2012年07月06日10時07分掲載
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経済
「グリーン経済」で経済の再生を 「リオ+20」が示唆する地球の未来 安原和雄
「グリーン経済」とは何を含意しているのか。改めて問い直したい。そのイメージはすでに確定しているとは言えない。一方に「持続可能な成長の重要な手段」という経済成長派のイメージもあれば、他方に「GDP(国内総生産)に代わる指標のあり方」、つまり経済成長にこだわらない脱経済成長主義の立場からの経済再生もある。
どちらの立場を支持するにしても、無視できない事実は、地球の収容力や生態系に限界があり、この限界を認識して、新しい経済の再生をどう模索していくかである。その目指すものがグリーン経済であり、先の「リオ+20」が示唆する地球の未来でもある。
毎日新聞(7月2日付)が環境特集「<リオ+20>会議の評価と今後の課題を聞く」を組んでいる。その大意を以下に紹介する。登場人物名とそれぞれの談話のタイトルは次の通り。
(1)平松賢司氏(外務省地球規模課題審議官)=日本の主張、各国に共有された
国連でグリーン経済への移行について文書で合意したのは初めてだ。グリーン経済が持続可能な成長の重要な手段の一つと認識されたことは、将来に向け重要な一歩になった。日本が主張した資源効率性の高い都市づくりや防災政策の重要性も共有された。
グリーン経済への移行が各国の自主的な取り組みに委ねられたことに批判はあるが、(中略)皆が望むものは得られない。今回の合意は妥当な線だ。
欧州連合(EU)は、グリーン経済に移行するための具体的な目標を定める各国共通のロードマップ(行程表)作成を主張したが、途上国にグリーン経済に懐疑的な見方がある以上、現実的ではない。金融危機や財政難で先進国には途上国への資金提供の余裕はない。
成果文書を具体化させる今後のプロセスが重要だ。1992年の地球サミット当時は先進国、途上国という二分法があったが、今は中国やブラジルなどの新興国が台頭している。新興国は意図的に途上国の利益を代表する立場をとったが、今後は経済成長に見合った役割を果たすよう働きかけ続けなければならない。途上国もそれを望んでいる。
エネルギー消費が少ない技術を導入することが、途上国にとって将来の発展につながり、コストも低くなることを粘り強く訴えていく。公害を経験し、世界をリードする省エネ技術を持つ日本だからこそできる。
(2)佐藤正弘氏(京都大准教授 環境・資源経済学)=グリーン経済へ転換迫られる
成果文書のグリーン経済の位置づけは、今年1月の原案段階から大きく後退した。だが世界はいずれグリーン経済への転換を迫られるだろう。
グリーン経済の考え方に共通しているのは、森林、土壌、水、漁業資源といった生態系がかかわる自然資本をベースにした新しい経済の確立だ。
自然は地球上で最大の生産者であり、経済は生態系の機能によって支えられている。土壌は人類への食糧供給を支え、森林は水を蓄え洪水を防止し、気候を調節する。ところがこれまで人類は自然の貢献を正当に評価せず、かけがえのない資本を食いつぶしてきた。新興国も加わった世界消費の急激な増大により、生態系は限界を迎えている。
ではどのように新しい経済を構築していくのか。まず地球の収容力の限界と自然資本の価値を正当に評価すること。リオ+20でも、それらを組み入れた、GDP(国内総生産)に代わる指標のあり方が議論された。さらに自然資本を保持しながら機能を持続的に受けられるようにする。
例えば良質な水を安定的に確保するために、莫大なお金とエネルギーを使って貯水・浄水施設を造る代わりに、上流の流域生態系を保全し、水の保全や浄化を促進する。気候の安定のために、設備更新で二酸化炭素排出量の削減を図るだけでなく、熱帯雨林を保全し、吸収力を高める。
資源の効率的な利用、さらに資源を必要としない生活様式や社会への転換も重要だ。政府、企業だけでなく、消費者やNGO(非政府組織)などを巻き込んだ取り組みが不可欠だ。
(3)アブドン・ナババン氏(先住民バタク族・注)=もっと土着の文化の尊重を
(注)バタク族は、インドネシア・スマトラ島北部にあるトバ湖(1103平方キロ)周辺の山岳地帯で暮らしている。人口は約150万人。
伝統的な稲作や野菜の栽培、湖での漁に加え、生態系を守りながら森でマンゴー、バナナ、コーヒーなどを育て、自給自足の生活を送ってきた。「持続可能な開発」を私たちは何百年も前から実践してきた。低炭素社会、有機農業、グリーン経済もだ。
ところが約15年前に政府が製紙パルプ業のトパ・パルプ・レスタリ社に私たちの森の1000平方キロ分の伐採権を与えた。森林減少で湖に流入する土砂が増え、さらに別の企業が魚の養殖を始めたため、水質が悪化し、漁に影響している。山では金の採掘も行われ、バタク族の生活圏は狭まり、自給自足の生活が脅かされている。
持続可能な開発に文化の尊重は不可欠だ。それを欠いた開発は植民地主義だ。日本企業も国内では日本の文化を尊重するのに、海外で開発事業を行うときは、そこに根付く土着の文化を尊重していないのではないか。この点で成果文書は文化の尊重をもっと強調してほしかった。企業進出によって失われた土地や森、湖、川、生態系を自由に使う権利の回復も勝ち取りたかった。
国連総会で「先住民の権利宣言」が07年に採択されたが、先住民の権利を保護する方向に動いていない。成果文書にも具体的な施策は盛り込まれなかった。今後も各国政府が先住民の権利を積極的に保護するよう訴えていく。
<安原の感想> 経済成長とは異質のグリーン経済
「国連でグリーン経済への移行について文書で合意したのは初めてだ」という平松氏の指摘はその通りだろう。肝心なことは、新たに浮上してきた「グリーン経済」とは、そもそもどういう性質の経済なのか、言い換えれば経済成長と不可分の経済なのか、それとも経済成長とは異質の経済なのか、である。
平松氏(外務省審議官)は「グリーン経済は持続可能な成長の重要な手段の一つ」と指摘している。多くのメディア報道も、この認識を前提に論評を加えている。「自然環境の保全や天然資源の循環利用によって、将来にわたって持続可能な経済成長を実現しようとするもの」という指摘は、その具体例である。これはどこまでも経済成長への迷妄から離れられない経済成長執着派の立場である。
私見では「持続可能な発展(開発)」は成り立つが、「持続可能な経済成長」は夢物語にすぎない。というのは発展は質的概念で、人間で言えば、人間力(人格、器量など)の充実を意味しており、これに対し経済成長は量的概念で、人間の場合、体重が増えることを意味している。前者の人間力充実には際限がないとしても、後者の体重が際限なく、無限に増えつづけることはあり得ない。
もう一つは、上述の佐藤氏(京都大准教授)とナババン氏(先住民)の立場である。両氏の主張のどこにも「経済成長」への言及を見いだすことはできない。これは経済成長のことをうっかり忘れたというわけではない。二人の思考の枠組みはそもそも経済成長という概念とは異質といえるだろう。
佐藤氏は次のように述べている。「どのように新しい経済を構築していくのか。まず地球の収容力の限界と自然資本の価値を正当に評価すること。リオ+20でも、それらを組み入れた、GDP(国内総生産)に代わる指標のあり方が議論された」と。つまりグリーン経済は、「GDPに代わる指標のあり方」とかかわっており、GDP拡大を意味する経済成長とは異質なのだ。
ナババン氏(先住民)の次の指摘も見逃せない。「持続可能な開発に文化の尊重は不可欠だ。それを欠いた開発は植民地主義だ。日本企業も国内では日本の文化を尊重するのに、海外で開発事業を行うときはそこに根付く土着の文化を尊重していない」と。つまり土着文化を尊重しない植民地主義は、土着文化を尊重するグリーン経済とは両立し得ないという認識である。
私(安原)は、脱成長主義、土着文化の尊重を前提とするグリーン経済を支持し、その発展を期待したい。
*「安原和雄の仏教経済塾」の転載。
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/
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