2012年03月03日20時14分掲載
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核・原子力
【たんぽぽ舎発】3・11後にわかった こと(1) いま、大事なことは 島村英紀(地震学者)
東日本大震災が起きてから一年がたとうとしている。しかし、死者行方不明が2万人近い大災害を起こした、この東北地方太平洋沖地震について、日本人は早くも関心が遠ざかっているのではないだろうか。あれだけの大地震を受けて、立ち止まってじっくり考えること、そして将来も襲って来るに違いない次の大地震に、なにを、どう備えればいいのかを考え、それら必要なことが、東北地方太平洋沖地震によって引きおこされて、まだ終息にはほど遠い東京電力福島第一原子力発電所の事故の陰に隠れてしまおうとしているのではないか。それを地震学者として怖れている。
じつは1995年に起きた阪神淡路大震災のときもそうだった。地震は1月17日に起きて、6400人以上の犠牲者を生むという、日本では約70年ぶりの震災が起きた。しかしそのすぐあと、3月にはオウム真理教教団の地下鉄サリン事件、
そして12月に福井県にある高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」でナトリウム漏洩という重大事故があり、当時の動燃(いまの核燃料サイクル開発機構)の事故隠しもあって大きなニュースになって、地元や関係者以外の多くの日本人は、地震のことから関心が遠ざかってしまった。
日本列島のどこを、次に地震が襲うかは分からない。しかし、震災と地震とは別のものだ。地震は日本人が日本列島に住み着くは
るか前から繰り返し起きてきた自然現象であり、震災は、そこに人間社会があってはじめて起きる、いわば社会現象である。つまり震災は地震と社会の接点で起きる出来事なのである。
自然現象としての地震はこれからも襲ってくる。それを避ける方法はない。人類が起こるべき地震を制御することも不可能である。だが、震災は、備えがまともできるはずのものだ。
あいにくなことに、いままでの震災の歴史は、地震の歴史のあとを追いかけてきた歴史でもあった。大地震のたびに、いままではなかった災害が生まれてきたのである。
今回も、原発震災という、いままでに警告されながらも備えが不十分だった原子力発電所が破壊されて、その事故の終息はいまだ見えず、解決には途方もない時間がかかる。 今度襲って来る大地震のときに、それが大きな震災を生まないですむような備えが出来るかどうか、そこに人間の知恵が試されているのである。
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