2012年01月25日00時08分掲載
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核・原子力
【たんぽぽ舎発】「女」「母」「孕む」の強調 ─独身女性は「こんなところでも、見捨てられたか」 東京 N.A
日頃より、原発全停止に向けて活発な活動をされている皆さんへ敬意を表し ます。水を差すようで申し訳ないとは思いますが、メルマガを読んでいて、気 になっていることをお話します。私は、もんじゅ事故以来、反原発運動に関心 を持ち、そこそこの活動を続けてきていますが、今までなかった違和感を覚え ています。それは、「女」ということが殊更強調されていることです。
3.1 1以降、政府、東電の被害の隠蔽、福島住民に対する人権無視の扱い、殊に、 子どもの命に対する冷たさは私の予想を超えたものでした。それに対する福島 の親御さんたちの怒りは如何ばかりかと思います。特にお母さんたちの思いは 大きいと思います。
ただ、最近「女」「孕む」など、言葉が多く見られます。私は独身です。子 どもを生んだことはありません。年齢が年齢ですから今後もないでしょう。今 の日本社会に「女性」は存在しません。あるのは「女」と「母」のみです。し かし、今まで、反原発運動に参加していて、自分が女だとか子どもを産んだこ とがないとか考えたことはありません。放射能に男女差別はありません。「と にかく、原発を廃止したい。」その思いがあれば誰でも参加できたのです。そ れだけ、運動が弱小だったからということもあるとは思います。
しかし、今、 なぜかそのことが女性の側から強調され、男性が後押ししているように思うの です。最近、正直のところ運動に参加しにくくなっています。私の思いすごし かもしれません。参加してくれなくてもいいということかもしれません。しか し、「こんなところでも、見捨てられたか」という気分になってしまうので す。
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