2011年11月27日15時03分掲載  無料記事
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リング・ラードナー著「アリバイ・アイク」(新潮文庫)

  アメリカの作家リング・ラードナー(Ring Lardner,1885-1933)は短編小説の名手として名高い。もともと新聞のスポーツ記者だったこともあって、野球をモチーフにした物語が冴えている。ラードナーの作品集は日本でも翻訳が出ていて、身近なところでは新潮文庫の「アリバイ・アイク」(加島祥造訳)がある。しかし、近年、町の小さな書店で棚に置かれているのを見たためしがないのを淋しく思う。ラードナーは消費期限が切れた御用済み作家とでも言うのだろうか。 
 
  「アリバイ・アイク」の中には様々な印象深い話が掲載されている。中でも僕が好きなのは「微笑がいっぱい」だ。主人公はニューヨークの交差点に立つ交通警官である。彼はユーモアを解する寛容な性格の好青年だ。そんな彼の前に、猛スピードの高級車が爆走してきて交通ルール無視で交差点を通り抜けようとした。青年はとっさに反応して、車を止める。ブルーのキャディラックに乗っていたのは魅力的な声と姿の若い女だった。厳重注意をした彼女から意外にも「今度家まで車で送ってあげる」と言われる。青年のユーモアいっぱいの厳重注意が彼女の興味を引いたからだろう。だが、青年の胸に淡い恋情が芽生えたと思うや、間もなく彼女は無謀な運転が原因で鉄道に飛び込み即死してしまう。以来、青年は性格ががらっと変わり、ユーモアを捨て、厳しい取り締まりをするようになってしまうのである。 
 
  ただそれだけの話だ。大都会で小さな人間同士が出会う小話である。しかし、今の時代、1%や99%という数字ばかりで、人間の顔は見えているのだろうか。 
 
  「微笑がいっぱい」を読むことになったきっかけはかつて放送されていたラジオドラマの番組「音の本棚」である。この番組でリング・ラードナーの短編集が原作に取り上げられたのだ。大リーグをモチーフにした「アリバイ・アイク」も収録されていた。番組はユーモアと切れのある展開で、ソニーのラジカセで録音して何度も聞いた覚えがある。 
 
  ウィキペディアによると、このラジオ番組はソニーが一社提供していたらしい。毎回、小説や漫画などを原作にラジオドラマに脚色していた。番組の導入は刑事コロンボの声優で知られる小池朝雄である。物語のチョイスも、演出も、効果音やBGMも洗練されていて、毎晩ラジオが楽しみだった。「音の本棚」がきっかけで書店で買った本が少なくない。カフカの小説もそうである。番組ではO・ヘンリや手塚治虫など、古今東西の様々な作品が原作に採用されていた。ラジオドラマだから、音さえあれば舞台がどんな場所でも物語を展開できる。演劇もそうだが、ラジオドラマにもそうした力がある。大がかりなセットは必要ない。人間の想像力にダイレクトに働きかけることができるメディアだからだ。 
 
■音の本棚(ウィキペディアより) 
 
  「音の本棚(おとのほんだな)は、1976年4月1日から1979年6月29日まで毎週月曜日 - 金曜日にFM東京系列で放送されていたラジオ番組。小説などの文学作品を中心にラジオドラマ化し全847回放送された。・・・テーマ曲には映画『カサブランカ』の「時の過ぎ行くままに」が使われた。」 
 
■リング・ラードナー(ウィキペディアより) 
 
  1885年、米ミシガン生まれ。シカゴ・トリビューンのスポーツコラムニストとして有名になった。新聞・雑誌の仕事の傍ら、ユーモア小説も書き始めた。 
 
  「1919年、家族とともにニューヨークへ移り住み、短篇集『大都会』を発表。それ以後も、スポーツ選手、俳優、警官、金婚式の夫婦、看護婦、裕福な家庭の妻、床屋などアメリカのさまざまな人々を題材とした短篇小説を執筆する。ラードナーの作品はサタデー・イブニング・ポストやコスモポリタンなどの雑誌に掲載され、1910年代から1920年代を中心に作家活動を続けた。言い訳をする野球選手を描いた『アリバイ・アイク』の影響により、言い訳をする人物を指す俗語として「アリバイ・アイク」が広まったこともある」 
 
■リング・ラードナーの追悼記事 
 
  ニューヨークタイムズによると、1933年9月25日にラードナーは亡くなった。48歳だった。翌日、obituary(追悼)記事が出ている。 
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/bday/0306.html 
  この追悼記事は戦前の、とくに大不況時代のニューヨークタイムズのスタイルがうかがえる興味深い資料である。ラードナーの追悼記事の中で、興味を引くのは彼が作家のスターダムを上るきっかけとなったスポーツコラムのくだりである。シカゴ・トリビューンの著名なスポーツコラムニストが亡くなり、スポーツ記者だったラードナーがその代役に抜擢されたのだが、1週間に7つのコラム、つまり毎日書くのは楽ではなく、また自分のスタイルを生み出すのにも相当の苦労があったようだ。以下はそのくだりである。 
 
  ’It was in an effort to turn out seven columns a week that Lardner hit upon the method which was to make him famous. In hotel lobbies, clubhouses, dugouts, he had been listening to talk among the ball players--using slang and singular nouns and plural verbs mixed together. One day in an effort to fill out his piece he wrote a short dialogue supposedly between two players engaged in a Pullman car poker game. It was the mixture as noted above, with shrewd touches of character and the natural speech of the lowbrow. 
 
The innovation was favorable received. ’ 
 
  ラードナーはホテルのロビーやクラブハウス(野球選手の宿舎)、ダッグアウト(野球場内の選手の控え席)に潜伏して、大リーグ選手たちの話に聞き耳を立てたそうである。彼らは独特のスラング(俗語)や珍しい単語をしばしば使い、またさまざまな動詞をミックスして使っていたという。つまり、大リーグ選手独特の会話の世界がそこに繰り広げられていたそうだ。ある日、ラードナーはポーカーに興ずる野球選手たちのリアルな会話をコラムに使ってみたところ、読者から好評を得たというのである。これはインターネット情報から二次生産できないものだろう。その場に何年も足を運んで、自らの感覚でつかんだかけがえのないリアルな情報だからだ。 
 
  このラードナーのコラムのエピソードはインターネット時代においても何がしかのヒントになるのではないだろうか。ネット情報でできることとできないことを見極めるためである。 


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