2012年07月23日01時06分掲載
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ロンドンを歩く −「シティを歩けば世界が見える」ツアー
ロンドンの地下鉄を使っていると、「モニュメント」という名前の駅があることに気づく。いつもこれはいったい何だろうなあと漠然と思っていた。「モニュメント」は「記念碑」などと訳されるが、この駅の近くに、1660年代のロンドン大火の被害と復興を記念した建造物、「ロンドン大火記念塔」が建てられているのであった。記念塔の前に集まって、金融街シティを散策するツアー「シティを歩けば世界が見える」に参加した。(ロンドン=小林恭子)
ツアーは、英国日本人会が主催する二水会の集まりの1つであった。
モニュメント駅へのいろいろあるが、私の場合、ウオータールー駅からバンク駅へ。モニュメント駅に行くために乗り換えようとしたら、「モニュメントに行くには、ここ(バンク)駅から歩いてください」とのお知らせが駅にあった。モニュメント駅は改装・工事中だった。
ロンドン五輪というでかいイベントがあるのに、中心的な駅のひとつ、モニュメントが工事中で使えないーまったくもって、「英国・ロンドンらしいなあ」と思って、バンク駅を出る。
バンクからモニュメントまでの歩きは、標識が出ており、ほんの数分だった。雨が降り出している。傘をさす。
モニュメント駅近くに、公衆トイレがある。ここは無料だが、掃除がきれいに行き届いている。近辺を観光中の方にはお勧めのようである。クリーニングの女性に「とてもきれいで気持ちがいいですね」と声をかけると、「ありがとう!」と返事が来る。
集合時間より早く着いてしまったので、この記念塔の中に入って、上まで上ることにした。狭いらせん状の階段が311段ある。入塔料は3ポンド(約300−400円)である。途中、高所恐怖症であることを思い出したが、一緒にいた日本人女性が一緒にゆっくり上ってくれた。結構きつい階段である。
上りきると、遠くまで見えた。展望用の機械がいくつか置いてあったが、それ以外には何もない。展望のみだ。
降りてくると、「上りました」という証明書をもらえる。
―数百年後も、まだ建っている
いよいよ、ツアーが始まった。ガイドはシティ・オブ・ロンドン公認の、坂次健司さん(メールアドレス sakatsugiアットマークbtinternet.com )である。期待がふくらむ。
今はメインの道路からちょっと離れたところに建つ記念塔だが、その昔は、当時の大通りの一部にあったそうである。500年前の地図を広げての説明に納得がいく。
ちなみに、「ロンドン大火」だが、これは1666年9月上旬、4日間にわたって続いたロンドンの大火事のことだ。パン屋のかまどから出た火が、ロンドン市内に広がった。不幸中の幸いというか、死傷者はほとんどいなかったそうだが、市内の家屋の約85%(1万3200戸)が焼失したそうだ。家屋のほとんどが木造で街路も狭かったことが、これほど火が広がった理由とされている。
大火を引き起こしたパン屋は長年、火事が発生した場所であることを認めたがらず、正式に認めたのは「330年以上」経ってからであったという。
―チューダー朝そのままの通り
大火の波に襲われなかった場所もある。その1つの狭い通りに案内される。高低があり、やや丸く盛り上がった石畳の通りで、真ん中に縦線が入っている。ここはチューダー時代(15世紀から17世紀初頭)の通りがそのまま残っている場所だそうだ。
ガイドの坂次さんがありありとその昔の様子を思い出させてくれるエピソードを披露。当時、現在のようなトイレは家の中にはなく、ベッドの下などに置く容器にし尿をためていた。朝になると、2階の窓に容器を出し、下の通りに中身をぶちまけたのだという。通りに出た「中身」は、高きから引くきに流れ、その先にあるテームズ川に流れ出る仕組みだ。通りを歩いている人の頭上から、突如、中身がぶちまけられるようではまずいので、捨てる前にその旨を歩行人に事前警告するのが法制化されていたという。
ツアーはその後、交通手段そして商業用物資輸送の手段として重要であったテームズ川の変遷や、エリザベス1世(1533−1603年)が、1554年、腹違いの姉メアリー女王の命によって幽閉されていたロンドン塔で聞いた鐘を鳴らせたオール・ハローズ・ステイニング教会があった場所など、過去数百年の歴史をたどる場所を進んでゆく。エリザベスは、この鐘の音を聞いて、生きる希望をつないでいたという。
個人的に印象深かったのは、日記で有名なサミュエル・ピープス(1632−1703)のエピソードだ。
ピープスは海軍の下級官吏だったが、最後は現在で言うところの事務次官にまで出世した人物。坂次さんは、ピープスを「初代ブログおじさん」と呼んでいた。
ピープスは海軍規定の作成に大きな貢献を果たした人物として知られている。しかし、それが表の顔としての功績であったとすれば、もう1つの功績は1660年から69年に書いた「秘密の」日記である。「秘密の」というのは、ピープスはこれを公開するつもりはなく書いていたからだ。目を痛めて書かなくなるまで、日々の体験や思ったことを書きつけた。
ペスト流行(1665年)やロンドン大火(1666年)を含め、当時の歴史を知るという意味でも価値が高い。さらに、結婚はしていたものの、ほかの女性との関係を赤裸々につづっていたーただし、暗号などを使って、事実関係をぼかしていた(今では、解明が進んでいる)。
ちなみに、「ブログ」の「ログ」だが、もともとは船の速度を測るために使われた丸太のことだ。ウイキペディアによれば、「丸太に、等間隔の結び目のあるひもを水中に投下し、砂時計が落ちきるまでに流したひもの結び目(ノット)を数えた」のだそうだ。そこで、速さの単位「ノット」が生まれた。速さを記録した航海日誌、船舶の測量計も「ログ」と呼ぶ。航海日誌が「ログ」となって、この呼び方が世界中に広がってゆく。インターネットの世界でも、「ログ」という言葉はしょっちゅう使われている。
2時間半続いた、ツアーが終わりに近づいた。ミレニアム・ブリッジを見た後、テームズ川を背景にした坂次さんは、シティを歩けば明日が見える、「世界が見える」と語った。振り返ってみれば、歴史的な建造物とともに、現代的なビルの姿もたくさんあった。ビジネスの盛衰の波によって、だめな会社はいなくなり、新しい会社がモダンなビルを建てていくー。金融街シティの町並みを見ているだけでも、過去、現在、未来を感じることができる。
LIBORスキャンダルでさんざんのシティだが、たくましい過去の歴史をたどると、また別の面が見えてくるようだった。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より
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