2012年07月06日12時28分掲載  無料記事
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核・原子力

≪たんぽぽ舎発≫7・1の大飯原発前のバリケードの現場から- 大飯原発再稼働強行、原発道路完全封鎖33時間のたたかい -  

 朝7時小雨模様の中、参加者48名バスに乗り込んで原発前抗議行動に参加するべく集合地の漁村公園に向かった。公園は原発ゲートより500メートルほど先にある。驚いたことに、本道から別れて原発に向かう道路を横切り、3列に亘ってびっしりと車が置かれたバリケードで完全に封鎖されていた。東京から駆けつけたバスとわかって詰め掛けた若者たちが歓声をあげる。原発へ通ずるトンネル前には関電や保安院のジャンパーを着た職員、警備員、警官が入り混じった阻止線を張っていた。バリケードの前と後ろに駆けつけている人の数は400名くらいか。(T.E) 
 
 7・1行動実行委員会のSさんらと共に、大飯原発所長宛て再稼働中止申し入れ書を手渡した。これも昨日と同様、「受け取ることは出来ない」「約束を守れ」のスッタモンダの挙句、小浜警察署長の仲介で受け取るという始末だ。 
 
 午後1時バスツアーのメンバーは二つに別れることになった。予定通り東京へ帰るメンバーと現場に残るメンバーとに。居残り組みは9名、降りしきる雨の中帰京のバスを見送る。 
 午後4時頃漸く雨が上がった。5時頃警察の指揮官車が前に出てきて退去通告を繰り返し、道路に座り込んだ人々のごぼう抜きを開始。ごぼう抜きも座り込みも初めてという人が大半なので緊張と、決意で顔も強張っている。 
 
 ごぼう抜きは1人に対し数人の警官が当たる。皆すごかった。若い女性の涙ながらの抵抗に諦めて反対の列へ移動する場面も。 
 正直のところ、今回の警察の動きは鈍い。政治的には、原発再稼動を強権行使のイメージから切り離したい、警察が火中の栗を拾うのはゴメンだ。そんなところか。その証拠といえるかどうかわからないが、デモ隊に対峙する警官隊がお互いに手首を握り合うという珍しい光景を目撃した。 
 
 ごぼう抜きが始まる前、横腹に海昌丸と書いたトラックがデモ隊の前に停まった。たんぽぽ舎の柳田さんの報告によれば、若狭湾で漁師をしているHさんが原発前の抗議行動のニュースを見て駆けつけてきた、抗議する人たちの姿に涙が出た、今までは、原発を容認してきたが事故が起きれば若狭湾の漁業は壊滅する、自分たちも反対運動に立ち上がるつもりだ、漁師仲間で海上デモなどの話しも出ている、相談に乗って欲しいなど等とのことであった。 
 
 Hさんは、座り込みの最前列に入りごぼう抜きされた仲間となった。長い対峙が続いた。トンネル側の警官隊はヘルメット姿の機動隊と入れ替わり、何時強制撤去が始まるかわからない。バリケードの中ではおおぜいの若者たちがドラムのリズムに合わせて踊り、宣伝カーからは再稼働反対に加え、平和に人間らしく生きようというメッセージがコールに乗って響きわたる。 
 
 8時頃、トンネル側の機動隊が動いた。バリケードそばの受付事務所内に取り残されていた関電職員救出のためだった。再稼動が強行された9時以降も機動隊に強制撤去の動きは無い。警察側にその意思はいまのところ無さそうだ。 
 
 24時頃、道路の下側を固めていた警察部隊が一斉に撤収。排除されて道路の向かい側脇で激励していた人々がゲート内の本隊と合流。歓声が上がる。 
 
 バスツアーの居残り組みは深夜の1時ごろ、漁師のHさんのトラックに乗せて貰い、現場に心を残しつつ監視テント村に向かった。 
 後で聞けば午前2時、バリケードを構築した若者たちは、いっせいにバリケードを自主的に去、車で来た者は帰宅、それ以外はテントにひき上げたという。 
 
 朝5時現場を見に行ったSさんによると飛ぶ鳥あとを濁さずごみ一つ残さずきれいサッパリだったとのこと。こうしたたたかい方も、いまの若い世代の特徴を現したものであるのかもしれない。 


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