2012年07月30日12時14分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201207301214131
アフリカ
【西サハラ最新情報】 2010年11月8日、西サハラ住民の非占領抗議運動を壊滅したモロッコ軍 平田伊都子
2010年11月8日、被占領西サハラ住民による大抗議運動はモロッコ占領軍によって跡形もなく消滅されました。<アラブの春>の発火点と言われていますが、モロッコの強靭な報道管制で、その真相がなかなかつかめませんでした。やっと、西サハラジャーナリストやスペインNGOの努力で<グデイム.イジク(抗議活動があった砂漠の地名)>短編記録映画ができました。ぜひ見てください。
被占領西サハラ住民による大抗議運動を壊滅させたモロッコ占領軍
映像記録は下記から―
http://www.youtube.com/watch?v=9eFvy2mdSZ4&feature=player_embedded#!
西サハラ被占領民の蜂起に、モロッコ占領軍がいかにして武力鎮圧しようとしたか?
抗議運動発生からモロッコ軍の残虐な壊滅作戦まで追ってみると、、
* 2010年10月10日、西サハラ.モロッコ占領地の首都ラユーン:
早朝から、大きな籠を頭に載せた女や折りたたんだ布を担いだ男たちが、西サハラ被占領民居留区から続続と出てきた。子供たちはピクニック気分で浮かれている。
一行は、西サハラ人権運動団体のニッサン.パトロールに先導されて、ラユーンから西へ12キロ砂漠に入ったグデイム.イジクに着いた。そして、テントを張り出した。瞬く間に約2万人の西サハラ被占領民による<モロッコ占領に抗議するテント群>が立ち上がる。
* 2010年10月25日、<蜂起キャンプ>:
<蜂起キャンプ>と仇名される西サハラ被占領民の抗議テント群に食料や水や薬品を届けようとしていた車2台が、モロッコ軍に銃撃された。14才の少年が殺され、重傷を負った残りの7人は逮捕された。
* 2010年11月8日早朝、<蜂起キャンプ>:
モロッコ軍はヘリコプターや放水車や重装備の軍用車を動員して、非武装の<蜂起キャンプ>に総攻撃をかけた。テントに立て籠もる西サハラ被占領民に向かって、催涙ガス入りの水を浴びせ、機関銃を乱射した。 幼児や老人は砂漠に放り出し、少年や成人は男女を問わず連行する。最後にモロッコ軍は、テントに火を点け<蜂起キャンプ>を跡形なく焼き尽くした。
死者36人、負傷者723人、行方不明159人(西サハラ難民亡命政府発表)。
死者12人、負傷者4,500人、行方不明2,000人(AFP発)。
死者12人、うち10人はモロッコ兵、2人は市民(モロッコ情報省発表)。
何故、こんなに死傷者の数が違うのか?それはモロッコ軍が、事件の検証をしようする人権団体やプレスの現地入りをシャットアウトしたからだ。
11月8日のモロッコ軍による<蜂起キャンプ襲撃>も予め分かっていたのに、MINURSOのPKO(平和維持軍)はモロッコ軍の暴挙を止めるどころか、危険だからと通常のパトロールまでお休みにしていたそうです。MINURSO代表ハニー(当時)は、事件の3日後になってやっと、モロッコ軍に守られて現地を視察したそうです。 国連の役割って、何なんでしょうね??
WSJPO西サハラ政府.日本代表事務所
所長:川名敏之
SJJA(サハラ.ジャパン.ジャーナリスト.アソシエーション)
代表:平田伊都子
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。