2012年02月06日09時59分掲載
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核・原子力
「団結して子どもを守ろう!」 南相馬市の“ぬまゆ”さんが本当に訴えたいこと
「今日、ここにいる人たちで団結し、子どもたちを守りましょう!」“ぬまゆ”さんこと沼内恵美子さん(42歳)は1月28日(土)、南相馬市原町地区で開かれた野呂美加さん[*1](NPO法人チェルノブイリへのかけはし代表)のお話会終了後、そう呼びかけながら来場者ひとりひとりに名刺を配っていた。(和田秀子)
■ブログを始めた理由は、子どもたちを守りたかったから
“ぬまゆ”さんをご存じない方のために説明をしておくと、“ぬまゆ”こと沼内恵美子さんは南相馬市で塾を経営している先生だ。昨年8月からご自身で書き始めた「ぬまゆのブログ」の中で、脱毛、下痢、水疱、アゴ痛、歯が抜ける、血が止まりにくい、体がだるい……といった自らの身に起こっている原因不明の症状をつづったことがキッカケで、「被ばくの症状ではないか」と一部で憶測を呼び、インターネットで話題となった。
フリージャーナリストの岩上安身さんも、ぬまゆさんを取材されていたので、ご覧になった方も多いだろう。(http://the-news.jp/archives/8947)
しかし、こうした症状を発表したために、「風評被害を生む」「南相馬の復興の妨げになる」などと誹謗中傷されることも少なくなかったという。
それ以来、体調に関してばかりクローズアップされている彼女だが、じつはブログを書き始めた本当の理由は、健康被害を訴えたかったからではなく、「子どもたちを守りたかったから」なのだという。今回、“ぬまゆ”さんが南相馬市で開かれた野呂美加さんのお話会を訪れ、終了後に参加者に訴えかけた内容を以下にご紹介する。
■学校は子どもを守ってくれない
私は、「ぬまゆのブログ」を書いております、沼内恵美子と申します。今日、野呂さんもお話されていましたが、今私に現れている症状は“ぶらぶら病” [*2]とそっくりです。
正直言って、今こうして2時間以上座ってお話を聞いていることも辛く、途中で退席しようかと何度も思ったほど体がだるいのです。でも、昨年の8月まではすごく元気だったのですよ。夏以降です、異変が起きたのは。水のような下痢、脱毛、手足にできた水疱、アゴの痛み、手のしびれなど原因不明の症状が現れ、虫歯でもない健康な歯が、根本からグンニャリととれてしまう、という不可解なことも起こりました。痛みを我慢できずに抜いてもらった歯も含めると、すでに8本も歯が抜けてしまっております。
頭髪も、驚くほど薄くなりました。ロングヘアーだったんですが、ハゲが目立つのがイヤで五分刈りにしたんです。今日はウィッグを着けていますが、とってみましょうか?(ぬまゆさんはウィッグをとって)ほら、ここお分かりになりますか。 ハゲているでしょう?
私はまだ42歳です。普通、こんなふうにはなりませんでしょう? ストレスじゃないかと言う方もいます。しかし、以前私は高校の教師をしていましたが、その頃に比べたら、震災後のストレスなんてゼロも同然ですよ。私はもともと体が丈夫で、ちょっとしたことで風邪なんかひかなかったし、歯も頑丈でした。私は、自分の身に起きている体調の異変を、すべて放射能のせいにするつもりはありません。おそらく原因の特定もできないでしょう。今は信頼できるホームドクターにかかっていますし、定期的に血液検査をするなどして経過を観察するしかないのです。私はあと80年生きるつもりですが、私が死んだあと、遺体の解剖をしたときに明らかになればいい。そう思っています。
みなさんは、「最近、疲れやすいな」と思うことはありませんか? 風邪かな、更年期かな、ストレスかな、と見過ごしがちですが、今私たちが浴びている放射能の線量は、野呂さんがおっしゃったように「チェルノブイリでは廃村」になったレベルの放射能なんです。大人はまだいい。でも放射能の影響を受けやすい子どもたちは、あらゆるリスクから守らねばなりません。そのためには保護者が声をあげないといけないんです。
私は18年間、高校の教師をしておりました。なぜ辞めたかというと、学校にいると本気で子どもを守れないと思ったからです。学校にいる限り、上の命令通りに動かなければなりません。ちょっとでも反論すると、私のように学校からはじき出されてしまいますから。縦割り社会の弊害です。現に今だって、自分の子どもは県外に逃がしている先生が多いけど、生徒たちには放射能の危険性を訴えることもできないわけでしょう。辛いですよね。
残念ながら、私が18年間見てきた学校の現実はそうでした。だから私は、3年前に学校を辞めて、自分で塾を開くことにしたんです。それなら、誰に文句を言われることもなく、存分に子どもに愛情を注げますから。私はこの場をかりて、保護者の方に申し上げたいのです。「声をあげて、子どもを守ってください」と。残念ですが、学校にだけ任せていたのでは、子どもを守りきれませんよ。
例えば、学校給食ひとつとってもそうです。みなさん、福島の学校給食に、どんな食材が使われているかご存じですか? 私のブログに、福島のある学校で給食部長を務める方が書き込みをしてくれました。「ろくに測定もしていない福島の食材が、学校給食で使われています」と――。こんな現実があっていいのでしょうか? 子どもたちの内部被ばくを防ぐためには、せめて学校給食だけでも、遠方から取り寄せた野菜を使ってもらいたい。いくら家庭で親が気を配っていても、学校がこのようなことをしていたら元も子もありません。だから、どうかお母さん、お父さん、「学校のやっていることは正しい」と、うのみにしないでください。学校で一番力を持っているのは、保護者のみなさんですよ。先生でも校長でもありません。おかしな先生がいたら罷免することもできるんです。
だから今、私たちが団結して、子どもたちを守りましょう。声をあげましょう。やってできないことはありません。福島県内の学校では、牛乳を飲むことを拒否した子どもが、教員から「おまえは福島県民じゃない」と言われたという話も聞こえてきます。こんなことを容認してはいけません。
■経済第一、命は後回し
“ぬまゆ”さんがこう呼びかけたことで、最後まで会場に残っていた参加者約15名も、それぞれ重い口を開き始めた。
「小学生の孫が心配」と話すある女性は、「一刻も早く福島を離れたい」という実の娘と、「経済的に困窮するより福島に残ったほうがいい」という娘婿の間で板挟みとなり、悩み続けていることを吐露してくれた。また、「小学生の娘がいる」という母親は、「給食で出る牛乳は本当に飲ませても大丈夫なのか」「ホールボディカウンターで計測してほしいが、市から台数が足りないと言われてまだ計測できていない」といった心配ごとを、せきを切ったように話してくれた。じつは南相馬市をはじめ福島県下では、放射能に対する不安があっても、声を出せない雰囲気があるのだ。だから参加者のみなさんは、抱えていた思いをやっとこの場で話せたのだろう。
今回、お話会のコーディネートをした南相馬市在住の佐藤晃一さんは、お話会の開催にあたり「公共の施設を借りようと思ったが、どこも貸してくれなかった」と話す。
なぜなら南相馬市は、避難した人たちを戻すことに必死で、帰還の妨げになるような講演会には場所を貸してくれないからだ。そのため今回は、佐藤さんが経営する託児所が会場となった。「妨害が入るかもしれない」とのことで、開催場所は一切公開せず、申し込みのあった人にのみ会場を教えるという警戒ぶり。「経済第一で人命は後回し。町全体がそんな雰囲気なので、みんな不安があっても口をつぐんでいます」と、佐藤さんは語った。
また、参加者のひとりで、市民団体「安心安全プロジェクト」の代表を務める吉田邦博さんは、次のように吐き捨てた。「南相馬で避難・保養を訴え続けているのはうちの団体くらいですよ。他はすべて除染・復興モード一色。僕らのほうが間違っているのかと思って、気持ちが暗くなります」
■声を上げて権利を勝ち取る覚悟を
こんなふうに話す参加者に対して、野呂さんは最後にこう訴えかけた。「みなさんはその不安や不満を市町村にぶつけていいんですよ。いろいろ文句を言ってくる人がいるだろうけど、そんな人はほうっておけばいい。チェルノブイリだって、最初の一年間は除染をしていましたが、数値は下がらないし除染に動員された市民たちが次々と亡くなったので、除染してもムダだということになった。それですぐやめたんです。それよりも、移住の権利をきっちり獲得し、移住しない人は定期的にホールボディカウンターの測定を受けて、数値が高ければ保養に出してもらわないといけない。そういったことを、みなさん自身が市町村と交渉し、権利を勝ち取っていかなくちゃならないんですよ」
“ぬまゆ”さんは野呂さんからのメッセージを聞き、「ここ南相馬から声をあげていきたい」と感想を述べた。さらに“ぬまゆ”さんは、福島に住む子どもたちの複雑な胸のうちも、次のように代弁してくれた。
「私の塾には、いまだ子どもたちが10人も通っています。できれば早く避難してほしい。でも非常に難しい状態です。うちの塾に通っている中高校生たちは、『結婚しても子どもは産まない』とか、『福島県人以外とは結婚できない』と言っています。福島から出るのが怖い、出たくない、とも……。人間不信になっているんでしょうね。どこか人生を諦めてしまったようなところがあるんです」
“ぬまゆ”さんの塾に通う、あるひとりの中学生は、いったん他県に転校したそうだが、数ヶ月で福島に戻ってきたのだという。その理由は、「福島の人は可哀想」という同情的な目で見られることに耐えられなかったからだ。「決していじめられたわけではないんです。とても良くしてもらったと本人も言っていました。でも多感な年頃ですから、特別な目で見られることがイヤなんでしょう。彼らが福島を出るまでには、とても高いハードルがあるように思えます」と“ぬまゆ”さんは話す。
こうした閉塞的な状況を打破するには、福島の方自らが声をあげることはもちろん、他県の人たちも“他人事”ではなく“自分事”として考えていく必要があるだろう。こうしたお話会の取り組みが、両者の間をつなぐ第一歩になることを願わずにはいられない。
[*1]野呂美加さん……NPO法人チェルノブイリへのかけはし代表。1992年より、チェルノブイリ原発事故で健康被害を受けた子どもたちを日本に受け入れ、“転地療養”を行ってきた。3.11以降は、これまでの経験をもとに全国各地を講演にまわり、放射能の影響を心配する母親たちにレクチャーを行っている。
[*2]ぶらぶら病……原爆で内部被ばくした被害者に現れた症状。体がだるい、集中力が続かず仕事ができないなどの状態になり、日常生活を送るのにも苦労した。血液検査などに以上は現れず、周囲からは怠け者扱いされた。
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