらえたり、サンフランシスコの金門橋に出現したりととても面白い。当時は最高の特撮技術だったはずだが、今から見ると、不思議なことにゴダールが監督したSF映画のような印象を受ける。低予算で、コンセプトだけで勝負する作り方である。ゴダールがそういう「一見ちゃちな」SF映画をあえて作っていたのは、SF映画は金がかかりすぎ、ハリウッドしか作れなくなってしまうことに欧州映画人として危惧を感じたからだと聞く。だが、ウィキペディアによると、ハリーハウゼンに与えられた特撮の予算が少なかったため、タコの足を6本にせざるを得なかった。素朴な特撮だが、今見ても面白いし、低予算でもアイデアがシャープならいろいろできるのではないか、という気がしてくる。
余談だが、僕は2006年に「知らされなかった核汚染〜被ばく60年 マーシャル諸島〜」(NHK・BS)という題のドキュメンタリー番組づくりに参加した。取材班の本体は南太平洋にあるマーシャル諸島に出かけたのだが、僕はアメリカで医者や上院議員らに話を聞いたのである。マーシャル諸島で行われた水爆実験は1946年7月から58年8月までの間に67回も行われている。これを長年取材してきたフォトジャーナリストの豊崎博光氏によれば広島に投下された原爆に換算すると7200発分にもなり、チェルノブイリ原発事故の150倍もの放射性ヨウ素が放出された。(詳しくは豊崎氏の著書を読んでください。)
http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0505_4.htm
水爆実験の中で最も強力で、放射性物質を大量にまき散らしたのが1954年3月1日に爆発したブラボーという名前の水爆だった。第五福竜丸が被曝したのもブラボーである。ブラボーとは歓喜の表現だが、米軍がブラボーを爆発させた時、風向きが海でなく島に向かい、想定外に多くの島民が被曝してしまった。その結果、がんや白血病で多くの島民が亡くなった。甲状腺障害も多発した。アメリカ政府は補償にあたって被災地域を線引きしたのだが、実はその線の外側の島民たちにも健康被害が多発していることがわかってきた。被害の実態は50年にわたって隠されてきたのである。
豊崎氏はその末路をこうつづっている。
「核実験場のビキニ環礁は死滅させられ、エニウェトク環礁は半死、ロンゲラップ環礁が崩壊させられただけではなくマーシャル諸島全域が被害を受けました。核実験終了後はクワジェレン環礁で核兵器の運搬手段ミサイルの実験が行われ、その模擬弾頭に詰められた劣化ウランによって新たな放射能被害を受けているのです。」
怪物はトカゲやタコでなく、人間だったことがわかる。
■水爆ブラボー
1954年3月1日にマーシャル諸島・ビキニ環礁で実施された米国史上、最大の水爆実験。ブラボー以外にも断続的に核実験を行ったが、一連をキャッスル作戦と名付けている。ブラボーは想定していた4〜6メガトンでなく、15メガトンの爆発となった。これは計算ミスだったという。そして風向きの変化なども含めて、想定していた範囲以外の地域の住民に死の灰が降り注いだ。(ウィキペディアを参照した)
http://en.wikipedia.org/wiki/Castle_Bravo
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