2012年07月08日18時01分掲載
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英王室はこれからも続くか?―その位置と国民の思い
エリザベス英女王(86歳)の即位60周年を記念する祝賀行事「ダイヤモンド・ジュビリー」は、6月2日からの4日間を国民の祝日として開催され、大盛況で終了した。王室の意味やメディア報道とは?「メディア展望」7月号の筆者拙稿に補足したものを紹介したい。(ロンドン=小林恭子)
行事終了の翌日、保守系大衆紙サンは「幸せ、壮観−女王の喜びが英国を元気付けてくれた」とする見出しの記事を掲載した。日刊紙では最大部数を誇るサンによる、国民の気持ちを代弁するような記事であった。他紙でも「威厳がある」、「退屈な」しかし「誠実な」女王個人を賞賛する論調が主になった。
祝賀行事の報道ばかりとなった英メディアの様子を見て、「北朝鮮のような息苦しさ」(左派系デイリー・ミラー紙のコラムニスト)を指摘した場合もあったが、60周年をともに喜ぶ紙面が圧倒的であった。
女王は、様々な価値観を持つ国民が住む英国に統一感を与える存在となっている。景気が低迷して緊縮財政が続く中、60周年記念は数少ない明るいニュースでもあった。
調査会社ICMによる世論調査で(保守系日曜紙サンデー・テレグラフ、6月3日付)、エリザベス女王は、歴代の国家元首の中でも最高の元首に選出された。55%が王室は今後も永遠に続くとし、いつか共和制になると答えたのは28%だった。王室支持派が過半数(80%前後)で、共和制の支持率が20%台というのは、長年続く傾向である。
本稿では、昨今の「エリザベス・フィーバー」の由来とその背景に注目し、英王室と国民、そしてメディアとの関係を振り返ってみたい。
女王エリザベス2世の誕生は1952年。当時20代半ばのエリザベスは夫のフィップ殿下とともにケニアを公式訪問中に、父親である国王ジョージ6世の病死を知った。
当時は、第2次大戦は終わっていたものの配給制度は続いており、多くの国民が耐乏生活を余儀なくされていた頃である。若々しい女王の誕生は新たな時代の幕開けとして受け止められた。
翌年の戴冠式のテレビ放送は国内外の視聴者を魅了した。これを機にテレビ受像機の販売台数が一気に増加。マスメディア時代の初のアイドルが生まれていた。
1950年代と比較すれば、現在の英国は、肌の色や人種が異なる多くの人間が「英国人」として生活する国である。移民(外国生まれ)人口は1951年の国勢調査で全体の4・2%だったが、2010年では11・9%を占めた。
可処分所得が増えて、「中流」とされる層が広がってゆくのは1960年代だが、このとき、失われていったのが、親や教師、政治家など、目上の人間や権威に対する敬意だといわれている。あらゆる権威を批判やジョークの対象とする「風刺ブーム」がテレビやラジオで勃興してゆくのも60年代である。王室も鋭い風刺の対象として俎上に上るようになった。
女王や王族たちは有名人として扱われ、ゴシップ記事や写真が満載の専門雑誌(「OK!」や「ハロー!」などが代表格)に頻繁に登場するようになった。1980年代以降、人気の王族たちはスクープ写真を狙う写真家たち=パパラッチに追われた。新聞は王室の話題を載せれば部数が伸びるとあって、ネタ探しに奔走した。
王族がメディアの取材に応じることはあまりないが、60年間の在位中、一度もメディア取材に応じたことがないのが女王だ。女王に関する雑誌記事や書籍は、関係者への取材を元にしたものばかりである。
王室一家が休暇を過ごす様子を撮影したテレビ用映画「ロイヤル・ファミリー」の制作(1969年、放映)を許可したことがあるが、現在では、この映画の再放送を認めていない。プライベートな面を外に出すのは「自分の役割外」とでも考えているかのようだ。
ー「王冠をかけた恋」への反発
エリザベス女王の強い義務感は国民の賞賛の的だ。王室はいわば非上場の会社であり、女王という役割は自分の仕事だ、と考えているようだ。こうした義務感は、離婚女性ウォリス・シンプソン夫人との結婚を選択して王位を捨てた伯父エドワード8世を反面教師としていると言われてる。
まだ王女であった1947年、初めての外遊で訪れた南アフリカで演説を行ったエリザベスは、「全生涯を英連邦の為に捧げる決意である」と表明した。80代半ばの現在も、1年に400件を超える内外の公務をこなし、その義務を日々全うしている。
派手さを嫌う女王は「誠実だが、(やや)退屈」という印象を与えながらも高い人気を維持してきた。ところが、1990年代には、女王個人そして王室は国民やメディアの大きな批判の的になった。
長男のチャールズ皇太子がダイアナ・スペンサーと1981年に盛大な結婚式を挙げたが、その後、二人は不仲となった。夫婦が互いの不倫関係をメディアに「告白」するという、前代見聞の事態が発生した。王族のモラルが問題視され、ウィンザー城も火災に見舞われた。女王は1992年を「ひどい年」と演説で表現している。皇太子夫妻は1996年に離婚の結末を迎えた。
1997年、ダイアナ元妃がパリで交通事故で亡くなり、国民の多くが女王から哀悼の言葉を望んだ。しかし、女王一家は休暇先のスコットランドからロンドンに戻ろうとしなかった。「国民の気持ちが分かっていない」−そんな思いを国民が持ち、メディアも現実からかい離した王室を大きく批判した。
数日後、ロンドンに戻った女王一家は、国民の悲しみの大きさを知った。女王はテレビに出演して元妃に対する哀悼の言葉を発し、国民の怒りは次第に収まっていった。
上流、上・中流、中流、労働者階級といった社会的な階層分けが厳しい英国では、両親が富裕あるいはエリート層であったり、良いコネがあれば、社会的な成功の度合いが高くなる。女王の自伝を書いたアンドリュー・マーは「この30年で、社会的流動性は逆行している」と語る。
格差社会を問題視すれば、その象徴たる王室も由々しき構造と見えてくる。60周年祝賀行事の開催中にも、各地で共和制の実現を訴えるデモが行なわれた。参加者が手にもったプラカードには、「王室を過去のものにしよう」、「1人の女王を支えるお金で9500人の看護婦が養える」などのメッセージが記されていた。英国は民主主義国家だが、立憲区君主制をとっているため、国民は女王の「臣下」となる。共和制支持者は王室制度は「民主的ではない」として、廃止を唱えている。
国民の憧れの対象である王室だが、同時に、王室には国民の税金を使う特権階級という側面があることを、多くの国民は見逃していない。そこで女王は、1993年からは所得税の支払いを実行し、バッキンガム宮殿の修繕費を作るために宮殿を一般公開するなど「国民に開かれた」王室作りに力を入れてきた。
過去20年間、政府は財務省から出る王室費の値上げを凍結しているが、来年からは王室が所有する不動産の管理会社の収入の一部を王室予算とする方式が実施される。無駄なお金を使わない・使わせないのが英国流だ。
左派系ガーディアン紙の最近の調査によると、69%が「王室がなくなったら、英国は悪くなる」と答えたものの、女王没後、新国王としてチャールズ皇太子を支持すると答えた人は39%と意外に少なく、その息子のウィリアム王子は48%で、父を超えた。「選挙で選出するべき」は10%のみが支持しているため、王室はしばらく続きそうだ。(「メディア展望」は新聞通信調査会が発行している。)
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補足:祝賀行事の報道で目だったのが、BBCによる水上パレード番組への苦情だ。
2000以上の苦情がBBCに殺到した。番組のキャスターの報道がつまらなかったという。こういう大イベントの報道では、キャスターがたくさん情報を持っていて、視聴者をあきさせない工夫が必要だが、今回は、画面を見ればすぐに分かるようなことを説明したり、知識量が少ないためにほとんどまともな解説とはなっていなかったという批評が新聞でも出ていた。通常、BBCはある程度経験が豊富なキャスターを選んで、何が起きても、知的に満足させるような解説ができる人を配置するが、今回はそうではなかったようだ。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
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