2012年09月06日22時56分掲載
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中東
外紙で読むシリア情報 村上良太
9月5日付のIHT(インターナショナルヘラルドトリビューン)には「Yearning for home and sectarian revenge」と題する記事が掲載された。シリアからヨルダンに避難した子供たちがすでに宗教の違いによる憎しみを胸に刻み、いつか報復してやりたいと思う様が書かれていた。具体的にはスンニ派の子供がアラウィ派とシーア派に敵意をみなぎらせている姿だ。現在のアサド政権はアラウィ派であり、反政府軍の多くはスンニ派である。そしてイランとレバノンの武装勢力ヒズボラがアラウィ派のシリア政府を支援している。
Ranya kadri記者によって書かれたこの記事で印象深かったことはなぜ少数派のアラウイ派がシーア派を何十年も統治してきたのか?という素朴な疑問だった。イラクでも支配者だったサダム・フセインはスンニ派だったが、イラク人の多数派がシーア派だったことをも思い出させた。なぜ中東では少数派が多数派を支配しているのか?kadri記者はオスマン帝国の崩壊から、その理由を語っている。
まだオスマン帝国が健在だった時代はシリアのあった土地はオスマン帝国領であり、スンニ派とアラウイ派(シーア派に近いとされる)は分かれて暮らしていた。というよりも、むしろ少数派のアラウイ派は虐げられており、裁判で証言する権利すらなかったとされる。ところが、第一次大戦後、敗れたオスマン帝国が解体され、シリアを統治する権利を得たフランスは少数派のアラウィ派をむしろ政治の中心に据えて、植民地支配体制を築いた。これはレバノンでキリスト教徒を、パレスチナでユダヤ教徒を、イラクでスンニ派を統治者に仕立てたのと同じ植民地支配の構造だという。この説明はオクラホマ大学でシリアについて講じているジョシュア・ランディス(Joshua Landis)氏の言葉の引用であると書いている。
その後、植民地が独立を果たすと武力を握った軍隊が植民地時代の権力構造に乗っかり、そのまま少数派支配を延長させてきたという。だから長年、少数派で支配を続けてきたために多数派のスンニ派に実権が渡れば少数派の自分たちがどんな目に合わされるかわからない、その恐怖がアラウィ派の根底にあるのではないか、というのである。オスマン帝国崩壊後、シリアがフランスの委託統治領になったのが1920年だから、92年の歴史と怨念が蓄積されているのだろう。
ジョシュア・ランディス氏は「シリア・コメント」というブログを書いている。
http://faculty-staff.ou.edu/L/Joshua.M.Landis-1/
■イラクの宗教(外務省)
アラブ人(シーア派約6割,スンニ派約2割),クルド人(約2割),トルクメン人,アッシリア人等
■シリアの宗教(外務省)
イスラム教 90%(スンニー派 74%、アラウィ派、ドルーズ派など 16%)キリスト教 10%
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