2012年10月30日20時19分掲載
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文化
【核を詠う】(番外編)本連載筆者の3・11以後の原発・原爆短歌 「さわだちてこの身をめぐる血の鳴れば国会包囲へと病みを忘れぬ」 山崎芳彦
この連載の筆者である私も、まことに拙いが詠うものの一人である。もとより、自分を「歌人」と思うことはなく、生活の中で湧き出る感慨を、短歌形式で表現するものの一人である。短歌を作り始めて11年、亡き母の短歌作品を「全歌集」として、自分で編集・版下作成をして刊行したのをきっかけに、母が参加していた短歌会にあとを追う形で入会し、作歌の指導を受け、今日に至っている。その私が、昨年の3・11東日本大震災・福島原発事故を契機にして、拙くとも詠うものの一人としてなにができるか、原発・原子力の社会から脱け出るためにできることを考える中で、原爆にかかわる短歌、そして原発にかかわる短歌を読み、出来るかぎり記録して、より多くの人の眼に触れさせ、また後に遺していくことに、取り組もうと思い立った。
幸いにして、「日刊ベリタ」に、連載の場を与えていただいたことで、いまのようなかたちで「核を詠う」シリーズを続けさせていただいている。ありがたいことに、少なからぬ方々のご協力を得て、作品の収集を続けながら、おそらくは関係者の方々にご迷惑をかけつつ、これからも可能な限り続けさせていただきたいと考えている。
今回は、そんな筆者の3・11以後の整わぬ短歌を「番外編」として掲載させていただくことにした。連載開始より1年を少し過ぎたが、筆者も福島県の隣の県である茨城の地に住みながら作歌してきた、その一部を読んでいただければ、作品の巧拙は問わず、幸いなことと考えた。
▼大地震の中、福島原発事故を知る(2011年3月〜5月)
朝鴉怪(け)しく騒ぎて去りしのち大地震(おほなゐ)ありき弥生11日に
予てより危ぶみをりし原発の事故報じらる これは人災
原発を原爆と言ひしを嘲笑(わら)ひたる東電幹部らありき 忘れてはをらぬぞ (チェルノブイリ事故後の原発廃止要求交渉を思う)
この日々も原発列島に核あまた「安全神話」のおわることなし
束ねられ否(いや)も諾(おう)もなく原発の電気使ひ来ぬ 今日を生くれば
原子力発電を知る吾にして家電それぞれをを数へおどろく
ヒロシマを、ナガサキを思へば原発の電気使ひて生くるはくやし
田植待つ水張田に降る雨はげし農する友は放射能を怖づ
水満つる田の面に揺るる稚苗に放射能雨の降るなと祈る
作付けを禁じられたる東北のこころ憂ひつつ早苗田を見る
幾度でも詠はむ原発は原爆と同じ悪魔のエナジーなりと
原爆の歌集求めて国会図書館の利用者登録す原発事故を機に
▼原発災憂ひつつ、原爆短歌を読む(2011年5月〜7月)
青ふかみ茎たくましき苗田さへ放射能測定あやぶむ農友(とも)ら
野菜類出荷禁止のありたれば新米の季へと憂ひの深まる
秘めやかに「古米を蓄へてゐるのだ」とわれに告げつつ友は田を見つ
福島にキャベツの花をかなしみて農婦は語る自死せし夫を
(テレビのドキュメントを観る)
原発が五十基を越ゆる核列島 日本は原爆被爆国なるに
ひもとけば原爆と原発のうらおもて連綿としていまにつづけり
竹山広(たけやま)さん、あなたの詠ひしそのままにこの国は原爆を知らぬごとくに
竹山さん原爆詠あまた遺し給ふ 原発荒るるいま日々に読み継ぐ
正田篠枝『さんげ』『耳鳴り』『百日紅』原爆症を生きし日々想ふ
原爆症に病みゐし正田篠枝さん原子炉危ぶみき五十年前なり
原爆の被爆者のうた読み継げば原発のあるこの国奇怪ぞ
幾日か眠られぬ夜 広島・長崎の被爆者詠ひし悲惨無慙に
『歌集広島』『歌集長崎』ならしめし歌人(うたびと)ら偲び日々を読み継ぐ
被爆六十五年経て「原爆症認定」されし老 原発被害を憂ひ語りぬ
忘れやすき国民(くにたみ)なりや原爆を知りつつ原発許してきたる
たとふれば原発批判言ひながら吾の生活(くらし)はいかなりしかと
総ざんげとは違ふのだこの吾の生き来し具体の自らを責む
▼原発にくし(2011年8月〜9月)
六十年語らず詠はず来し被爆者(ひと)は卒寿の歌集を『原子野』とせり (蒲原徳子さんの歌集)
原発の事故繰り返しつつ隠し来て放射能死者の数は知りえず
原発をめぐる怪談さまざまに鎮まらぬ死者の霊数知れず
この夏は蝉の声さへしみじみと聞けず過ごしぬ 原発にくし
やうやくに稲刈る音の聞こえ初む放射能検査ひとまづは過ぎて
原発の放射能荒るるさなかにて「広島・長崎」の八月は来ぬ
孫子(まごこ)らに託す未来を核の悲劇映すスクリーンにしてはなるまじ
原発の廃止に向かふ八月にせむと願へば蝉しぐれ降る
▼放射能の雨(2011年9月〜11月)
こころ込め秋の彼岸の香ささぐ荒ぶる現世(うつしよ)をははよかなしめ
土を嘗め畑を愛しみし叔父なりき五十年忌に放射能の雨
祈るごと原発作業員の死を詠ひし東海正史(とうかい)さんのうたを書写せり (東海正史歌集『原発稼働の陰に』)
仏門の友にしあれど憤怒して祈るは原発を葬(はぶ)らんがため
国民(くにたみ)の苦しみ怒りよそにして原発再稼働・輸出促進とは
夜をこめて原爆短歌ひた読むにこころ鎮めの薬は飲まず
平山郁夫「ヒロシマ変生図」載る画集開きて被爆者のうた読み継ぎぬ
いささかは老いをみせつつも大江健三郎が脱原発説けば吾もたぎるよ
残生を捨つるがに生くるは無残なり 核を詠う歌の記録をなさむ
▼放射能ホットスポットの地(2011年12月〜2013年1月)
放射能ホットスポットのをちこちに露はれ吾も庭を測りぬ
いささかは高き値の各所あり自己処理せよと行政は言ふ
原発苦ひきおこしたるこの国が原発輸出とふ それでいいのか
七十路を生くる吾なり来し方を思へばはかな 原発にて暮し来
核放射能の反人間の本質を知らず生き来しわけにはあらずも
▼桜・原発(2012年2月〜5月)
三月に入りし朝(あした)の地震(なゐ)つよし東海原発に近き震源の
三月を濡らす雨降る今日ひと日の吾の主題は「内部被曝」なり
原発を詠へば圧力ありしとふ福島の歌人幾人(いくたり)か知る
残生の目標(めあて)を決めしこの頃はいのちを愛しむ吾となりたり
三春なるしだれ桜の見ゆる丘に農民発電のパネルかがやく
(三春の農民が太陽光発電による農産加工場建設)
三春桜咲き満つる日に農婦らの原発ゼロへの一歩を聞きぬ
卒寿なる寂聴尼にしていのちかけ原発反対のハンストに入りぬ
原発に愛をささやく歌人(うたびと)の書を読みたれば悪夢の一夜
重ね来し「神話」の崩壊ものとせず「原子力ムラ」なほも稼働す
猛毒のどぜうありとは知らざりき 野田政権は危ふくくねる
「燃料棒」プールあやふしと伝へられそのあやふさはいまこの時も
(福島原発4号機)
▼さようなら原発
野田首相は人の叫びを「音」といふ官邸前の人は石塊(いしくれ)か
臨界に至りし大飯原発よ人間(ひと)の滅びの発熱に入る
久びさに首相官邸にこぶしあぐ老いたる吾は声の詰まりて
短歌(うた)を詠むわれの思ひを声にして今日は叫びぬ「原発やめろ」
若狭にて原発危険と詠ひきし歌人を知りて歌集四冊を読みぬ
原発の作業員たりしひとのうた二十年経しも今日のうたなり
十万人集ひて「さようなら原発」を叫ぶひとりに明日(あした)はなろふ (7月16日、代々木公園集会の前夜)
▼反核 ある一日(7・29国会包囲集会)
さわだちてこの身をるぐる血の鳴れば国会包囲へと病みを忘れぬ
炎天の汗にまみれたる身をはこびああ五十年過ぐと思ひてはかな
帰り来て深川宗俊の歌を読む『連祷』八一二首は吾の手書きなり
疲れては窓外の田の穂にひかる水玉を数へしばしを逝かしむ
目の中を蚊の飛ぶ影に惑ひつつ七月二十九日の夜の床に就きぬ
拙い歌を並べたが、しかし詠うことも行動であると考えているので、恥じることはしない。これからも、作歌はつづけるつもりなので、機会があれば、このような形で筆者の作品も「核を詠う」の仲間に参加させていただきたいと思っている。
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