2011年09月18日00時33分掲載  無料記事
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アジア

【ブ−タンに遊び、GNH・開発を考える】その3 ブ−タンは矛盾に満ち、深刻な課題を抱えた国ではないか  近藤康男 

 旅のガイドで有名な「地球の歩き方:ブ−タン」の売れ行きは、実際に旅行する人の数を大きく上回っているそうである。ブ−タンに関する情報・書籍が少ないこともあるのだろうが、豊かな自然・人々の心・伝統に満ちた、ヒマラヤの懐に抱かれた神秘な小国といったイメ−ジへの強い興味の表れと思われる。 
 
しかしこの旅は、一日に5時間以上を車で走り、目まぐるしく変わる風景を眺めながらの道中、暇にまかせて議論を繰り返し、そして何度も、この国は今後どうなるのだろうか?インドに飲み込まれない自立と開発の道は?などと考えさせられる旅となった。その対外イメ−ジと違い、ブ−タンは実に矛盾に満ち、深刻な課題を抱えた国ではないかと思うようになったのである。旅の終わりに、ある省の企画部門の幹部職員と議論した後もこの思いは更に強くなったものである。 
 
神秘な国の旅で感じたタフな未来の予感:キ−ワ−ドはEnglish Divide、Urban-Rural Divide、合成の誤謬の3つだろうか? 
 
◆English Divide(英語力による格差) 
 
  ブ−タンでは、70年代から学校での英語教育が取り入れられ、90年代からは小学校から標準語としてのゾンカ語とブ−タン史以外は英語で教育が行われている(正確な時期、年令未確認)。 
 
  訪問する外国人には非常に助かるのも事実であるが、“digital divide”以上に問題となるのではないかと懸念される。特にGNH概念とは、次第に大きな矛盾を生じることになるのではないかと思われる。 
 
  英語に堪能であることは、否応なしにグロ−バル化が進む現代、多種多様な情報を入手したり、情報を発信したり、国際政治の場で存在感を発揮する上では非常に有利であるのは確かである。 
  しかし、言語は文化であり、権力である。大国の母国語である英語が世界に広がり、ある意味便利なコミュニケ−ションの道具となっている。大国の母国語であるが故に否応なしに普及し(押し付けられ)ていると言えるし、その結果、特に経済と政治においては、思考方法や物事の方法論が自然に英米流となってしまうという実態が形成され、更にはそれが正しいモノとして認識されてしまうという、ある種危険な単一化の流れが世界に広がっているのが現実である。 
 
  もっと危険なことは、英語での教育に着いて行けない国民は良質な高等教育の機会から振り落とされ、次には就労機会からも排除されること、職場における評価・昇進の道も狭められ、しかもそれは格差として固定され、次世代に継承されることである。既にこのことは現実になりつつあるようである。 
 
  極端な場合はそれが社会に亀裂を生み、対立を生むことにもなりかねないのである。同じ懸念をフィリピンで感じたものである。 
 この国における英語は「両刃の剣」と認識すべきではないだろうか?多分現実的には早期の英語教育は継続するにしても、英語での教育は母国語が母国語=第一言語として形成される年令を過ぎてからにすべきではないだろうか?(とお節介を言いたくなるのである) 
 
◆Urban-Rural Divide(都市と農村の分断・格差) 
 
  ブ−タンの人口は約70万人、首都ティンプ−に約10万人、このティンプ−と、唯一の国際空港のある西部の町(都市)パロの2つは、他の地域とは全く別世界である。 
 
  ブ−タンの就業人口の75%は自給農業とのことである。そして、無料の国民皆教育により、学校教育、特に高等教育を受けた若者は自給農業に戻ることも出来ず、職のあてのないままティンプ−に集まって来る。彼らが魅力を感じる地方の拠点都市、農村を作らない限りこの問題は解決しないし、また逆に地方の拠点都市や農村の発展も期待しにくいだろう。自給農業からの離陸についても、今のままではティンプ−やパロ以外に消費の受け皿がないという事実も農村開発の足かせである。更に各地域が散在・孤立していること、流通・産業インフラの貧しさも問題を複雑にしている。 
 
  貨幣経済的な意味での都市(=ティンプ−とパロの1.5ヶ所でしかないが)と地方の格差とその拡大、一方での都市の環境の予想される劣化は既に見られ、かつその出口を見つけるのは容易ではなさそうである。 
 
  2つのDivideをフィリピン(English Divideという類似性)、ネパ−ル(Urban-Rural Divideという類似性)において見た記憶がある。例えば新人民軍(フィリピン)・毛派共産党(ネパ−ル)の地方での支持、そして腐敗した既成権力との武装闘争、それによる社会対立や長引く混乱などが極く自然に頭に浮かび、まるでデジャ・ヴュの思いがしたものである。ブ−タンでは既成権力の腐敗が(多分)無い点はこの2ヶ国とは異なるが…  (※2つのdivideだけで問題を語ることは出来ないし、反権力武装闘争を単純に混乱・否定的側面とする訳ではなく、アナロジ−として象徴的に挙げていることを容赦願いたい) 


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