2012年08月13日13時00分掲載
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核・原子力
【たんぽぽ舎発】志賀原発の活断層は24年前(1989年)に指摘されていた 国が意図的に「消した」活断層−生越忠氏(地質学者)の指摘 山崎久隆
志賀原発は2基の原子炉がありますが、そのうちの1号機については、原発が建てられる前に、志賀原発差し止め1号機訴訟の過程で現場検証が行われていました。1989年5月30日、原告団と裁判所と補佐人が、現地調査を行っていたのですが、今回問題となった断層のみならず、地盤の不安定さも含めて指摘されていました。
このいきさつは、宝島社(当時はJICC出版局)から出されたブックレット
に詳しく書かれています。
今回、建設当時から知られていたこの断層、S−1断層といわれていますが、これが活断層の可能性があるとして大問題になっています。読売新聞はこれを「国が見落としの疑い」と書きました。しかし、それは全くのウソ、不見識きわまりないことです。志賀原発の直下にある断層は、「見落とされた」ものではありません。意図的に「消された」断層です。
「北陸が日本から消える日」という衝撃的なブックレットが、当時発行されていましたが、その中にも記述があるとおり、大きな争点の一つだったのです。
当時から問題となり、これを原告側補佐人として鑑定したのが元和光大学教授の生越忠氏(地質学者)でした。敷地内を南東から北西に走る断層は、1号機原子炉建屋の下を通っています。もちろん活断層認定をされれば今でも当時でも原発など建てられません。しかし北陸電力は1987年、1号機の設置許可申請で断層部分について「波などによる浸食作用で生じた」と活動性を否定し、さらに当時の通産省は翌1988年、現地で地層などを調査し、この見方を追認したのです。見落としどころか、共謀です。
ただし若干、電力側にも言い分というのはあります。これが活断層であり、過去に動いていたとしても、当時の安全審査においては「過去5万年以降に動いた形跡がなければ活断層として扱わない」という「基準」がありました。今では誰も口にしません。なぜならば、耐震設計審査指針の改定に向けた議論で「5万年基準」が問題になったとき、その根拠が全くわからなかったからです。
地質学上は200万年以降に動いた形跡があれば活断層と言いますから、この5万年という基準には合理性がないと、当時からも批判がありました。その後の耐震設計審査指針改定において、この基準が「12〜13万年以降に動いた形跡のあるもの」とされました。
さて、問題の「S−1」断層は、12〜13万年前の地層を切っていますから、新しい基準では間違いなく原発直下にあってはならない活断層と言えるのですが、2006年以前の基準では「はっきりしない」ことになってしまうのです。だから断層ではないなどと主張をした可能性があります。
しかし、このような言い逃れも旧耐震設計審査指針の上でのみ主張ができることです。新指針では、この断層は極めて重要な「活断層」であることは論を待ちません。
1997年の2号機増設申請時と、2006年の耐震設計審査指針改定に伴う2009年の耐震性再評価いわゆる「バックチェック」の中間報告。この断層が問題になり得る機会は少なくても二度あったわけですが、最初に「活断層ではない」という結論を出してしまった以上、蒸し返しては原発を廃炉にしなければならなくなると、保安院は電力と共謀して活断層隠しをしていたと思われます。
今になって保安院が「発見」した理由は、志賀原発の差し止め訴訟が改めて提起され、裁判の中で持ち出されることを恐れたためと思われます。こんな明白な断層が真下にあるとわかれば、以前ならばまだしも、福島第一原発震災を経た今、裁判所も運転差し止めをしないわけには行かないだろうと思われます。
法廷で争われる事態となれば、極めて不利な立場になることから、今のうちに原発直下の断層は「問題ない」とのお墨付きを専門家から得ようとしたのだろうと思われます。ところがそんな保安院の企みは、同様に福島第一原発震災に専門家として警鐘を鳴らせなかった別の負い目のある地震学者は、意見聴取会で現地調査を要求していました。
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