2011年12月29日02時49分掲載  無料記事
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リチャード・メラン・バーサム著「ノンフィクション映像史」 山谷哲夫・中野達司訳

  リチャード・メラン・バーサム(Richard Meran Barsam)著「ノンフィクション映像史(Nonfiction Film)」には冒頭、ドキュメンタリー映画の定義が出てくる。 
 
 「(ドキュメンタリーとは)人間の知識と理解に対する欲求を刺激し、拡大させ、経済、文化、そして人間関係の分野の問題をありのままに提示することを目的として、理性に、あるいは感情に訴えるために、現実の実写、またはまじめで正当な再構成を持って、セルロイド上に記録するすべての方法を意味する。」 
 
  これは1948年に「世界ドキュメンタリー映画連盟」によって定義されたものだそうだ。一文で訳されているが文の中身を1つ1つに分けてみると次のようになる。 
 
①人間の知識と理解に対する欲求を刺激し、拡大する 
②経済、文化、そして人間関係の分野の問題をありのままに提示することを目的とする 
③理性に、あるいは感情に訴える 
④現実の実写、またはまじめで正当な再構成を持って作る 
⑤ ①~④を前提に、セルロイド上に記録するすべての方法を意味する 
 
  ①では、まずドキュメンタリーとは知的な探求であり、見る人間の知的欲求を刺激し拡大することが要件とされている。 
  ②ではその取り扱う対象を提示している。 
  ③では作品が働きかけるのは人間の理性でもいいし感情でもいいとしている。 
  ④では現実の実写だけでなく、「まじめで正当な再構成」でもよいとしている。ここはしばしばやらせ問題で取り上げられるところだが、「まじめで正当な再構成」であればよい、としているのである。このことがドキュメンタリー映画の定義に刻まれていることは特筆に値するだろう。 
  ⑤は映画だからセルロイドというマテリアルに定着させるわけだが、素材自体は時代によって変化してもやむを得まい。ドキュメンタリー映画は①~⑤の要件に当てはまるものであればどんな方法のものでもそこに包含すると言っている。 
 
  なんとない文章だが、じっくり読むといろいろ考えさせられる。また、著者はドキュメンタリー映画とファクチュアル映画を明確に区別する。ファクチュアル映画とはドキュメンタリー映画と違って、作者の意図が反映されない、事実のみに基づいてつくられたニュース映画の類と翻訳者が注をつけている。ドキュメンタリー映画がファクチュアルな映画と違っている理由は、ドキュメンタリー映画はメッセージを伴うものであり、社会的な影響力を持ち社会を変革する手段になりえるからだとしている。最初からこうした変革自体を目的として制作するわけでなくても、知的な探求の結果、ドキュメンタリー映画には見ている人々の意識を変革し、社会変革に向かわせる本質があると指摘しているのである。 
 
  しばしば日本のテレビ業界では「あれは単なる情報番組」というような他者を貶める言葉が飛び交う。ドキュメンタリーは「単なる情報番組」よりも格が上だとしているのである。しかし、「情報番組」と一口に言ってもドキュメンタリー史を考えると、ニュース番組の中の「特集」などはファクチュアルな映像ではなく、1つのメッセージを伴うむしろドキュメンタリーに包含される映像と言えるだろう。ドキュメンタリーの歴史を知ればそうした誤解が解けるはずである。そもそも仮にファクチュアルな映像の担い手であったにせよ、そのことで貶められる言われはないはずである。 
 
  「ノンフィクション映像史」はジョン・グリアスンやポール・ローサ、ロバート・フラハティなどのパイオニアたちの時代から、ドキュメンタリー映画が年を追ってどう発達してきたかを系統的に書いている。今、デジタル技術の進化により世界中で新たな媒体が生まれ、さまざまな制作方法が生まれつつあるが、だからこそ、もう一度その歴史を紐解いてみることも意味があるのではないか、と思える。 
 
  この本の翻訳者の一人、山谷哲夫氏はドキュメンタリー映画監督であり、「沖縄のハルモニ~証言・従軍慰安婦~」(1979)、「生きる~沖縄・渡嘉敷集団自決より25年」(1971)、「みやこ~沖縄・宮古諸島の水納島に残った家族と出た家族の歴史」(1974)など、先駆的な仕事をしてきた人である。 
  山谷氏が「ノンフィクション映像史」に出会ったのは1974年から75年にかけて、文化庁在外芸術家研修員としてロンドンにわたり、英国映画協会で「1930年代英国ドキュメンタリー映画運動」を学んだ時のことだという。 
 
  「(夏休みの東欧旅行中に読み)そして英国に帰ってすぐに、この本で紹介されている作品を映画協会の試写室で集中的に見た。作品を見終わるごとに、著者の批評の的確さを追認した。やがて、英国映画協会が持っていない作品を見るために、ニューヨークへ飛び、近代美術館でまとめて試写してもらったほど、当時のぼくは著者に夢中だった。」 
 
  ドキュメンタリーの先進国と言えば英国である。その草創期である30年代のドキュメンタリー映画運動を研究テーマにしていたところに山谷氏の慧眼を感じないではいられない。本書でも1930年代の英国のドキュメンタリー映画運動について記されている。 
  当時の英国ではGPO映画班がドキュメンタリー映画を主導していたが、GPOというのは意外にも中央郵便局映画班(GPO)による事業だった。もともと1928年に設立された帝国通商局映画班(EBM)がドキュメンタリー映画製作を主導していたのだが、通商局が解散させられた後に中央郵便局にスポンサーが移ったのである。この過程で、ジョン・グリアスンとアルベルト・カヴァルカンティという優れた二人の製作責任者が登場し、英国ドキュメンタリーの水準を引き上げたとされている。 
  細かいことは本書を読んでいただくほかないが、系統的にドキュメンタリーの発達を見つめることは現在を見つめることに他ならない。 
 
■創樹社「ノンフィクション映像史」(リチャード・メラン・バーサム著、山谷哲夫・中野達司訳)。アメリカで本書の著作権が設定されたのは1973年である。 
 
■リチャード・メラン・バーサム 
  その著作歴によれば、本書は1992年に改訂版が出ているようである。 
http://www.amazon.com/Richard-Meran-Barsam/e/B001ILKGB8 
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Barsam 


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