2012年05月29日14時49分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201205291449432

米国

アメリカと西サハラ 最後のアフリカ植民地をアメリカが解放? 文:平田伊都子、 写真構成:川名生十

 「国連事務総長特使クリストファー.ロスをモロッコ王国は信頼できない」と、2012年5月17日、モロッコは絶縁状を国連事務総長に叩きつけた。 「エッ!ウソ〜」と、筆者は仰天し、速報を流したSPS(サハラ。プレス.サービス)の友人に確認した。 ホントだった。 
 モロッコが首を切ったサハラ問題仲介者のクリストファー.ロスはアメリカが国連に送り込んだベテランの外交官だ。 モロッコは国連事務総長だけでなく、アメリカに喧嘩を売ったことになる。 血迷ったのか、モロッコは? 
 
*破れかぶれモロッコ 
 
 モロッコは主体的に国連とアメリカに喧嘩を売ったわけではない。 モロッコは強くないし、むしろアメリカや元のご主人であるフランスなどに従順で、気持ち悪いほど大国に媚びてきた王国だ。 そのモロッコが何故ヒステリーを起こしたのか? 理由の一つに、国連安保理をモロッコの思うように操れないということにある。 2012年から2年間の安保理非常任理事国になったモロッコは、モロッコ占領地.西サハラの領有権を安保理に承諾させられると勘違いしたようだ。 モロッコ王国は1975年から西サハラの領有権を主張してきたが、同年にICJ(国際司法裁判所)はモロッコの領有権を否決し、1991年に国連安保理は<国連西サハラ住民投票>を提案した。 その後21年経っても国連が<国連西サハラ住民投票>を実施しない事が混迷の根源なのだが、それでも国連安保理は多数の事務総長特使を送り込み平和的に解決しようとしてきた。 が、ここにきてモロッコは、国連が提案する<国連西サハラ住民投票>を完全に拒否してきたのだ。 顛末を探ってみる。 
 
4月17日、国連事務総長が国連安保理に、モロッコ占領地.西サハラのMINURSO(国連西サハラ住民投票派遣団)司令部に対するモロッコ当局の妨害を訴えた。 
 4月24日、国連安保理はMINURSO(国連西サハラ住民投票派遣団)の一年契約を更新。 
 5月10日、モロッコ外務大臣サアド.エッディン.オットマンに、国連事務総長とロス事務総長特使が国連主催の<両当事者交渉継続>を告げる。 
      モロッコ外務大臣に、アメリカ国務副長官ウィリアム.バーンスがロス主導の平和解決支持を表明する。 
 5月17日、モロッコはロス国連事務総長特使への不信任を表明し、国連に喧嘩を売った。 
 
  モロッコ爆弾宣言までの経過を辿ると、アメリカの影がチラチラしてくる。 モロッコが切れた二つ目の理由は、アメリカがそう仕向けたからではないだろうか? 
 
*売られた喧嘩を買ったアメリカと国連 
 
 5月21日、モロッコ議会でモロッコ外務省高官ユーシフ.アムラニが次の様に公言した。 
「モロッコ王国は国連に協力する。但し、モロッコが提案する<地方自治権>に関してだけである。モロッコ王国のサハラ領有権は絶対的なもので、サハラは、あくまで国内問題に過ぎない。モロッコ外務省はどこの発信であろうと、モロッコ王国の威信や国益を傷つけるものには断固反対する」 
 5月24日、モロッコ外務大臣はラバトでの会議で「モロッコ王国の主張は揺るぎない」 
と、喧嘩の火に油を注いだ。 
 
 5月25日、喧嘩を買ったアメリカは、米国務省スポークスマン.アンデイ.ハロスを通じて「アメリカは国連事務総長を支持し、彼の特使であるクリストファー.ロスが仕切る両当事者(モロッコと西サハラ代表)の会談を応援し続ける。モロッコは速やかに会談の席に戻ってくること」と、応戦した。 
 同日、国連事務総長スポークスマン.マーティン.ネサーキは「国連事務総長はクリストファー.ロス事務総長特使を全面的に信頼している」と、明言した。 
 
 これに対してモロッコは、「フランス外務省スポークスマン.ベルナード.バレロはモロッコ王権下でのサハラ地方自治案を、変わりなく支持すると表明した。それはモロッコが 
ロス国連事務総長特使に不信任を突き付けた翌日、5月18日のことである」と抗戦した。 
 モロッコ領有権の宣伝工作に必死なCORCAS(サハラ問題王立諮問委員会)が発信した情報だ。 
 
*アメリカにとっての西サハラ 
 
 「アメリカはアフリカ最後の植民地.西サハラ問題をどう思っているのか?」と、ことあるごとに聞かれる。 アメリカがなんと思おうと、国連は国連が手掛けた問題を自主的に捌いていけばいいし、日本も主体的に西サハラと向き合っていけば好いのだ。 が、国際社会も日本もまずアメリカにお伺いを立て、アメリカのご意見を気にする。 納得がいかないまま筆者も、アメリカはどうアフリカ最後の植民地.西サハラ問題を対処してきたのか、どう扱おうとしているのか、見てみることにする、、悔しいけど学ばせていただく。 
 アメリカが西サハラ少数民族の独立に目を付けたのは、1975年末に宗主国スペインが西サハラ撤退を決めた時からだ。 同年11月14日にスペインは、マドリッド秘密協定で西サハラ北部をモロッコに南部をモーリタニアに分譲した。 スペイン軍の撤退後にモロッコ軍とモーリタニア軍が西サハラ住民を挟み撃ちにし、西サハラ住民はアルジェリアに逃げ込んだ。 こうして西サハラ難民、苦難のテント生活が始まった。 
その年の12月17日8時30分から9時25分まで、キッシンジャー米国務長官(当時)はブーテフリカ.アルジェリア外務大臣(当時、現大統領)をパリのアメリカ大使公邸での朝食に招待した。 「アメリカはモロッコが領有権を主張する西サハラには、あまり興味ないんだよね、、」と安心させて、狡猾な外交官キッシンジャーは、西サハラ独立運動を支援するアルジェリア外務大臣から西サハラ情報を絞り出した。 口とは裏腹にアメリカは西サハラに唾をつけようとしていた。 アメリカはどんな僻地も粗末に扱わない。 地球のどこも国際社会と繋がり、アメリカに利益をもたらす可能性を秘めているからだ。 アメリカが偉いというより、アメリカ外交の指導者キッシンジャーにみる、ユダヤ人の先天的国際感覚にはただただ感服あるのみだ。 
 
 アメリカ外交は狡い。 国連を矢面に立てて、一番得なアメリカの出番を狙っている。 
アフリカ最後の植民地.西サハラはその良い例だ。 
 
*アメリカとMINURSO(国連西サハラ住民投票監視団) 
 
 1991年4月30日、国連がMINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)を創設し、紛争両当事者のモロッコと西サハラ代表ポリサリオ戦線は停戦した。 当時は共和党大統領.父ブッシュの時代で、民主党の故ケネデイ議員が中心になって超党派の議員たちがMINURSOへの支持表明をした。 
1990年代の半ばに入り西サハラで石油、天然ガス、希少金属などの埋蔵鉱物資源が確認されると、西サハラを占領するモロッコは住民投票勝利に向けて、投票準備妨害も含め様々な画策を始めた。 民主党大統領クリントンは西サハラを牛耳るチャンスとばかり、1997年3月に元国務長官でブッシュの懐刀だったジェームス.ベーカーを国連事務総長特使として西サハラへ送り込んだ。 ベーカーは剛腕のジョン.ボルトンを引き連れて、国連西サハラ住民投票の実現に向け奔走した。 ジョン.ボルトンとは後にアメリカ国連大使に就任する、あのネオコンサーバテイブの超強行派である。 
 1998年10月、べ−カーとボルトンの努力が功を奏し、西サハラ難民キャンプではMINURTSO職員の手で投票人認定作業が行われた。 当時、西サハラ難民キャンプで投票準備を取材していた筆者は、投票箱や投票用紙まで確認している。 その後、ベーカーの投票人認定方式では勝ち目なしと判断したモロッコは、投票を拒否をした。 やむなくベーカーは<ベーカー案その1>と呼ばれる修正案を出した。 が、今度は西サハラ側が反対し、<ベーカー案その2>の提出となったが、またもやモロッコから拒否される。 ところが現地巡りをしていたベーカーは体調を崩し、2003年6月に西サハラ国連事務総長特使を退任してしまった。 その頃、共和党大統領.息子ブッシュはイラク侵略戦争の罰が当たり、国際社会の非難にさらされ、アメリカは西サハラ住民投票どころではなくなっていた、、 
 
*アフリカ系アメリカ大統領とアフリカ最後の植民地 
 
 2005年8月1日から2006年12月9日までスーパー.ネオコンサーバテイブのジョン.ボルトンは共和党大統領.息子ブッシュの命令で国連大使を務めた。 「国連は存在しない。あるのは国際社会のたまり場で、唯一のスーパーパワー米国が国連を支配する」と豪語するボルトンだったが、「私が国連大使になってまずやろうと思ったのは、国連西サハラ住民投票だった」と、自身の回想録<Surrender is not an Option(降伏は選択肢にない)>に書いている。 ボルトンは親分のベーカーが達成できなかった悲願の国連西サハラ住民投票を実現させようと奔走した。 結局、アメリカの後押しがいると悟り、NSC(アメリカ国家安全保障会議)のエリオト.アブラム に協力を求めた。 が、「自由で民主的な国連西サハラ住民投票はモロッコ王権を不穏な状態に陥れ、北アフリカにイスラム過激派がのさばる恐れがある。」というNSCの判断で、ボルトンは住民投票を諦めた。 
 
 しかし、2012年現在、北アフリカは平穏ではない。 <アラブの春>と欧米が名づけた<春の嵐>が吹き荒れ、跡片づけもままならない。 
 そして2012年5月24日、モロッコ最大の都市カサブランカで5万人以上(当局発表2万人)の大反政府デモが、労働組合によって組織された。 労働組合によると15才から29才のモロッコ人の半数が失業中だという。 (BBC.TV発) 
 モロッコだけを<春の嵐>は避けて通ったと、モロッコ王国は自慢する。 が、<アラブの春>は経済デモをきっかけに吹き荒れたことを、思い起こす時がきたようだ。 
 
 「アフリカ系アメリカ大統領が最後のアフリカ植民地を解放する」という西サハラ側の期待は妄想だったかもしれない。 しかし、その植民地解放が別の側面から現実味を帯びてきたら、アフリカ系アメリカ大統領再選を画策するユダヤ人宣伝マンたちが、その機を逃すわけがない。 いずれにしろ<アフリカ最後の植民地解放>という道義と正義に満ちた言葉が国際社会で広まっていくことを、心から願っている。 
 
文:平田伊都子 ジャーナリスト、 写真構成:川名生十 カメラマン 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。