2011年12月27日10時17分掲載  無料記事
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コラム

「いのち」と「脱原発」と「幸せ」と 2011年から2012年へつないで 安原和雄

  今年(2011年)一年間を特色づけるキーワードとして何を挙げることができるだろうか。やはり「いのち」、「脱原発」、「幸せ」の三つを指摘したい。これまでも毎年交通事故死などで多くの人命が奪われてきたが、今年は「3.11」の大震災と原発惨事のため、死者、行方不明者は1万9000人余にのぼっている。いのち尊重と脱原発は待ったなし、というべきである。 
 笑顔が話題をさらったのが、若きブータン国王夫妻の来日で、ブータンの国是である「幸せ」を追求するGNH(国民総幸福)政策も関心を集めた。日本としてこれら三つの課題を今後へどうつないでいくか、2012年の大きな宿題である。 
 
▽「いのち」と「脱原発」と 
 
朝日新聞(2011年12月12日付夕刊)の以下の見出しの記事(大要)を紹介する。 
*いのち見つめ「脱原発」 ― 子供たちのために 
  宗教界はこれまで、原発問題に積極的に向き合ってきたとはいえなかった。しかし原発事故後の今、脱原発社会を目指す宣言が相次ぐ。エネルギーや環境、地域経済といった問題とは一線を画す、「いのち」の観点からの呼びかけだ。 
 12月1日、全国104の宗派・団体が加盟する「全日本仏教会」(全仏、東京都港区)が仏教会全体に共通する考えとして「<いのち>を脅かす原子力発電への依存を減らす」という宣言文を採択した。戸松義晴・事務総長は「最終的にはすべての原発をなくしていくと、仏教者として訴えたい」と話した。全仏が原発に関して声明を出すのは初めてのことだ。 
 それまでにも臨済宗妙心寺派が「将来ある子供たちのために一刻も早く原発依存から脱却し」「仏教で説く<知足>を実践し、持続可能な共生社会を作るために努力する」と宣言し、曹洞宗大本山永平寺(福井県)の僧侶で作る「禅を学ぶ会」が「原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開くなど、流れが生まれていた。 
 
 日本カトリック司教団は11月8日、国内の全原発の即時廃止を呼びかけるメッセージを発表した。 
 この動きを浄土真宗大谷派法伝寺(兵庫県)の長田浩昭住職は、複雑な思いで見守っている。長田さんは1993年に結成された「原子力行政を問い直す宗教者の会」世話人。会員は現在800人で、多くは長年原発の問題を訴えてきた仏教、神道、キリスト教の宗教者たちだ。福島原発の事故後、「自分たちにもっと力があったら、事故は止められたはずなのに」とみな落ち込んだという。 
 会結成のきっかけは、福井県に建設された高速増殖炉「もんじゅ」の試運転開始だった。以来、宗教者の責任として原子力政策の問題点を指摘し、政策の転換を求めてきた。だが宗教界全体では少数派だった。(中略) 
 
 福島の原発事故以来、長田さんには全国の寺や市民団体からの講演依頼が相次いでいる。「原発行政を問い直す宗教者の会」メンバーが原発の町の現実を伝えた2001年発行の『原発総被曝の危機』(遊学社)も10年ぶりに再編集され、出版された。長田さんは「全仏の声明で各教団が動けば、大きな力になる」と期待する。 
 
<安原の感想> 「いのち」と「脱原発」とは相互不可分 
 私が提唱する仏教経済学のキーワードとして以下の八つを挙げている。いのち、非暴力(=平和)、知足、簡素、共生、利他、多様性、持続性 ― である。これら八つのキーワードを現実の政治、経済、社会の中でどう生かし、実現していくか、が仏教経済学の目指すところである。 
 
 しかし多くの僧侶を含む仏教者たちは、こういう現代感覚には無頓着とは言えないか。現実の問題に仏教者がどういう打開策を求めていくか。仏教者は自己満足の閉鎖的な思考から卒業してほしい。お布施稼ぎのための葬式仏教に甘んじ、それ以外に知恵を磨こうとしない仏教はもはや存在価値はないといっても過言ではないだろう。 
 その意味では上述の脱原発を志向する仏教者たちの行動には敬意を表したい。いのちと脱原発は相互不可分の関係にある。原発に固執する限り、いのちは無視される。いのち尊重のためには脱原発以外の選択肢は考えられない。 
 
▽「幸せ」ってなに? 
 
 幸せをテーマにした新聞投書を紹介する。朝日新聞(2011年12月17日付)「声」欄に掲載された次の見出しの記事である。氏名は省略 
 
*ブータンの「幸福度」に感銘(中学生 15歳 岐阜市) 
 新婚のブータン国王夫妻が来日されて話題になった。僕はブータンの国民総幸福(GNH)という考え方に感銘を受けた。 
 先進国では国民総生産(GNP)という経済的な豊かさの基準が重視されている。しかしブータンではGNHという独自の基準のもと、国民の幸せを最優先に政治を行っているそうで、国民の9割以上が「幸せ」と考えている。先進国が経済的な豊かさに固執するなか、そんな国の国王が国民に結婚を祝福されている映像に政治の本当の意味を見た気がした。 
 経済的な豊かさが直接幸せにはつながらないことに日本人の多くが気づいていると思う。大震災が起こって国や政治への信頼も不安定な今、生産力より幸福感を求めることが国民のための政治になると思う。 
 日本のリーダーのみなさんには、ブータンを見習い、国民の、とくに被災地のみなさんの幸福を一番に考えてもらいたい。 
 
<補足> 上記の投書にGNP(=Gross National Product)という経済用語が出てくる。これは数年前まで使われていたが、現在その代わりとして国内総生産(GDP=Gross Domestic Product)が一般に使われていることを指摘しておきたい。なお国民総幸福はGNH=Gross National Happinessである。 
 
<安原の感想> 幸せは自分で創っていくもの 
 中学生の素直な幸福感には「なるほど」と教えられるところが少なくない。豊かさと幸せとを異質のこととして捉えようという、その感覚は素晴らしい。「経済的な豊かさが直接幸せにはつながらないことに日本人の多くが気づいている」という認識も正しい。 
 ただあえて指摘すれば、幸福の実現を日本のリーダーに期待するのはどうか。無理ではないだろうか。彼らの幸福感の押しつけではなく、自分にとって、我々にとって「幸せってなに?」と問いかけるところから、幸せは始まる。人から、ましてリーダーから与えられるものではなく、一人ひとりが自分で発見し、創っていくものであるにちがいない。 
 
 大晦日(2011年)のNHK紅白歌合戦に出場する女流歌手、夏川りみが歌う「あすという日が」に次の一節がある。「幸せを信じて・・・」と。つまり幸せは人から与えられるのを待つのではなく、自分で信じて引き寄せるものだという趣旨だろう。 
 
▽ 再生日本の目指すべき三本柱は 
 
 中学生の新聞投書がテーマとして取り上げている「豊かさ」と「幸せ」とは、どう違うのか。通常は次のように理解されている。 
 
 豊かさは「量の概念」で、GDP(国内総生産)で示される。一定期間(例えば1年間)に新たに作られるモノ、サービスの総量(主要項目は個人消費、政府支出、民間投資、輸出など)を指している。一方、幸せは「質の概念」で、GNH(国民総幸福)で示される。 
前者のGDPは主要先進国が経済規模や経済成長を測る手段として使っているが、後者のGNHは、ブータンが独自に開発したもので、その国の政治、経済、社会、さらに生活の質を示している。 
経済成長を追求し、GDPが増えれば、生産や消費も増えるが、それは資源エネルギーの浪費、自然環境の汚染・破壊につながる。GDPでは自然環境が良質であるか、汚染されているかを測ることはできないが、ブータンのGNHではその測定は可能である。だからGNHは自然環境の汚染・破壊の防止に貢献できる仕組みでもある。 
 
 人間でいえば、GDPは体重という「量」を意味しており、一方GNHは人間力や品格などの「質」を表しているとみることもできる。GDP依存症(注)ともいえる日米欧の大国・先進国よりも、独自のGNHを掲げて、国民の幸せの実現を目指す小国・ブータンの方がはるかに賢明で先進的で、自然環境貢献型でもあると言えよう。 
(注)朝日新聞(12月24日付オピニオン面「製造業から見た日本と世界」)は次のように書いた。「世界経済は混迷を深め、日本が果たして成長できるのか怪しくなるばかりだ」と。これは最近のメディアにみるGDP依存症すなわち経済成長依存症の一例である。 
 
 「質」としての幸せを実現するためには、もちろん政治、経済、社会、さらに一人ひとりの生き方をどう変革していくか、その努力と活力が求められる。怠惰、無気力には幸せは近づいては来ないだろう。 
 特に指摘したいことは、「いのち尊重」のためには「脱原発」が前提であるように、「幸せ」のためにはいのち尊重と脱原発が不可分の関係にある。つまり「いのち」、「脱原発」、「幸せ」は三位一体式に捉える必要がある。こういう認識と自覚こそが明日からの再生日本を創っていくに違いない。同時に再生日本の目指すべきものが「いのち」、「脱原発」、「幸せ」の三本柱でもあるだろう。多難ではあるが、そこに未来への希望を見出したい。 
 
<参考>ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載した「いのち」、「脱原発」、「幸せ」に関連する記事の一部は次の通り。 
*いのち・簡素尊重の循環型社会を ― 連載・やさしい仏教経済学(29)=2011年1月21日掲載 
*なぜ原発ゼロを主張しないのか ― 終戦記念日の新聞社説に物申す=同年8月15日掲載 
*GDPよりも国民総幸福の追求を ― 来日したブータン国王が残した課題=同年11月25日掲載 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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