2012年04月09日15時58分掲載
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核・原子力
【たんぽぽ舎発】 『原発の来た町』斉間満(南海日日新聞社、2002年=1988年出力調整実験反対運動=
2000年12月15日、23年間に及んだ、愛媛県伊方町民を中心とした住民が国を相手取って起こした伊方原発設置許可取り消し訴訟(四電伊方2号炉)の判決が、松山地裁で行われた。判決は、最大の争点だった「原発敷地沖のA級活断層」の存在を認めながら「原子力機器の安全を脅かすものではない」と、国側が活断層を見落としたズサンな安全審査を支持し、住民側の訴えを退けた。
伊方1号炉弁護団の藤田一良団長が準備書面の中で「サタンの火」と称した原発は、その指摘通り莫大な金と巨大な権力、そして現代の魔術というべき科学技術を駆使して住民の生活と心をボロボロに踏みにじり、立ち上がれないほどに傷つけ、その後に進入してきた。
象徴的な出来事として1988年の伊方原発出力調整実験反対運動がある。全国の反原発住民5千人とも1万人ともいわれる人々が四電本社(香川県高松)を取り囲み、実験中止を訴えた運動。この際、ステッカーを張ったり、針金を一本切っただけで、反対運動をする人が警察に逮捕された。同年、伊方町の要職にあった人物から筆者が渡された「マル秘」書類には、為政者や企業警察など核開発をもく
ろむ者たちによって住民を管理、弾圧して原発推進を進めるということが、伊方町でも行われてきたことが克明に記されていた。
今、為政者や企業側は莫大な金と巨大な権力を駆使して利潤の追求と戦争に備えた国造りへとまい進しているかにみえる。住民への弾圧や自衛隊という軍隊の動員計画も想定されていることなども考えあわせると、核という地球規模の破壊的な兵器の原料となる原発を阻止することは、反戦活動にもつながっていくものであるともいえるのではないだろうか。
斉間満(さいま・みつる)(1943〜2006年)
<伊方原発反対八西連絡協議会会員>
伊方原発建設当初、地方紙の記者として取材したのが伊方原発とのかかわりの初め。取材していく中で地元にあるローカル誌が原発の危険性に少しも触れないことに疑問を感じて焦りを覚える。経験も知識も資金も貧しい中ではあったが、地元で原発を批判していく必要を強く感じて1975年「南海日日新聞社」を立ちあげる。以来一貫して原発反対と匿名報道を貫き、伊方町を含む周辺の町や八幡浜
市の人々に原発の危険性を伝え続けてきた。
伊方原発2号炉設置許可取り消し裁判は、本人訴訟として起こされたが、原告の一人に加わり23年間法廷で闘った。しかし、2000年12月判決の4日前に持病の心臓病が原因で脳梗塞を発病し、左半身不随車いす生活の身となる。近藤誠さんは同じ原告、反原発の仲間であり社員の一人。2006年永眠。
『原発の来た町 ─原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』(再版)
http://www.hangenpatsu.net/files/SaimaIkataBook.pdf(PDF、181ページ、2.8MB)
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