2012年10月07日11時40分掲載  無料記事
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国際

≪twitterから≫尖閣諸島は米国が日中間にくい込ませた楔   孫崎 享

尖閣問題の重要な側面。米国が日中間にくい込ませた楔。1971年6月、国務省スポークスマンは尖閣諸島の『施政権』は日本に返還されるが『主権』の帰属については中立の立場をとるという態度を明らかに。 
 
1972年3月、福田外相は、国会で“現在施政権を行使している米国が中立的な立場をとることを正式に表明すれば、米国政府に対し厳重に抗議する”との意向を明らかに。 
 
佐藤首相も、記者会見で米国の態度に強い不満。牛場 駐米大使グリーン国務次官補に会見し、尖閣諸島の帰属問題に関する日本の見解の支持を求めたが、同次官補は従来の米政府の中立の立場を繰り返す。 
 
何故米国この対応か。原喜美恵著『サンフランシスコ平和条約の盲点』。「1969年ニクソン政権は中国との関係正常化を外交の最優先課題に挙げて発足。その優先すべき中国政策を尖閣というちっぽけな島のために台無しにする気はなかった。 
 
米国の尖閣列島に対する政策については、日中間、沖縄近辺に、係争地あれば、米軍駐留はより正当化。尖閣問題は、時代の文脈に合わせて「最も好ましい結果を生じさせるためのインセン ティブと懲罰との組み合わせを作り出す」のに使い得る。「四島返還論」という楔が日本とソ連の間に固定されたのと同様に、沖縄返還時に尖閣列島というもう一つの楔が日本と中国の間に固定された」。 
 
北方四島がダレス等によって米国により意図的に組み込まれた点については『日本の国境問題』参照。尖閣諸島の緊張は米国の思惑。手先で動いたのは前原と石原。そして国民は踊らされ熱狂している。 


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