2012年08月04日01時24分掲載  無料記事
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コラム

アンドレイ・モロビッチさん    村上良太

  現代の遊牧民「モダンノマドの日記」を寄稿していただいているスロベニア人の作家アンドレイ・モロビッチさんと出会ったのはアフリカの西サハラだ。西サハラと言っても、モロッコに占領されている海側の地域ではなく、「砂の壁」に阻まれた砂漠地帯だ。ここに西サハラの解放運動を続けているポリサリオ戦線の拠点があり、昨年暮れの12月から1月にかけてここで4年に一度の大統領選挙が行われた。 
 
  4年に一度の国会の場とあって、海外からの記者も多数取材にやってきた。モロビッチさんと出会ったのは取材者用に設営された大きなテントの中だった。そこでは我々取材班にも食事が支給されるのである。フランスパン、羊や野菜入りのスープ、サラダ、クスクスなどがメニューだった。テーブルの大皿にこれらがあり、それを必要な分取り分けて食べるのである。これらは難民である西サハラの人々への国際救援物質であろう。ミルクもあったし、魚の缶詰も稀にだがあった。 
 
  ある夕方、仲間と離れて一人食事していた時、モロビッチさんたちの一行が後からやってきて同じテーブルについた。その時、テーブルの上にフォーク類がなかったため、僕が立って隣のテーブルから調達して渡したのだった。実は僕の分も最初はなかったのだ。たったそれだけのことでみんな打ち解けた。モロビッチさんはクロアチア人の仲間を連れていた。英語で簡単な話をした時、風変わりな意見を言う人だと感じた。一種の哲学者だと感じた。とはいえ、その時、モロビッチさんが具体的に何を話したのか今ではさっぱり思い出せないのだが・・・。ただ、その時、興味深い人間だと思った。その印象だけは残っているのである。 
 
  モロビッチさんと会ったのは後にも先にも、この時の10分ほどのことである。食事を済ませて先に席を立つ時、モロビッチさんのメールアドレスと名前を手帳に書き込んでいただいた。その時点で、モロビッチさんがどんな「記者」なのか皆目見当もつかなかった。そればかりか、スロベニアがどこに位置するかさえ知らなかったのだ。 
 
  日本に帰国してから、モロビッチさんとメールをやり取りしているうちに、原稿を寄稿していただけませんか、とあつかましくも尋ねてみると、OKの返事が返ってきた。「それで、いったいどのくらいの分量を書けばいいんだい?」 
 
  この時点でもモロビッチさんについて詳しく知らなかった。毎回送られてくる原稿を読みながら、その人となりについて知るようになった。すべての原点はテントの食事の席の一回の印象のみである。 
 
  ところで、実を言えば最初にモロビッチさんが送って来た英文原稿を訳すことができなかった。何度かトライしてみたが歯が立たなかったのだ。その理由はどこにあるのか。モロビッチさんの文章は独特の前衛的表現を伴うと彼自身がどこかで書いていたから、小生の語学力の不足と同時にまたそのことも理由だろう。そのことを率直に書き送ると、モロビッチさんは友人らしき人物にスロベニア語から英語に訳させて送ってくるようになった。スロベニア語から英語に訳しているのはプリモス・トロベフセクという人物だが、実在するのかどうか小生には知りえない。モロビッチさんが小生の英語力を考え、平易な英語にリライトしてくれているのかもしれない。 
 
■現代の遊牧民〜「モダン・ノマドの日記」〜アンドレイ・モロビッチ 
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