2012年03月07日11時04分掲載
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アフリカ
国連が忘れたいアフリカ最後の植民地 文:平田伊都子(ジャーナリスト) 写真構成:川名生(カメラマン)
「西サハラという名の最後の植民地がいまもアフリカに残っているんだよ!」と、スペインのスーパースター.ハビエル.バイデムは自ら西サハラの記録映画を作って、世界に訴えた。 2011年には国連植民地問題第4委員会に出かけて「国連は西サハラ民族に約束した国連住民投票を実施せよ」と国連に発破を掛けた。 バイデムは「Sons of the Clouds Last Colony」(雲の息子たち、最後の植民地)と題したこの記録映画をベルリン映画祭に出品した。 しかし、「祖国スペインでもアフリカ最後の植民地を忘れている人が多い」と、バイデムは嘆く。 スペインは西サハラの旧宗主国で、領有権をモロッコに不法譲渡したという破廉恥な犯罪を36年間、放置したままだ。 その加害者スペインが被害者西サハラを忘れようとしている、、遠い日本で西サハラが知られていないのは、あたりまえだ。
* 2月27日,西サハラ難民亡命政府樹立第36回記念日
2012年2月27日、アルジェリアにある西サハラ難民キャンプは36回目の西サハラ難民亡命政府記念日を迎えた。 今年の記念祭は地味だった。 昨年12月末に行われた第13回西サハラ民族大会で西サハラ難民亡命政府は金もエネルギーも消耗したようだ。
2012年に入り、昨年の大会決議に従って、活発に外交闘争を展開し始めた。 現在、世界で80か国が西サハラ難民亡命政府(サハラ.アラブ民主共和国)を正式国家として認めている。 しかし、西サハラ民族の独立運動を潰そうとするモロッコ植民地支配国は、西サハラ承認国に承認解除をするよう、飴と鞭の外交圧力をかけている。 モロッコの策略を止めるため西サハラ難民亡命政府は、承認国を訪問し友好関係を温め、改めて承認の継続を取り付けつつある。 昨年訪日したベイサット全権大使はアメリカ担当大臣に昇格し、キューバ、ウルグアイ、ベネズエラ、アルゼンチンなどから、承認継続を取り付けている。
西サハラ難民に36年間も土地を提供し続け、食糧や薬品の援助をするアルジェリアは、今年の記念日にも温かいメッセージを贈った。 「自由と民族自決権を求める西サハラ民族の、36年間に及ぶ闘争に敬意を表します。国連主催のモロッコ王国と西サハラ政府の非公式会談が、国連憲章と国連決議にのっとって西サハラ民族独立を目指すものと確信しています。アルジェリアは西サハラ民族の大義を支持し、支援を続けます」と、約束するアルジェリア大統領ブーテフリカは、36年前に西サハラ難民を受け入れた時のアルジェリア外務大臣だ。
* 先細る一方の援助
「援助物資でのうのうと36年間も生きてきた怠け者の難民に、なんで、夜中まで必死に働いている私たち日本人が援助しなきゃなんないの?写真を見ると太ってるじゃん」と、ある日本女性がすがめで筆者を馬鹿にした。 東日本大震災の前年、2010年のことである。
2011年3月11日以降は、「他国の難民救済より、まず日本の被災者救済」が叫ばれた。 2011年9月に立ち上げた西サハラ政府代表連絡事務所WSJPOも一切、資金集めをしていない。 まずは自国の避難民援助が優先されるのは当然だ。
日本だけではない。 世界中が火の車で、西サハラ難民の支援どころではない。
支援すべき元宗主国スペインはギリシャに次ぐ財政破綻国、マカロニを散発的に送っていたイタリアはそのスペインに次ぐ第三の財政破綻国、人道支援が売りのオバマ政権も、大統領選挙に向けての寄付を相手構わず、ところ構わずねだる昨今である。
UNHCR国連高等難民弁務官は、最大のスポンサーである日本が大震災のため金の振込を滞っているとかで、西サハラ難民へは食糧配給すら渋っているのである。 加えて国際赤十字、WFP世界食糧計画などなど、さらに国連関連団体のみならず世界中のNGOが、36年間という長期支援にうんざりしているのは事実だ。
具体的な見返りがない限り、美しい正義の言葉だけで人の善意を維持するのは難しい。
こうして、、西サハラ難民は忘れられていくのである。
* 国連は?
2012年3月12日と13日に、9カ月間凍結していた国連主催の<モロッコと西サハラ非公式会談>が再開される。 2007年に始まったこの種の会談は、公式に4回、非公式に8回行われた。 しかし、モロッコは<国連西サハラ住民投票>を拒否し西サハラの領有権を固執し、一方の西サハラは国連が約束した<国連西サハラ住民投票>の早期施行を主張し、まったく歩み寄りがみられない。 そもそも<国連西サハラ住民投票>は1991年に国連が提案した和平案だ。 これを呑んだモロッコと西サハラは1975年から続いていた戦闘を停止したのだ。 その<国連西サハラ住民投票>とは西サハラ住民が西サハラ独立かモロッコ帰属化を選ぶ二者択一の投票のことをいう。 東チモールや南スーダンではこの国連投票で夫々が独立を果たした。
しかし、1991年に国連が自ら約束した<国連西サハラ住民投票>を今日まで実施することができず、結局20年間も国連西サハラ関係者は無駄めしを食っているということになる。 国連はモロッコが<国連西サハラ住民投票>を拒否しているからだというが、なぜ国連はモロッコを強硬に投票参入させないのか? 国連は主権国家に強硬介入できないと弁明しているが、嘘だ。 これまで国連は主権国家であったイラクやリビアに軍事介入し、国家を崩壊したではないか? 要は、西サハラ問題に関して、アメリカのような大国が国連に圧力をかけないから、国連はいい加減にあしらって知らん振りをしているのだ。 国連職員の失業対策のため、国連西サハラ住民投票派遣団をずるずると20年間も延ばしているにすぎない。 そんな国連に日本が払わされている高額な分担金は、そっくりそのまま東日本の被災者に届けるべきだ。
37年間、西サハラ民族独立運動を支援してきたフランス人のピエール.ガランは、現在秘密裡に行われている国連主催の両当事者非公式会談の経過を、アメリカ議会だけでなくEU議会や国際社会にも公表すべきだと、語気を荒げて糾弾している。
国連西サハラ住民投票実施を独立の足掛かりにしたい西サハラ民族は、国連をせっつくのと同時に国連を操る大国を、その大国を操るイスラエルをつっつく必要があるのかもしれない。 しかし、新たな占領者を招くこの<禁じ手>は考え物だ、、
* 西サハラを分断する地雷防御壁「砂の壁」
約30万人の西サハラ民族は「砂の壁」と仇名される地雷防御壁で、アルジェリアの難民キャンプとモロッコ占領地.西サハラに分断されている。
アルジェリアの難民キャンプでは西サハラ亡命政府、モロッコ占領地の西サハラではインテイファーダと、分断された民族の独立運動はかってのパレスチナ独立闘争に似ている。
西サハラ民族を裂く地雷防御壁「砂の壁」はパレスチナを占領するイスラエルの将校が提案して、1981年から建設が始まった。 その当時、モロッコ正規軍は西サハラ砂漠の戦場で西サハラ難民軍のゲリラ戦に疲労困憊していた。 モロッコは西サハラ.ゲリラの攻撃を防ぐため、全長約2500km、高さ約2mの瓦礫でできた壁を1987年に完成させた。 さらに、防御壁の両側50m巾で、モロッコ軍は約600万の地雷を埋めたのだった。
現在も西サハラの大地は、約2500kmに及ぶ地雷原で西と東に分断されている。
1100kmの海岸線が伸びる大西洋沿岸から地雷防御壁「砂の壁」まで、肥沃な西サハラの約80%をモロッコが占領支配している。 1991年に「国連西サハラ住民投票」を受け入れて西サハラ難民軍と停戦したモロッコは、住民投票に勝つためせっせとモロッコ人を西サハラ占領地に送り込み、現在その数は約15万にまで膨れ上がった。 さらにモロッコは、約16万のモロッコ兵を西サハラ占領地に展開させている。 一方、西サハラ占領地に残った西サハラ住民は約10万といわれている。
地雷防御壁「砂の壁」の東、約20%は西サハラ難民亡命政府解放区である。 不毛の砂漠で数百人の砂漠の民が遊牧し、西サハラ難民軍が臨戦態勢で展開している。
1975年にモロッコ軍から銃で西サハラを追われた西サハラ住民は隣国アルジェリアに逃げ、現在にいたるまで難民生活を続けている。 その数は約20万と言われている。
単純な足し算をすれば、西サハラに住むモロッコ人は約21万、難民も合わせた西サハラ人が約21万弱とほぼ同数だ。 が、モロッコ人入植者やモロッコ兵を西サハラ人と認めない現行の国連投票人認定基準ではモロッコは住民投票に負ける。 モロッコが<国連西サハラ住民投票>を拒否する理由は、投票に負け西サハラ占領地を失うからだ。
* モロッコ占領地.西サハラのインテイファーダー
2010年10月10日、西サハラ占領地の首都ラユーンに住む西サハラ住民2万が郊外の砂漠に800のテントを張り抗議活動を開始した。 モロッコ占領反対と国連西サハラ住民投票実施を訴え、要求貫徹まで動かない覚悟だったが、一か月後の11月8日、モロッコ占領軍がヘリコプターや放水車や装甲車で女や子供まで襲撃した。 テントはモロッコ軍に焼き尽くされた。 死者36人、負傷者 723人、逮捕者 159人、現在も17人が獄に繋がれたままだ。
その後もモロッコ占領警察と占領軍は西サハラ被占領民の抗議運動を潰そうと弾圧を続け、西サハラ住民を拘束している。 それでも、西サハラ住民は毎日のように各地でデモを行い、モロッコ占領当局に抗議を続けている。
2012年2月24日、モロッコ占領地.西サハラの首都ラユーンにある西サハラ人居留区で祝宴大テントが張られ約600人の老若男女が集まった。 国連が主催する「砂の壁で分断された家族の相互訪問計画」に従って難民キャンプからやってきたラフセンさんを歓迎する宴会だった。 国連住民投票を実現できないことへの不満をそらせるため、ただ飯を食う国連西サハラ担当者が考えた一週間ツアーで、2007年から散発的に行われている。 難民キャンプとモロッコ占領地.西サハラ間の家族相互訪問を許される西サハラ人を、当然モロッコ占領当局も了承している。
ラフセンさん歓迎の宴がたけなわになった1時間後、突然、こん棒と石を持った十数人のモロッコ占領警察軍が乱入し暴れまくった。 ラフセンさん以下19人が重軽傷を負った。 ラフセンさんに付き添っていた国連職員は何もせず腕組みをして眺めていただけだった。
一方、惨事の報告を受けたにもかかわらず、MINNURSO(国連西サハラ住民投票派遣団)のPKO国連平和維持軍は事件の調査すらしなかったのだ。 国連は西サハラ住民に約束した<国連西サハラ住民投票>を20年間も放置したままだ。 少なくとも投票まで、国連の約束を待つ西サハラ住民を守る義務がある。 が、PKO国連平和維持軍は何もしない、、
国連ほど非民主的な国際組織はない。 その国連が5大国の意のままに世界の平和を牛耳っている。 世界各国の住民は自国が潰される前に、<国連の春>を起こすべきでは、、、
文:平田伊都子 写真構成:川名生十
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