2012年01月28日10時31分掲載  無料記事
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中国

春節 中国のお正月は1月23日から28日まで?  文: 平田伊都子ジャーナリスト、北川千枝子、 写真構成: 川名生十

「昨年の青島は、夕方の5時半過ぎ頃から、花火や爆竹が鳴り始めて8時頃には、テレビの音が聞き取りにくいほど、、上海は、夕方6時過ぎに、花火や爆竹が始まったのですが、単発的で 
8時過ぎても、それほど盛り上がらず、ゆっくりテレビを見ていました、、」 
 と、1月23日、上海に住む親友の北川千枝子さんからメールが入った。 1月23日は中国の新年「春節」に当たるそうだ。 日本では旧正月と紹介されているが、中国人の気合が入った賑わいを見る限り、この春節こそ本当の「新年あけましておめでとう」なのだと、思い知らされた。 
 
* 上海の北川さん便り 
 
「昨年の青島は、夕方の5時半過ぎ頃から、花火や爆竹が鳴り始めて8時頃には、テレビの音が聞き取りにくいほどに「まさか、これ以上にはならないよね」と主人と話していたら11時過ぎには、隣に居ても声が聞き取りにくいほどに盛り上がって来て最盛期は、12時前後でした。とにかく、笑うしか無いほど賑やかな夜だったんです。 
 
上海は、夕方6時過ぎに、花火や爆竹が始まったのですが、単発的で8時過ぎても、それほど盛り上がらず、ゆっくりテレビを見ていました。それらしくなって来たのは、11時半過ぎでした。 
上海は、富裕層が多く、自尊心も高い地域なので、期待していたのですが思ったほどの騒ぎにはならなくて、ちょっと拍子抜けしてしまいました。 きっと、東京と同じで、多くの家庭が地方に帰ってしまい、人口が少なくなっているのでしょう。 反面、青島のような地方都市は、人口が増えるので、大騒ぎなのかも、、 
そうそう、なぜ花火や爆竹を鳴らすかと言うと、厄払い等、諸説あるのですが、知人の話は 
『家の前で鳴らすと、空に居る「財神」(ツァイシェン)が、自分達の存在に気が付くから今年一年の「金運」を送ってくれる。鳴らせば鳴らすほど、たくさん金運が届くんだ』 と言う事でした。 
中国の人達は、お金が大好きなのであんなに騒がしいのが、なんだか納得! 
 
我が家は、爆竹も花火もしませんでしたので今年も金運は来そうもありません(笑) 」 
 
* 上海特急 
 
 筆者は上海を知らない。 検索をクリックしてまず目に入ったのが<上海特急>だった。 マレーネ.デートリッヒ主演1932年ハリウッド製という案内を見て、筆者はわくわく胸躍らせながらYouTubeの<上海特急>に飛び乗った。 
 
 <上海特急>は煙を吐いて汽笛も高らかに、雑踏の北京駅を出発する。 
マレーネ.デートリッヒ扮する高級娼婦<上海リリー>、リリーの元愛人.米軍将校、賭博師サム、白人中国人混血の商人チャン、米国帰りの中国娘などなど、胡散臭い人物が夫々の個室席に落ち着く、、<上海リリー>は持ち込んだ蓄音機を回し物憂げに流行り歌を口ずさむ、、夜会服に着替えた上海リリーは長い裾を引きずって雑巾がけよろしく列車の廊下を渡っていく、、元愛人の個室席に辿り着くと、入り口の扉にしなだりかかり、タバコに火をつけさせたりして復縁を迫る、、そんなかったるい場面が続いていると、突然、双発プロペラ戦闘機が上海特急を空襲する。 実は、商人チャンが反乱軍の一員で、彼が反乱軍を導いたのだった。 しかし、チャンは中国娘に刺殺され、いつのまにか反乱軍は姿を消していた。 
 そして、<上海特急>は無事に上海駅に着き、リリーと元愛人は元の鞘に納まる、、 
 めでたしめでたしで上海特急は運行を終えたのだが、1932年当時の映像を期待していた筆者は消化不良に陥った。 当時の上海ぐらいは見せてくれるものと、八つの細切れ映像を最後まで我慢して見ていたのに、実景映像はまったく出てこなかった。 
スタンバーグ監督は妖艶なマレーネ.デートリッヒを創るために、この映画を製作したそうだ。 オールセットで撮影した映像が功を奏し、リー.ガームス.カメラマンはアカデミー賞を獲得した。 
 
* 上海今昔 
 
<上海特急>がハリウッドのスタジオで作られていた1930年代初期の上海では、租界という外国人居留地区が華やいでいた。 上海租界は中国清王朝がアヘン戦争に敗北した後、1842年の南京条約で認可された。 1843年にイギリス、1848年にアメリカ、1849年にフランスがそれぞれ土地を無料で接収し、行政権と治外法権のある<租界>という名の外人居留区を広げていった。 日本に今もある米軍居留地区のような、超特権がある外人居留区だと思えばいい。 
1865年に上海香港銀行が設立されると、上海は極東一の大都市になり、1920年代に入ると約10平方キロの狭い租界に150万人以上がひしめくことになる。 売春、麻薬、アヘン窟がはびこり、上海は<魔都>とか<東洋のパリ>とかの異名をとるようになる。 一方で、外国人が勝って気ままに横行する自由な風潮は、中国人の労働者を大量に受け入れ、労働運動や階級闘争の芽を育んでいく。 
 1927年の上海クーデターで蒋介石は上海財閥浙江(セッコウ)と手を組み、中国共産党が組織した労働運動を潰した。 1932年に日本軍は上海事変を起こし、1937年には空爆する中華民国軍から租界を守り、以降、敗戦まで日本軍は租界を接収した。 第二次大戦中にドイツの迫害から逃げてきた18,000のユダヤ人を租界に匿ったのは、日本軍だった。 
 
 上海が第二次大戦前の賑わいを本格的に取り戻すようになるのは、1978年に中国が改革解放政策を摂ってからだという。 
 
 <上海特急>は今も走っている。 北京〜上海は1650キロメートルあり、本州を縦断する距離だから金持ちは飛行機に乗る。 飛行時間は2時間強だが、18,000円する航空券を買えない庶民は、12時間かかっても8,000円の夜行寝台列車を利用する。 
 上海の面積は6340平方キロで東京の約3倍ある。 2011年5月の調査によると定住人口が2,300万人を超え、北京より多い。 2010年の調査によると戸籍人口が約1,412万人というから、その差、約888万人は地方からの出稼ぎ人と外国人ということになるのだろうか? 鹿児島と同緯度だが、気候や気温は東京に近いと言われている。 
 
* 春節大移動 
 
 「2012年の春節は、政府の決めた休日は23日〜25日の三日間です。でも、ほとんどの会社が、故郷に帰る人に配慮して、延長しています。 
 主人の会社(邦人会社)を例にとりますと、春節休みは、21日(土)〜27日(金)で、28日29日は出勤ですが、ほとんどの人が振り替えや有休を使って29日迄休んでいるそうです。 
中には19日〜31日を春節休みとしている人がいるそうですヨ。 ハルビンが故郷の人です。 
上海ーハルビンをバスで往復するのですが、片道二日掛るそうです。勿論、飛行機を使えば一日で帰れるのですが、春節の時期は、馬鹿高くなるので一般の人は、バスや汽車を使います。 
そんなに苦労しても故郷で春節を迎えたいのですね。 春節の中国は民族大移動の季節です」 
と、北川さんから春節第二信が届いた。 
 
 しかし、バスや列車の切符が買えない人、車を持ってない人はどうやって移動するのだろうか? 
 バイクでそれも125CC前後の中古小型バイクで、しかも、後ろに奥さんを乗せ間に子供を挟み上海や広東などの出稼ぎ地を出発するのだ。 こうした農民工のバイク帰省族は年々増える一方だと中国のNDT.TVは伝える。 
殷(アン)さんは同郷のバイク仲間とみぞれの降る広東を出発した。 後ろには奥さんと毛布にくるんだ赤ん坊とおみやげを積んだ。 バイク族の筆者には、極寒の走行がいかに辛いものか、身につまされる。 殷さんたちが出発して四日め、830キロ走ったところで殷さんのバイクがスリップし転倒した。 奇跡的に3人とも無事だった。 壊れたバイクと殷さん一家を残して、仲間は四川省に出発した。 「故郷まで10日間以上、走らなければならないんだよ、、雨や雪が降らなければいいんだが、、」と、殷(さんは修理を急ぎながら、仲間を気遣っていた。 
 
* 世界の明けましておめでとう 
 
 <倒計時晩会>、中国語でカウントダウンを意味し1月22日の深夜に行われた。 
 <春節聯歓晩会>は中国式紅白歌合戦、 
 <鞭炮(ばくちく)>、<十二生肖(十二支)>などなど、日本人と中国人は漢字で分かり合える。 中国新年の熱気は、新聞の漢字から溢れ出ていた。 
かって筆者は、パリのシャルルドゴール空港警察で隣り合わせた中国人と筆談をした。 お互いに身に覚えのない罪を着せられ拘束されたことを、漢字で嘆きあったものだ。 
 
 アラブ諸国では、一ヶ月間の断食月が開けた日に、「クッル アーンム ワ アントム ビハイル(アラビア語で、あなた方にとって素晴らしい一年でありますように))と、「明けましておめでとう」の挨拶をする。 
 イランでは伝統的正月<ノウルーズ>を3月21日に祝う。 
 イランを打倒しようするイスラエルでも、ユダヤ歴の新年を祝う。 ユダヤ歴は天地創造を紀元とし、2011年9月29日がユダヤ歴5772年の正月だったそうだ。 
 
 どの民族も欧米文明に毒されているとはいえ、伝統の暦と新年を気合を入れて祝っている。 その心意気に打たれながら、さて日本民族は??と振り返ってみた。 日本にもカビの生えた旧暦がある。 しかし、明治維新、文明開化の掛け声とともに欧米の新暦に切り替えた。 以来、お上の命令に盲従する日本民衆は欧米文明をまるごと取り入れ、旧暦を物置の隅に押し込んでしまった。 もっとも、その旧暦も干支も漢字も、全て中国原産なのだ、、日本民族の心意気をどこでどうやって発揮すればいいのだろうか?? 
 
 
文:平田伊都子  写真提供:北川千枝子  写真構成:川名生十  資料:ウィキペディア 


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