2012年10月27日22時37分掲載  無料記事
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コラム

チリのドキュメンタリー番組を見て   村上良太

  シカゴ近郊の町に泊まった時、アメリカの公共テレビ局PBSで風変わりなドキュメンタリー番組を見た。スイッチをつけた時は番組がすでに途中だったのだが、つい時間を忘れてみていた。 
 
  60代くらいの女性が砂漠に立っている。彼女が語っているのは遺体の発掘について。亡くなったのは彼女の兄弟らしい。いや亡くなったのではなく、殺されたのだ。しかも集団で殺され、この砂漠に埋められたらしい。 
 
  砂の中から人間の手首がうっすら見える。これにはどきっとしたが、それは再現映像だとわかってきた。それでも、女性は今立っている砂の中から、小粒の白い塊を見つけ、手に取る。それは人骨の断片のようだ。今も、小さな白い粒がいくつもいくつもある。それらを掌に載せて並べて見せてくれる。拾ってどうするのだろう。女性は初めて遺体を発掘した時の記憶を語る。腐乱した匂い。兄弟の亡骸と対面した時のこと・・・。 
 
  話している言語はスペイン語。見ているうちに次第にそれがチリのピノチェット将軍によるクーデター以後に虐殺された人々の死体のことだということがわかってきた。1990年に死体の発掘が行われたことが説明される。その当時の発掘作業の白黒映像が挿入された。その映像にはミイラ状の生々しい死体もあった。それは人間と白骨の中間段階だ。 
 
  驚いたのはこの後、話が天文の話になったことだ。ビッグバンの話になり、その時、カルシウムが形成されたとナレーターが説明する。ビッグバンのイメージ映像が映される。この急展開に驚いた。先ほどの虐殺事件の話と宇宙的な物語との衝突に視聴者としてショックがある。さらに博物館に収められた古代のミイラも登場する。 
 
  そして、話は再びチリのクーデターで別の息子を殺された父親の話になる。 
 
  「私たちは遺骨を掘り出すために、海でも砂漠でも、どこまでも出かけていかなくてはならない」 
 
  人間の死体の中で骨だけは何年、何千年、何万年と残り続ける。骨を構成するカルシウムが形成されたのはビッグバンの時だとして、つまり、一人の人間の記憶は有限でせいぜい100年くらいだが、人骨はそれ以上風化を免れる。骨は人間の生きる時間を超えた天文学的な時間の中の存在と言える。骨は圧倒的な存在なのだ。 
 
  そんな遺骨を有限な生を持つ人間が拾う。そこには家族や恋人の記憶がある。しかし、記憶を持つ者もやがて死に、骨になる。私たちが絶対的な存在として日々胸に抱いている記憶も宇宙から見れば実ははかないものでもある。 
 
  番組のディレクターは虐殺された遺族の女性二人を天文台に連れて行き、宇宙を見せる。その時の女性たちには砂漠で思い出を語った時の悲しみはない。 
 
  チリではピノチェット独裁政権から民主政に移行する時、クーデター時の虐殺行為については「和解」という形を取った。独裁政権側はかつての虐殺の刑事訴追から免除される代わりに真実の調査に協力させられた。その過程で、先ほどの遺骨の発掘も行われたのだろう。だが、このドキュメンタリーは真実の発掘や告発を描くものではなく、テーマは人間の記憶だった。残された人々の心はいつか癒されるのか。虐殺事件の真相が次第に明らかになってきた。しかし、家族を亡くした悲しみは消えることがない。命を持つものは記憶を持ち続ける。ナレーターは語る。 
 
  「記憶には引力のように強い力がある」 
 
  だからこそ、心が癒されるためには壮大な認識〜宇宙的な感覚が必要なのだと言っているようだった。この番組は恐らくチリで作られ、アメリカのPBSでも放送されたということだろう。ドキュメンタリーにもそれぞれ国柄がある。チリのこの番組を見た印象は詩人の国の番組だということだった。チリは詩人ネルーダやミストラル、パラなどを生み、今も詩が文学の中で中心的な位置を占めると言われている。そんな感覚が硬派のドキュメンタリーにも貫通しているように思われた。ナレーションはまるで詩を朗読するかのようだった。それがこのテーマと調和していたように僕には思える。 


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