2011年11月24日01時05分掲載
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中南米
ノリエガ将軍のパナマ引き渡し あとはフィヨン首相のサインのみ
パナマのノリエガ将軍は今、フランスの監獄にいる。そのノリエガ将軍(77)がパナマに引き渡されようとしている。パナマでは人道上の罪に問われているとされる。23日、フランスの裁判所が移送を認めたため、あとはフィヨン首相がサインすれば移送が実施されることになる。チリの新聞「ラ・テルセラ」が23日付で報じた。パナマでは欠席裁判のまま、人道に反する罪で20年の懲役刑の判決が下っているようだ。http://latercera.com/noticia/mundo/2011/11/678-407039-9-corte-francesa-aprueba-extradicion-de-ex-dictador-noriega-a-panama.shtml
■朝日新聞8月の記事より「ノリエガ元将軍を母国パナマに引き渡しへ 仏首相決定」http://www.asahi.com/international/update/0804/TKY201108040002.html
ノリエガ元将軍は1990年に米国司法当局に麻薬取引などの罪で逮捕され、禁錮刑で約20年間収監された。一方、フランスでは資金洗浄の罪で被告不在のまま有罪判決を受け、2010年に米国からフランスに身柄が移された、といった内容の記事が朝日新聞のインターネットサイトにある。
■ウィキペディアにパナマ侵攻について書かれている
ノリエガ将軍はアメリカ当局と連携してキューバやニカラグアなどの左翼政権つぶし工作に協力していたが、1989年5月の大統領選挙で落選確実になると選挙無効を宣言して独裁政権を保持したとされる。その後、米国はパナマ経由の麻薬ルート撲滅とパナマ民主化を掲げ、父ブッシュ大統領の時代にパナマ侵攻を実施した。1989年12月20日である。陸海空合わせて5万7384人の米軍がパナマに駐留し、ノリエガ将軍の軍と激しい戦闘を行ったとされる。
「パナマ市を占領したアメリカ軍は、先の大統領選挙で当選していたものの、ノリエガ将軍によって退けられていた野党のギジェルモ・エンダラ(en:Guillermo Endara)を米軍基地内で大統領に就任させた。なお、ノリエガ将軍はアメリカ軍による拘束を逃れてバチカン大使館に逃れたものの、その後アメリカはバチカンと交渉しノリエガ将軍を大使館より退去させ、1990年1月31日にアメリカ軍に投降した。」
ノリエガ将軍については謎が多すぎる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E%E4%BE%B5%E6%94%BB
■外務省パナマ情報より
ノリエガ将軍の前後でパナマはどう変わったのか?それがパナマ政変を考える1つの目安になるかもしれない。外務省の情報を見ると・・・
「1983年にノリエガ将軍が政治の実権を握った後続いていた政情不安は、1987年、ディアス・エレラ大佐によるノリエガ将軍非難を契機に深刻化。1989年12月の米軍侵攻及び1990年1月のノリエガ将軍逮捕はパナマ政治が大きく変革される契機となり、エンダラ大統領(アルヌルフィスタ党)が同年12月に就任した。
エンダラ政権は1992年前半に延滞債務解消により国際金融機関との関係正常化を実現した。建設部門等の好況を背景に比較的高い経済成長を達成したが、失業、貧困問題が悪化し、国内の治安悪化が見られたため、支持率は低下した。」
ノリエガ将軍の後のエンダラ政権に代わってわずか2年半で延滞債務が解消できたとある。その一方で、失業・貧困が増大したとある。その結果、治安が悪化したという。もう一つの変化は国防軍が解体されたことだ。
「国防軍は、1989年12月の米軍侵攻をもって解体。新たに警察力を主体とした国家保安隊を設置。勢力12,000名(志願制)(ミリタリーバランス2010年)」
この国防軍解体までの歩みとして、ウィキペディアには次のような記述がある。
「1968年に発生したクーデターによりアルヌルフォ・アリアス大統領は失脚し、国家警備隊の司令官だったオマール・トリホス将軍が大統領に就任した。ペルーのベラスコ将軍に影響を受けていた[3]トリホス将軍は反対派を徹底的に弾圧したが、その一方で寡頭支配層や合衆国に対して一歩も妥協しないそのカリスマ性によってたちまち国民の心を掴んだ。国粋主義的な政策で合衆国との交渉に臨んだトリホス将軍は1977年にジミー・カーター合衆国大統領と新運河条約を結び、1999年の運河の主権返還を書面で認めさせた。
1981年のトリホス将軍の死後、国家警備隊は拡張され、1983年にパナマ国防軍に再編された。トリホス将軍の下で諜報任務に就いていたマヌエル・ノリエガが事実上の軍と政治のトップとなった。ノリエガは・・・・コロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルと深い関係があるとして、1989年のアメリカ合衆国によるパナマ侵攻によって失脚させられたが、その実情はアメリカは1999年のパナマ運河の返還にあたりパナマを傀儡国家化させておく必要があったためである。
ノリエガの失脚後、政治への深い介入が問題になっていたパナマ国防軍は解体され、1990年に国家保安隊として再編された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8A%E3%83%9E
パナマ運河返還後の親米体制づくりためにのパナマ侵攻が行われたかどうかは検証が必要だろう。ともかく、パナマ国防軍はノリエガ将軍の台頭とともに生まれ、ノリエガ将軍の逮捕拘束とともに解体させられている。
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