2011年09月13日00時13分掲載
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アジア
「戦争は終わった しかし・・・」〜スリランカ訪問して〜 池住義憲
”戦争は終わった。でも、平和はまだ来ていない” ”人々の安全を守るための法が、人々への脅威、平和への障壁になっている”・・・。これは、スリランカ・タミル人の声です。先月(8月)、私がスリランカ滞在中に会ったタミル人から聞いた言葉です。
■タミル人の声
スリランカは、アジアでもっとも長年にわたって内戦が続いた国。1948年の独立後、シンハラ人指導者はシンハラ語を公用語化し、仏教保護政策を推進するなど多数派(シンハラ人)中心政策を推進しました。これに対して少数派タミル人は反発を強め、1970年代から分離独立運動を開始。1983年ごろからタミル人の多い北部と東部で、政府軍との戦闘が激化しました。そして、分離独立を求める「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)と政府軍との間で内戦になりました。
2002年、ノルウェーの仲介で無期限停戦協定が一旦は合意されます。しかし、2005年の大統領選で、LTTE強硬路線を掲げたラジャパクサ氏が当選。政府は停戦を破棄し、軍事力によるLTTE武装制圧に切り替えました。市民の巻き添えを懸念する国連や欧米諸国の自制要請に反し、ラジャパクサ政権は2006年から軍事攻勢を強めました。そして2009年5月、LTTEを軍事力で壊滅させました。
20年以上のわたる内戦の結果、死者は7万人を超えました。計百万人を越えると言われる国内避難民(Internal Displaced People, IDP)とインドに逃れたタミル人難民を生み出しまし た。スリランカの人口構成は、シンハラ人(主に仏教徒)74%、タミル人(主にヒンズー教徒)18%、ムーア人(主にイスラム教徒)8%。武力制圧による”解決”は、民族間(主にシンハラ人とタミル人)に対立感情を深く残しています。
■紅茶農園で・・・
スリランカ中部キャンディから南東へ25キロ、そこにデルコタ・ティープランテーションがあります。1835年に英国がスリランカではじめた最初の紅茶農園です。農園にいるのは主にインド・タミルナドゥから連れてこられたタミル人で、現在この農園に住むタミル人は約1,000人。
彼らから3時間ほど、話を聞きました。朝7時から午後3時過ぎまで働いて、日給515ルピー(約360円)。但しそれは月22日以上働いた場合で、それに満たない場合、日給は385ルピー(約270円)となります。8月は雨降りが多かったので、15日くらいしか働けていない。働くことができるのは、原則、20歳以上。しかし家族のうち一人だけの収入では生活できない。したがって、子どもの年齢を偽ってでもひとりでも多く働き、収入を得なければならない状況です。
2009年5月のスリランカ内戦終結とについて、聞いてみました。 「戦闘行為が無くなったことは、歓迎」、「以前はシンハラ人とタミル人の間で緊張感や不信感があったが、終結後はお互いが近い存在になった」など、肯定的な声。しかし、内戦終結後のことを聞いてみると、一変! 「すこしは生活が良くなるかと思ったが、なにも変わっていない」、「むしろ、厳しくなった」、「仕事がない、食べ物がない」、「病院行っても、役場に行っても、まだシンハラ語だけで、わからない」など・・・。
法律ではシンハラ語とタミル語両方が公用語となっているが、内戦終結後も依然として多くの地域ではシンハラ優先行政が続いている。タミル人の選挙権も政府による登録事務の遅れやサボタージュで、未だに得られていない人が多い。北部や東部では、LTTEとのつながりがあるとの理由で、市民が突然逮捕される。逮捕令状なしに身柄拘束や家宅捜索を可能にしている非常事態令があるからです。逮捕された市民は、どこにあるかもわからない”オープン・ジェイル”と呼ばれる場所・地域に隔離、拘束され続けています。
■NGOワーカーに聞く
プランテーションワーカーとその家族を対象として活動している地元NGOの人(タミル人)は、次の三つのことを私に語ってくれました。第一は、シンハラ政府軍の圧倒的軍事力によってもたらした内戦”終結”は、民族間の対立を解決するどころか、深い傷をさらに深くしたということ。平和そのものが、つまり平和的あり方、やり方そのものが平和をもたらす唯一に道だ、と強調しました。
第二は環境汚染に関して。2009年5月以前は入って来れなかった海外の多国籍企業(アグロ・ビジネス)が、内戦終結後、スリランカに大幅に参入したとのこと。増産と効率化を目指して、多量の化学肥料や除草剤、殺虫剤などを投下・使用した。それが、スリランカの土壌や河川、海などへ悪影響をもたらすことを心配しているのです。
第三は、タミル人の権利に関して。「タミル人が望んでいるのは、平等な権利(Equal Rights)だ!」と強調。内戦は終結したけど、タミル人にとってはまだそれは実現していない。多数派(シンハラ人)は少数派(タミル人)に対して優越意識を今も強く持ち、それがタミル人の権利回復、生活環境改善を遅らせている、と指摘しました。 また、前述の非常事態令(1983年成立)とテロ防止法(PTA、1989年〜)がいまだに継続されている。「人々の安全を守るため」との名目によるこれら二つの法律が、逆に、「人々への脅威」になっている、と言う。この二つの法律が、平和への障壁、障害になっているのです。
これらを廃止しなければ、人々、とくにタミル人の恐怖と貧困、苦しみはなくならない、と語りました。 今回のスリランカ訪問で私は、西部ネゴンボに拠点を置くNAFSO(NationalFisheries Solidarity)と、中部キャンディを中心に して活動するHDO(HumanDevelopment Organization)に注目しました。この二つのNGOは、スリランカのこうした状況のなかで、権利回復、平和づくり、民族和解にむけた取り組みを進める上で、共通していることがあります。私が感じとったことだけでも、次の5つです。
1)地域の当面、且つ具体的問題・課題そのものへの取り組み
2)取り組みのほぼすべてでシンハラ、タミル、モスレム三者の協働を意識していること
3)将来の社会の担い手となる子どもを取り巻く問題・課題に取り組むことによって必然的に家族(ファミリー)と地域の人々を包み込んだ動きになっていること
4)教育活動を柱に据えての徹底した「対話」「話し合い」を重要視していること
5)様々なレベルで政策提言(アドヴォカシー)活動を行っていること
■平和研究
今回のスリランカ訪問は17年ぶりでした。立教大学キリスト教学研究科の平和研究調査のための訪問でした。地域住民の非暴力による平和づくりの取り組みは、これまであまり記録されていません。記録され歴史に残っているものは、その時々の為政者・権力者たちの視点からのものがほとんどです。しかもその多くは、軍事力行使によるもです。
私が代表を務めて行っている立教大学キリスト教学研究の平和研究は、このように今まで記録されていない、語られていないアジアの草の根の人々の平和に対する非暴力の取り組みをこそ掘り起こし、記録し、分析するものです。タイトルは、「宗教間・文化間『対話』を通したアジアの共存と平和」です。
スリランカのほかに、フィリピン(ミンダナオ島のムスリム自治区バシラン州での平和づくり)、カンボジア(元ポル・ポト派支配地域シェムリエップ州北部での平和づくり)、イラク(北部キルクーク地区での平和くづくり)の計4カ国の事例を選定。国内のNGO(アジア保健研修所、日本国際ボランティアセンター、非暴力平和隊)およびそれぞれの海外協力NGO団体と協働して研究活動をすすめています。 2013年1〜2月には東京で国際シンポジウムを開催する計画です。
(筆者は立教大学教員)
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